【ブログ】みかん農家のお手伝い(愛媛・宇和島市吉田町)

32018年9月22日(土)は3連休初日。満席のJAL433便は、定刻9時55分に小雨模様の羽田を出発。
 途中から天候は回復。瀬戸内の島々を眺めているうち、ほぼ定刻の11時20分に愛媛・松山空港に到着。

早い便で着いていた大塚洋一郎さん(NPO 農商工連携サポートセンター)が待っていて下さいました。
 今回、大塚さんがML等で募集されたボランティア(7月豪雨で大きな被害を受けた愛媛・宇和島市吉田町のみかん農家のお手伝い)に参加することにしたのです。

なんと松山空港の蛇口をひねると、みかんジュースが出るそうです。驚いたぞなもし。
 空港ビル内で昼食。ざる蕎麦と鯛飯セット。ちなみに同じ「鯛飯」といっても、松山と宇和島とでは全く違います。

もう一人の東京からの参加者・Yさん(有機食品等の通販・宅配会社にお勤め)と合流し、レンタカーで松山自動車道を宇和島へ。道路は空いています。

西予宇和ICで下りて国道56号(宇和島街道)をさらに南下。一部は今も片側進行です。
 いくつかのトンネルを抜けたところにある高台からは、吉田町の全域を遠望することができました。山と海の素晴らしい光景ですが、目を凝らすと、緑の山のあちらこちらに茶色い土砂崩れの傷跡が見えます。

白浦地区に下っていくと、山肌が大きくえぐられている場所がありました。
 折れ曲がったガードレール、全壊した住宅。7月7日に発生した大規模・広範な土砂崩れでは、宇和島市で14名(うち吉田町で11名)の方が亡くなっています。

被災から2ヵ月半が過ぎましたが、崩れ落ちた山肌の惨状はそのままです。

さらに吉田町内を車で案内して下さいました。咲き誇る彼岸花。穏やかな海には真珠養殖のいかだが浮かんでいます。
 奥浦の公民館には人の姿はありませんでした。大塚さんが1ヶ月前に来られた時には、避難されてきた方や支援の方で混雑していたそうです。
 断水は解消、道路の補修等も進むなど、1ヶ月前に比べると復興は進んでいるとのこと。

駅前のビジネスホテルに1人でチェックインた後、しばし市内を散策。
 駅前広場には小さなSL。宇和島は鉄道唱歌を作詞した大和田建樹の生誕地だそうです。脱獄した高野長英の居住地跡も。

アーケード街近くからは、山上の宇和島城の天守閣が望めました。江戸時代から残る「現存12天守」の一つ。今回は登城口までで断念しましたが、見事な石垣です。

大塚さんお勧めの郷土料理店・ほづみ亭に集合。小さな川にかかる穂積橋のたもとにあります。
 カツオたたき、カサゴ(ホゴと呼ぶそうです。)の煮付け、アナゴの唐揚げ等を美味しく頂きました。鯛飯は、松山で頂いたものとは全く別の料理です。

地酒なども少し頂き、明日に備えて19時過ぎに解散。まっすぐホテルに戻り、早々にベッドへ。

翌23日(日)は曇り空。
 7時20分に駅前のコンビニで待ち合わせ、ここで水と昼食のおむすびを購入した後、レンタカーでJAえひめ南・立間中央支所(旧・吉田町農協本所)に着いたのは8時前。

ここがJAが募集したボランティアの集合・受付場所になっています。40名ほどの参加者が集まっていました。地元や県内の方が多いようです。
 別途、バスで園地に直行した団体もあるとのこと。

各自、ガムテープで名札を貼ります。
 営農センター長から挨拶と注意事項等の説明があり、あらかじめ割り振られていた班に分かれ、農家の方に先導されて園地に向かいます。

「タチマ 7班」は、私たち3人と地元のお2人。
 そのお1人(女性)は毎週のようにボランティアに参加されているそうです。

作業場でSさんの軽トラに乗り換え。作業場の向かい側の崖も崩れています。

四駆の軽トラは、ガードレールもない狭くて急傾斜の農道をぐんぐん登っていきます。ジェットコースターなんかより余程スリルがあります。

8時半前に目的地に到着。
 作業(ハサミで全て収穫するという簡単な内容)の説明を受けた後、この日の作業場所に向かいました。

Sさんの園地(全部で3haほどとのこと)の中でも最も傾斜が急な(人手のかかる)場所とのこと。搬出用のモノレールをつかむようにした登っていきます。
 想像以上の急傾斜です。

このような場所を開墾した先人の方々(そして今も生産を続けておられる方々)には、畏敬の念を禁じ得ません。

すでに手伝いの2人の男性が作業されている近くで、Sさんご夫妻(奥様は少し前にヘルニアの手術をされたとのこと。)と、私たちボランティアの5人も作業に取りかかりました。

1本の木には、たくさんのみかんが生っています。
 軸を少し残してハサミで収穫し、ヘタの部分が平らになるようにもう一度ハサミを入れます。
 手の届かないところは、脚立を使って高いところも収穫している手伝いの男性にお任せ。

収穫したみかんは手元のカゴに入れ、一杯になると、斜面を滑らないように気をつけて置いてあるコンテナに移し、それをモノレールで搬出します。

作業自体は簡単ですが、急傾斜の畑に足を踏ん張って立っているだけでも一苦労。土は一昨日までの雨で水分を含んでいて、何度も滑りそうになります。

曇り空で陽射しはなく、時折、心地よい風が吹いてきます。
 手を休めて見渡すと見事な光景です。谷の向こう側の山肌には山崩れの跡も。

11時30分に午前中の作業は終了。地元のお2人とはここでお別れです。
 JAに戻り、営農センターのソファをお借りして昼食のおむすび(鯛飯(松山風)は潰れていました~)を食べて、しばし休憩(昼寝)。

13時30分過ぎから午後の作業。
 日射しが出てきて暑くなり、大汗をかきます。それでも休憩の時に上着を脱ぐと、風がさわやかです。

作業の合間に、Sさんから色々な話を伺いました。
 お父様から経営を引き継いだ時に品種を転換したこと、後継者の方は今はサラリーマンをされていること。今年は大雨で摘果等が十分にできておらず、モノレールの破損等で被害状況を確認できていない園地もあること等。

15時頃に作業は終了。
 最後にSさんは「このような場所でみかんを作っている人がいることを、覚えておいて欲しい」と仰いました。そして「いくらでも持って行って」と、収穫したばかりのみかんを手土産に頂きました。

私といえば、ほとんど斜面に貼り付いているばかりで十分な作業はできず、申し訳ないような気持ちでしたが、Sさんの言葉は胸に刻みつけておきたいと思います。

車は一路、松山へ。
 大塚さん達はこの日のうちに帰京される予定ですが、松山にもう1泊する私は市内で車を降ろしてもらい、伊予鉄でホテルへ。

シャワーを浴びて(さっぱり!)一休みしてから道後温泉に行ってみました。
 周辺の商店街を含めてすごい人出で、何とか入浴だけはできました。豪雨被害で観光客が減ったとのニュースもありましたが、この日(3連休中日)は大変な賑わいでした。
 近くの居酒屋に1人で入って地ビール、地酒、刺身など。

翌日は細かな雨が落ちる中、松山城(これも現存12天守の一つ。縄張りも見事でした)、坂の上の雲ミュージアム等を訪ねて帰京。
 脚腰が痛くなる予感がします。

ささやかですが、私にとっては貴重なボランティア経験になりました。
 農商工連携サポートセンターでは、10月27日(土)~28日(日)に3回目、11月17日(土)~18日(日)に4回目の宇和島みかんボランティアを予定しているとのこと。

なお、今回(2回目)のボランティアについての大塚さんの「公式」ブログはこちらです。