CS まちデザイン・福島スタディツアー2018(いわき市)1/2

2018年11月3日(土)から4日(日)にかけて、恒例のCSまちデザイン主催・福島スタディツアーが行われました。

CS(コミュニティ・スクール)まちデザインとは、「食農共育」(しょくのうともいく)など暮らしを豊かにする学びの場をコーディネートしているNPO。
 私も会員の端くれに名を連ねさせて頂いています。

ツアーは正午に泉駅(JR常磐線)集合なのですが、せっかくなので早起きして上野7時発のひたち1号に乗車。

途中、日立駅で乗り継ぐ時、斬新なデザインで受賞歴もある日立駅構内を見学。
 目の前に雄大な太平洋が広がっています。

各停に乗り換え、9時44分に内郷駅着。
 かつての常磐炭田の中心地で、新しい駅舎には、当時の駅の様子(石灰を満載した貨車など)のパネルが展示されていました。

駅を出て、常磐炭礦専用鉄道・内郷線の廃線跡に沿うように、徒歩で西北に向かいます。
 快晴で汗ばんできました。

やがて道路脇に巨大な構造物が見えてきました。
 当時、最新・最大規模の設備を誇った内郷中央選炭工場の跡です。

ゲートが開いていたので近くまで行ってみましたが、その巨大さに圧倒されるようでした。
 背後の山の中にもいくつか遺構があるようですが、私有地で、観光地として整備されている訳ではないようなので、ここまでで断念。
 正式な見学等については、地元の協議会等に問い合わせた方がいいようです。

周辺には、当時の炭鉱住宅(炭住)が何棟も残っています。

瑞芳寺の境内には遭難碑がありました。
 1907(明治40)年9月28日の坑内火災により、13 名が犠牲となったそうです。

街の中には共同便所も。裸電球が灯っています。
 坂道を登って内町公園へ。炭礦会社が合祀した内郷山神社の跡です。放射線モニタリング結果の看板が、ここも被災地であることを示しています。

炭鉱作業員の娯楽であった相撲場の跡もありました(まるでコロシアムです)。

多くの犠牲者も出しつつ日本の近代化を支えた常磐炭田は、1960年代以降、エネルギー転換に伴い閉山が相次ぎました。代わりに福島県に立地したエネルギー産業が原発だったのです。
 常磐炭田に残る廃墟が、廃炉作業中の第一原発の姿と重なるように感じられました。

内郷駅に戻って11時53分発に乗り、12時2分に泉駅着。
 ここで上野10時発の特急で来られた他のツアー参加者の方たちと合流(ちょっと遅刻、スミマセン)。

合計8名が、Yさん(参加者のお一人)が手配して下さったワンボックスのレンタカーに乗り込み、小名浜港にある観光物産館「いわき・ら・ら・ミュウ」へ。

ここで、2階ホールで開催されている「いわきの東日本震災展」の展示を見学。

巨大な津波の襲来、自衛隊等による救難活動、全国から集まった支援物資とボランティア、段ボールで仕切られた避難所での生活の様子などが、様々な写真パネル、ミニシアター、ジオラマ等で紹介されています。

浮体式洋上風力発電実証実験のコーナーもありました。
 採算性の面から一部が撤去されるとの報道があったばかりです。

しばし、多くの人で賑わう物産館内を見学。
 海産物などをその場で焼いて食べられるようです。生ビール(!)などもあります。

お土産の調達は翌日に回し、14時から「いわきデイクルーズ」に参加。
 今年のツアーは漁業にフォーカスしていることもあり、いわきの海を、せめて遊覧船で体験しようというもの。

親子連れに混じり、ウミネコやユリカモメにエサやり。見事な空中キャッチ(ネコだけにキャッツ?)。

外国籍の大型貨物線から石炭が水揚げされ、積み上げられています。
 常磐炭田の石炭積出港として日本の近代化を支えた小名浜港には、現在は、首都圏に電気を供給する広野火力発電所の燃料(豪州等からの輸入石炭)が水揚げされているのです。

なお、親切にカモメの種類など教えて下さった乗務員の男性は、震災前は福島第二原発の監視船に乗っておられたとのこと。

50分の海の旅の後は、車で30分以上かけて内陸部へ(いわきは広い市です)。
 いわきおてんとSUN企業組合の事務所(いわき市好間町)に到着したのは15時40分頃。私はオーガニック・コットンの関係で何度かいわき市や広野町を訪ねてお世話になっていますが、事務所に伺ったのは初めてです。

平屋の民家を改修した建物で、窓際にはコットンを入れた籠がつり下げられていました。

設立当初からのメンバー(理事)である金成清次さんから、オーガニック・コットンプロジェクトを中心に話を伺いました(吉田恵美子理事長は、生憎とご不在でした)。

企業組合は、震災以前から独自に地域活動をしていた6名を中心に結成され、13年に法人化。
 オーガニック・コットン、復興スタディツアー、コミュニティ電力が事業の三本柱となっているとのこと。

子ども達と手作りした太陽光パネルも見せて下さいました。

オーガニック・コットンについては、被災地の農家や東京の販売会社等と連携し、コットンの栽培、製品化(Tシャツ、手ぬぐい等)、販売に取り組んでおられるそうです。

最近は、環境問題に意識の高い企業の取り扱いが始まったこともあり、販路は拡大しつつあるそうです。

なお、金成さんは夜間の飲食店勤務等を続けつつ、おてんとSUNを含めたボランティア活動に取り組んでおられるとのこと。
 被災地の復興と地域づくりは、金成さんのような方達が地道に支えておられることを、改めて知ることができました。
 お忙しい中をお邪魔し、話を聞かせて頂き有難うございました。

再び30分ほどかけて沿岸部へ。途中、復興公営住宅の団地も見えます。

この日の宿は、塩屋崎灯台にも近い薄磯にある民宿・鈴亀
 海水浴場として栄えていた地域は津波で甚大な被害を蒙り、現在も営業している民宿は一軒だけだそうです。
 17時40分頃に到着した時はすっかり暗くなっており、海岸の様子などは伺えません。

湯加減ばっちりの温泉に浸かり、18時半頃から夕食。
 ウニの貝焼き、アワビの踊り焼きなど特別料理も追加注文し、何とも豪華な夕食に。

明日午前中にレクをして下さる林薫平先生(福島大)も福島市から駆けつて下さいました。
 参加者のお一人の方が持参して下さった幻の泡盛(東京大学に保存されていた戦前の黒麹菌を使用)等を一緒に頂きました。

ちなみにこの日、ホークスが日本一に。キャノン砲・甲斐がMVP受賞。