【ブログ】伝えることの大切さ 伝わることのすばらしさ(大和田 新氏)

2018年も3月に入りました。
 天候は不安定ながら、街を歩くと様々な花や木の芽が目を楽しませてくれます。

3月7日(水)の終業後は東京・竹橋の毎日メディアカフェへ。
 この日18時30分から開催されたのは「大和田新が語る震災・原発事故からの7年」。

大和田 新(おおわだ・あらた)さん は神奈川県出身。中央大学法学部を卒業しラジオ福島に入社、役員まで務められて2015年3月に定年退職された後も番組を続けておられる名物アナウンサーの方です。

震災から7年の間、自ら足を運んでの取材に基づき、被災地の現状や被災者の方々の思いをラジオで伝えてこられました。

18時40分頃に到着した時は、大和田さんの話が始まっていました(文責・中田)。

「アニメ映画『無念』は、原発事故のため、津波に襲われた請戸地区(うけど、福島・浪江町)の救援活動を中断し避難せざるをえなかった消防団の人たちの苦悩を描いたもの。
 主人公のモデルである高野仁久さんは、今も毎朝、浪江町のある東の方を向いて『助けてあげられなくて申し訳ありません』と手を合わせておられる。消防団としての責任を果たせなかったという無念を、7年間、持ち続けておられる」

「メディアは3.11の時だけ取り上げる。有名人も来る。こんな時だけ!
 しかし家族を亡くした方達は、毎日が 3.11という思いで7年間を過ごして来られた。映画には『原発事故さえ無かったら』という怒りと悲しみの思い、多くの無念が描かれている。
 英語やフランス語版もあり、世界各地でも上映されている」

高野さんのインタビュー映像(テレビU福島放送)に続き、『無念-浪江町消防団物語』が上映されました。
 1時間ほどの上映中は静まりかえっていた会場は、終了時には大きな拍手。

大和田さんの解説が続きます。
「入れるかどうか一番悩んだのは、東電の技術者が家族の反対を押し切って出張先の東京から福島に戻るシーン。東電を許してしまうかのような描写は、絶対に嫌だという人も多かった。
 会社としての東電は許せない。原発事故はまぎれもなく人災。責任は大きい。しかし、今、福島の東電社員は休日返上で被災地での除染や片付けなどを行っている。東電社員の無念も、事実として描きたいと思った」

「東電本社でも何度も講演した。本社と福島との温度差を埋める必要がある。社長には、トップが現場に来ないで何が分かるかと言った。全社員にこの映画を見てもらいたい」

「私が請戸地区に入ったのは震災から1ヶ月後。あちらこちらに、ご遺体があることを示す赤い旗が立てられていた。収容されたご遺体は損傷が激しく、県警の人が、少しでも綺麗にと、プールの水をポリタンクで運んで一体ずつ洗っていた。
 20歳のお嬢さんのご遺体と対面した父親が、若い警察官の胸ぐらをつかみ『お前ら何をしていたんだ』と怒鳴る光景も目撃した。後日、挨拶に来られたらしいが」

「この写真は、震災当日の午前6時の薄磯海岸(いわき市)の写真。美しい朝焼けだった。まさか9時間後にあんな大津波が来るとは」

除染廃棄物を入れたフレコンバッグが並んでいる飯舘村の写真も。
 大和田さんからの「今日現在、この1トン入りのフレコンバッグが飯舘村には何個あると思いますか?」との問いかけに、会場からは1万個、100万個等の答え。

「230万個もあるんですよ! 福島が東京に電気を供給し続けてきたことについて、東京の人から感謝されたことも、ねぎらいの言葉をかけられたこともない。どうぞひとつ、お持ちになりませんか!」
 激しく胸に刺さる言葉です。

「東日本・津波・原発事故大震災(注:大和田さんは東日本大震災をこのように呼ばれます。)の教訓は、防災教育の大切さ。どうやったら命を守れるかを伝えていくことが必要。
 例えば、30cmの津波で人は立っていられなくなり、1m になると死亡率がほぼ100%に。このような知識は私たちにも無かった。今ならきちんと伝えられる」

「大学での教え子の一人はキャンペーンガールをしていた。首都圏で桃を試食した女性から『この桃おいしいね、どこから来たの』聞かれ、福島産と答えた途端、吐き出された。検査しているから大丈夫と言うと、どこでどんな検査をしているのかと問い詰められ、答えられなかった経験がある。
 今、彼女は、原発にも何度も足を運ぶなど積極的に勉強し、情報発信に努めている」

「福島県では、地震や津波による直接死が 1600人。自殺者を含む関連死がそれより多い 2200人。自殺や関連死を無くさない限り、福島の復興などあり得ない」

そして最後に、「ぜひ、被災地に足を運んで欲しい」と力強く訴えられました。

講演終了後、会場でご著書『大和田ノート-伝えることの大切さ 伝わることのすばらしさ』(福島民報社)を求めさせて頂きました。
 講演では触れられなかったことも含め、大和田さんご自身が足を運んで取材された内容に基づいています。多くの写真も掲載されています。

7年目の3.11を前に(大和田さんは「被災者の方に節目はない」とおっしゃっていましたが)、しっかりと拝読しています。