【ブログ】福島・飯舘ツアー(CSまちデザイン、2日目)

 (前号から続く)
 2019年11月4日(月)は文化の日の振替休日。CSの飯舘ツアーの2日目です。
 6時過ぎに起き出して風呂を浴び、施設(きこり)の回りを少し散策。鮮やかに紅葉している樹もあります。

 玄関脇にあるモニタリグポストの値は 0.21μSv/h(マイクロシーベルト毎時)。
 除染も進み、原発事故直後とは比べものにならない低い値ですが、東京や福島の多くの地域に比べれば比較的高い数値です。

7時半過ぎから、自分たちで準備した朝食(パン、サラダ、コーヒー等)。南相馬の菜種で作られたドレッシング「油菜ちゃん」も登場。

 9時に出発して飯樋地区へ。地域の住民の方達 の交流・試食会に参加させて頂くのです。
 道路脇には、除染廃棄物が入れられた大量のフレコンバッグ。多くは緑色のカバーがかけられていますが、中間貯蔵施設等に搬出する作業が進められてる場所もありました。

会場の集会所に到着。ここにもモニタリングポストが置かれています。
 樹齢400年という 「清水の大杉」が保存・展示されていました。文化財にも指定されていましたが、除染のために伐採されたそうです。

 2年前のツアーの際にお世話になった守友裕一先生(前・福島大学特認教授)のお姿もありました。
 除染廃棄物のフレコンバッグの数は、着実に減っているそうです。

地元の方が、近隣を案内して下さいました。気持ちのいい青空です。
 ここでもハウスや圃場は電気柵で囲われており、獣害(イノシシ、サル等)の深刻さが伺えます。

ハウスの中では、地域特産化に取り組んでいるエゴマの乾燥が行われていました。
 福島では「じゅうねん」とも呼ばれるエゴマは、きれいな粒です。

すぐ近くの福島大学のほ場では、金子信博先生(福島大学教授)のグループが実証実験中を行っていました。

 不耕起栽培は生物多様性の確保や地球温暖化防止にも効果があるそうで、「耕す」ことを重視する日本の農法は世界のなかで遅れているとのことです。

集会所に戻り、住民の方達に教えてもらいながら料理(調理実習)に参加。
 エゴマはフライパンで煎ってから、すり鉢に移し、出汁などを加えながら、山椒のすりこぎでごりごりと摺っていきます。要領と根気が必要な作業です。

うどんは生地をこね(かなりの力が必要)、麺棒で延ばし、包丁で切っていきます。
 東京組が切った麺は、太さなど、いかにも「手打ち」らしい多様性に富んだものになりました。

うどんは大鍋で茹で、ざるに上げて、たっぷりの流水にさらして出来上がりです。

地元の方達の試食会に、私たちのグループも参加させて頂きました。会場の集会所は60 名ほどで一杯、賑やかです。

 料理教室も開催しているCSまちデザイン理事長の近藤さんたちが作られたのは、「白切鶏(パッチーガイ) with エゴマのねぎソース」「ブロッコリー with エゴマディップ」にスープ。
 エゴマのたれをかけたうどんは、もちもちで美味でした。

 リーダーの長正増夫さんからは、エゴマや雑穀を栽培するだけでなく、加工品にして東京の人たちにも買ってもらえるようにしたい等のお話がありました。

食事が一段落したところで、福島大学の研究員や学生による実証実験等の結果報告(こちらの集会も、CSに負けずに真面目です)。

 化学肥料等を与えずに栽培した花(オーガニックフラワー)は、日持ちがするといった実験結果等が報告されました。
 参加者の方たちが真剣に聞いておられる様子が印象的でした。

 また、会場には飯舘村に移住された田中俊一さん(初代 原子力規制委員会委員長)の姿もあり、学生達にアドバイスをされていました。

地域の皆様にお礼を言って、14 時前に出発。
 石井先生の案内でエゴマの乾燥施設(予定)、増築された牛舎等を見学させて頂きました(石井先生、今回もお世話になりました)。

その後は、道の駅「までい館」へ。
 地域特産物のかぼちゃ「雪っ娘」も展示・販売されていました。エゴマ味噌や凍み豆腐を購入。

川俣町経由で16時30分頃に福島駅に到着、解散。

 レンタカーを返却した後、有志(?)4名で駅前のイタリアンで反省(?)会。
 地元産の食材にこだわっているお店のようで、エゴマ豚のブルブル(かつて福島市にあった洋食店の人気メニューを復活させたものとのこと)、伊達鶏のハーブグリル等をワインとともに頂きました。

 最後まで福島の美味しいものを頂くことができたツアーでした。
 CS役員の皆様、参加者の皆様、有難うございました。

やはりCSのツアーで訪ねた2年前の飯舘村は、まだ避難指示が解除されてから8ヶ月足らずで、道の駅等を除けば閑散とした印象でした。
 しかし今回は、様々な取組みが進んでいる様子を拝見し、また、賑やかな集会に参加させて頂くなど、復興と再生が進んでいる様子を垣間見ることができました。

 一方で、現在も帰還率は2割程度に過ぎず(避難先から集会に参加されていた方もおられたようです)、数は減りつつあるとはいえ依然として大量のフレコンバッグが視界に入ってきます。
 これからも交流を続けさせて頂く1人として、福島・飯舘村の変わりゆく姿を注視していきたいと思います。