【ブログ】太田道灌の史跡めぐり vol.1

写真は2019年5月24日(金)夕方の皇居の様子。

かつての江戸城を築いた武将として、あるいは山吹の歌の作者として著名ながら、大田道灌の事績は十分に知られているとは言えません。
 その一因は、道灌が活躍した中世関東の極めて複雑な(分かりにくい)政治情勢があります。

 その史跡は、実は(西武新宿線沿線等の)身近なところに多くあり、それらをぶらりと巡ってみたいと、かねてより思っていました。

チャンスが巡ってきたのは5月25日(土)。
 ところが、まだ5月とは思えぬ猛暑。夕方から出掛けることにしました。

太田道灌(資長)は室町時代後期の人。
 文武両道に優れ、主君・扇谷上杉家の勢力伸長に大きく貢献しましたが、それ故に、最後は主君に妬まれ謀殺されたという悲運の武将。

文明 9 (1477)年、反乱を起こした長尾景春に呼応した豊島氏兄弟を、江古田・沼袋原の戦い(現在の東京・中野区)で破った道灌は、豊島氏の本拠地・石 神井城(現在の石神井公園付近)に迫ります。
 この日歩くのは、道灌が石神井城攻略に向かうルートの一部です。

西武新宿線・上井草駅に降りたのは16時過ぎ。アニメ製作会社が多く集まる町で、駅前にはガンダムの銅像。
 陽は西に傾いていますが、まだまだ暑い!

 バス通りを10分ほど南に歩き、交差する狭い緑道(暗渠となっている井草川)を5分ほど歩くと小さな公園に到着しました。

 ここが道灌橋公園
 道灌はこの南方の高台に本陣を置き、井草川に架かった橋を渡って進軍したと伝えられています。
 橋は後に道灌橋と名づけられ、さらに川が暗渠となったため失われましたが、道灌橋の名は公園の名前として遺されています。
 猛暑のせいか、さすがに人影はありません。

緑道から離れて南に向かいます。
 振り向いて石神井方面を望むと、井草川に向かって下がり、さらに上るという地形が分かります。これは道灌の時代と変わらないはずです。

 交通量の多い早稲田通りを渡ったところにあるのが道灌公園。この辺りに本陣が置かれていたと伝えられています。
 親子連れがブランコを楽しんでいました。木陰に入ると風が涼しく感じられます。

 ちなみにこの東隣は都立農芸高校で、さらに東にある観泉寺には戦国の大々名・今川家累代の墓所があるそうです(またの機会に訪ねてみようと思っています)。

早稲田通りに戻って西に進むと、大きな赤い灯籠と鳥居が見えてきました。
 ここが井草八幡宮
 源頼朝が奥州討伐の折に八幡宮を合祀したされたとされる、関東有数の古社。道灌も石神井城攻めに際して戦勝祈願をしたと伝えられています。

鳥居をくぐって境内に入ると、都会の喧騒からは別世界。鬱蒼とした参道は閑静で、風が涼しく感じられます。
 山門や社殿も立派です。参拝される方の姿も。

境内を出て南下すると小さな川に行き当たりました。右折して上流に遡っていくと、やがて善福寺公園に到着。
 さらに深い森。下の池の水面は、スイレンでびっしりと覆われています。

 ベンチで読書する人、犬を散歩させる人、サイクリングする親子など。
 井の頭公園や石神井公園に比べると人は多くはなく(猛暑のせいかも)、閑静な佇まいです。

上の池は、さらに広々としています。

 小さな滝になっている湧水が「遅の井」(おそのい)。
 文治5(1189)年、源頼朝が奥州征伐に向かう途中でこの地で井戸を掘ったものの、なかなか水が出なかったという故事から名付けられたそうです。
 池の中の小島には、弁財天が祀られていました。

青梅街道に出て西に向かうと、多くの人で賑わっている場所がありました。
 酒舗・石崎(関町セラー)という老舗の酒屋さんが、定期的に開催しているイベントのようです。

 店先には何種類ものクラフトビールのサーバー。ワインや日本酒も。ここで飲み物を買っ て2階のテラス席に上がると、音楽が流されていて大盛り上がり。

猛烈だった太陽も、ようやく陰ってきました。
 小腹が空いたので、歩道橋を渡ったところにある中華料理店・梁山泊へ。

 グルメ雑誌等で紹介されることも多い有名店で、念願の肉あんかけ炒飯などを頂きました(ここでもビール! まだ呑むんかい!)。

最後は、本筋だったはずの太田道灌から離れてしまい、(今回も)美味しい散歩になってしまいました。

 しかし、まだまだ訪ねたい史跡はあります。またの機会に。美味しいお店を探すのも忘れないように。