【ブログ】小松理虔さん『新復興論』(@ゲンロンカフェ)

2018年8月31日(金)の終業後は、東京・五反田のゲンロンカフェへ。
 独特の熱気と猥雑さ(失礼)がある不思議なスペース。私は4月24日(火)のトークイベント(五十嵐泰正さん、小松理虔(りけん)さん、武田徹さん)以来です。

この日19時から開催されたのは、小松理虔さんの著書『新復興論』の先行販売特別イベント

小松さんは、1979年福島・いわき市小名浜生まれ。
 現在は同地でオルタナティブスペース「UDOK.」(ウドク)を主宰、いわき海洋調べ隊「うみラボ」で有志とともに福島第一原発沖の海洋調査を定期的に実施されるなど、地域の食や福祉など様々な分野の企画や情報発信に携わっておられる「ローカルアクティビスト」の方です。

その小松さんの初の単著『新復興論』が、ゲンロン叢書(ゲンロン初の単行本レーベル)第一弾として刊行(9月1日)されるのを記念し、トークイベントが開催されたのです。

開演30分ほど前に入場した時には、すでに席はそこそこ埋まっていました。

今回も小松さんが持参された日本酒が並べられています。3枚綴りのチケット(1,000円)を購入。
 1杯目は鈴木酒造店長井蔵「土耕ん醸(どこんじょう)」を燗で頂くうち、やがて補助席も含めて満席に。

定刻の19時を回り、ゲンロン副代表の上田洋子さん(ロシア文学)の進行により開会。
 震災3年後から足掛け3年、ゲンロンのメルマガ等に連載したエッセイを基に編集し、ゲンロン叢書の第1号として出版されたのだそうです。

まずは、この日も地酒で「乾杯」。
 スクリーンにキーワードを映写しながら(文字だけで写真や図表はありません)、小松さんの話が始まりました・(文責・中田)。

「まさか自分が本を出すとは思わなかった。色々な職業を経験したが、震災前は地域のことに興味はなかった。震災によって否応なしに地元に向き合い、色んな人と会って話を聞くなどして発表してきたものをまとめ直した。この間、自分自身も変わってきた。その辺りも包み隠さず書いたつもり」

「本書の大きなテーマは『外に開こう』。もはや内部にいる者だけでは解決できない。風通しを良くすることが必要。そのキーワードはは、食、ツーリズム、芸術・文化」

「東日本大震災のあった2011年は、木材商社勤務でマレーシアに赴任中。翌年に地元の蒲鉾メーカーに転職し、食の当事者となった。風評被害のなか正確な情報発信の重要性を痛感し、2015年からフリーに」

「取材等を重ねるうち、いわきの豊かさに改めて気づいた。海流が出会う潮目に当たり海産物も豊富。温暖で南方系の植物(みかん等)も。一方で貧しかった歴史(戊辰戦争、炭鉱の閉山)もある。いわきは文明の潮目でもあった」

「専門家でも批評家でもない私が、たまたま魚のことに関わるようになった。『楽しい、美味しい、面白い』の突破力が大事と考え始めている。体験して美味しさを知ってもらうことで、風評を克服できるのでは。間口を拡げ、結果的に正しい情報が伝わればいい」

話は次第に熱を帯びてきましたが、ここで前半が終了。
 ゲンロンの東浩紀代表が隣に座り「小松さんの文章は本当に綺麗。何か秘訣があるのか」と質問したのに対して、小松さんは「声を出して読んでみて、つかえるようだと手直しする」と答えられていました。

引き続き東さんから「ゲンロン友の会」の PR(「かけこみパック」は大変お得だそうです。)があり、休憩に。
 2杯目は太平櫻(いわき市)の純米原酒を頂きました。夢の香という珍しい酒米が使われているそうです。

20 時30分に再開。小松さんの話が続きます。
 「第2章は復興の裏側、バブル、忘却されつつあることについて述べた章で、陰鬱な内容が中心。肝に銘じておきたいと戒めていることを書いた」

「いくらデータを伝えても不安という人はいる。データだけでは伝わらない。データ重視だった自分自身の反省と変化を踏まえ、啓発期から対話期、そして共存期(不干渉)へ移行していくことが必要ではないかと考えている。
 説得するのではなく、ファンを作っていく方が生産的ではないか。ゆるやかに壁を溶きほぐしていきたい」

「当事者とは誰か、ということを常に意識してきた。トリチウムを含む処理水の海洋放出は漁業者だけの問題ではない。福島の漁業をどう復活させていくかは、消費者の問題でもある。漁業者だけに判断させ、責任を押しつけるようなことはすべきでない」

「第3章は、私自身が文化、芸術と出会ったことで変化したことについて書いてある。社会は多様で無限のグラデーションがある。賛成、反対の二極だけではない。自分とは異なる方たちと交流することで、社会の見え方が変わってきた。
 『いわき万本桜プロジェクト』は200 年後のことを考えて桜を植えている。そこには悲壮感はなく、希望を持ち続けるための拠点となっている」

「結婚して子どもができた。今は4歳。娘に接するように伝えていければと思う。 壁を溶きほぐしていくために、迂回する道しるべを地域に作っていくといった環境作りなら自分にもできる。
 地域で奮闘している人たちの金言を集めていきたい。これまであまり表に出てこなかった『声なき声』を発信するなど、地域と実生活に根付いた活動をしていきたい」

「自分自身、これからも悩み続けると思う。しかし、偶然性に身を晒すこと等で人は変わることができるという希望を持っている。
 ぜひ福島に来てもらいたい。交流の場を開き、ツアーなども企画し、外の人たちをどんどん招き入れていきたい」

21時45分頃から質疑応答。会場、あるいはニコ生動画の視聴者から質問が寄せられます。
 サンチャイルド像の問題、いわきと帰還困難区域とは状況が違うのでは、等について質問がありました。
「対話の糸口が必要。共通点はある。双葉郡では様々な活動をしている方が増えており、そのような方達の声も聞いてもらいたい」等の回答。

また、福島の「外せない観光名所」や美味しいお菓子などについても質問。
 さらに「理虔」というペンネームの由来についても質問があり、その回答に会場は大爆笑でしたが、ここでのネタバレは控えておきます。

事前に知らされていた予定を大幅に超過して22時半を回って終了。帰りの電車が気になり始める時間でしたが、しっかりサインも頂きました。
 「福島でうまいものを食べましょう」と書いて下さった言葉を、真に受けています。

バーチャル(SNSやメディア等)、リアル(地元での場作り等)の両面で積極的に情報発信等を続けておられる小松さんは、異なる価値観が交わる『潮目』を作り出すために奮闘中です。

400ページに及ぶ渾身の大著『新復興論』は、原発被災地のみならず、各地で地域づくりに取り組む人たちのためにも大いに参考になりそうです。
 しっかりと読ませて頂きます。