2019年10月19日(土)の午後、東京・六本木の政策研究大学院大学(GRIPS)で「『かがり火』復刊10周年記念フォーラム」が開催されました。
13時30分過ぎ、西村一孝さん(かがり火支局長、むすんでひらいて研究所)の進行により開会。
続いて、東谷望史さん(高知・馬路村農業協同組合長)から。フォーラムの趣旨等を含めて挨拶。なお、予定では根本良一さん(福島・元矢祭町長)が登壇される予定でしたが、今般の台風被害で参加できなくなったそうです。
この日は盛り沢山のプログラムです。
最初は、首長サミット「人口減少を笑い飛ばす」。
ジャーナリスト(『かがり火』編集委員)の松本克夫さんを司会に、北海道斜里町・馬場町長、同津別町・佐藤町長、同ニセコ町・片山町長、新潟・弥彦村の小林村長、長野・飯田市の牧野市長さんという、錚々たるメンバーが登壇されました(以下、文責は中田にあります)。
人口減少は笑い飛ばせるような簡単なものではないとしながらも、住み続けられるように「あるもの(地域資源)」を探し活用していること、都市部など多くの人と交流していること、独自に地下水保全条例を定めたこと等、先駆的な取組みについて報告がありました。
『かがり火』には多くのヒントがあるとのコメントも。
続いて、この日のフォーラムの呼びかけ人の方達が壇上に並び、『かがり火』発行人の菅原歓一さんから1人ずつ紹介がありました。
『かがり火』は他に類をみないユニークな地域情報誌ですが、10年前にいったん休刊となったのを、読者有志の方達が「決起集会」を開いてカンパを集め、復刊したという経緯があります。
これまで『かがり火』を支えてこられた方たちが、今回の呼びかけ人にも名を連ねられているようです。
一人ひとりに対する菅原さんからの飾り気の無い感謝の言葉が、印象的でした。
休憩・交流タイムを挟んで後半の最初のプログラムは、哲学者で『かがり火』編集長の内山節さんによる講演。
タイトルは「いま私たちはどんな時代を生きているのか」です。
「これからは、唯一神(貨幣、市場、国家)と多神(ローカル、関係性)の2つの価値観が対立していく時代。近代的な社会を超えるヒントを伝統回帰(共同体の再創造、自然との関係を取り戻す等)によって見つける時代でもある」
「日本人は西洋人と異なり、社会は自然、生者、死者によってつくられていると捉えている。
すべてのものは見えない関係性によって結ばれており(「一即一切」)。小さなものをつくりだしている関係性から、世界全体を捉えていくことが必要」等、多くの示唆に富む内容でした。
休憩時間には、受付脇に設えられた農村漁村文化協会のブースで、新著『内山節と読む古典50冊』を求めさせて頂きました。『かがり火』に連載している記事を単行本化したものです。
2番目の講演は、役重眞喜子さんによる「ヨメより先に牛がきてから30年」(正しくは「26年」だそうです)。
『ヨメより先に牛(ベコ)がきた』(2000年、家の光協会)は、農水省を辞めて岩手・東和町(現 花巻市)に移住した役重さんの奮闘記(今、読んでも面白いです)。
新人研修に行って、住民同士、自然と人間がつながっている東和町の様子に魅せられたこと、農水省を退職して移住する選択しかなかったと、当時のことを笑いを交えながら話されました。
その後、東和町(花巻市)職員を経て、岩手大学で研究等にも携わってこられた役重さんの現在のミッションは、「感性、体験、理論で、都市と農村を翻訳する」ことだそうです。
「地域には人の営みで形づくられてきた『自治』の根っこがある。それらは多様な姿を持つ。人口は減少しているが、今ならまた間に合う」等と語られました。
最後の講演は、福島・飯舘村の菅野典雄村長から「原発の全村避難から新しい村づくりへ」。
全村避難から帰還を進めていることについて「起きてしまったことに愚痴を言っても始まらない。いい勉強をさせてもらっていると思っている」と語られる菅野村長。
「便利な生活のためには電気もエネルギーも必要。しかし、他の人に絶対に同じ思いをさせてはいけない。世界には『自国ファースト』の風潮があるが、お互いを思いやることが必要ではないか。当たり前の日々を有難く思えることが重要」等と話されました。
最後のプログラムは、『かがり火』支局長の紹介。
全国の約250名の「支局長」が、地域の情報を提供するなど『かがり火』の発行をサポートされています。これも『かがり火』のユニークな点の1つです。
菅原さんに指名された10名以上の支局長の方達が、1人ずつ壇上に上がり、菅原さんに丁寧に紹介されていました。
その後は、大学の食堂を会場に立食の懇親会。
懇談の合間に、支局長の方たち等によるスピーチが続きます。
各地の支局長の方達が、様々な食べ物や飲みものを差し入れて下さっています。
ご馳走様でした。
最後は、全員が手をつないで大きな輪になり、「万歳」ならぬ「ありがとう」三唱で中締め。
菅原さんは、あるインタビューで次のように語っておられます。
「世の中には、有名になることなど全く眼中になく、コツコツと努力を続け、黙々と自分の役割を果たしている方たちがいます。このような方たちによって、社会は支えられているのです」
菅原さんこそ、それに支局長の皆さんこそ、社会を支えている方達の一人ひとりであると感じられたフォーラムでした。