【ブログ】福島・飯舘ツアー(CSまちデザイン、1日目)

 (前号から続く)。
 2019年11月3日(日)10 時半の集合時間に合わせて、NPO法人コミュニティスクール(CS)まちデザイン研修ツアーに参加する役員や会員の方たちが福島駅西口に集まってきました。
 近藤理事長と榊田理事は、翌日用の食材の買い出しに行かれていたようです。

 13名(女性9名、男性4名)が、ワゴン車と乗用車に分乗して飯舘村に向かいます。
 CSのツアーで飯舘村に伺うのは、2年振り です。

経路の国道 115号線も先日の台風と大雨で被災しており、一部、片側通行の箇所が残っていくました。

 正午前に、飯舘村佐須のきまぐれ茶屋ちえこに到着。
 古民家を改装した素敵な建物で、 天井は高く、座敷の中央には囲炉裏が切られています。
 「ふるさと住民票」を取得された方達が食事をされていました。
 引率されているのは、 先日の『かがり火』の会の際にお会いした方です(現地で再会!)。

 天候にも恵まれ、周囲は素晴らしい景観です。原発事故から6年間、全村避難が続けられていたとは想像もつきません(現在も一部区域は避難指示が解除されていません)。

天候にも恵まれ、周囲は素晴らしい景観です。庭先にはポポーが実っていました。
 原発事故から6年間、全村避難していたとは想像もできません(現在も一部区域は避難指示が解除されていません)。

 やがて食事の準備が整い屋内へ。
 凍み餅、イカ人参、豆ご飯など、懐かしさを感じるような料理の数々。ボリュームも十分です。 

食事の後、佐々木千栄子さんからお話を伺うことができました。

 原発事故により休業を余儀なくされ、避難先でご主人を亡くされたという千栄子さん。令和時代のスタートに合わせて本年5月1日に営業を再開された経緯や思いを、笑いを交えながら明るく語って下さいました。
 「ここに来るとお父さんがいる。一緒にいたいと思った」のが、再開の決め手だったそうです。

 帰り際には、特区制度で製造したどぶろくまで頂きました。

車で10分ほど。
 ひまわりが咲き残っている畑の間で蕎麦の脱穀をされていたのは、菅野永徳さんです。

作業の終了後、氏子総代をされていた「虎捕山津見(とらとえやまつみ)神社」 に案内して下さいました。
 宮司さんからもお話を伺うことができました。

 永承六年(1051)創建という由緒ある神社で、かつては参道に参詣者のための市が立つほどの賑わいだったそうです。
 祭神は「山の神」。狛犬ではなくオオカミが鎮座しています。

ところが2013年4月に失火により拝殿等が焼失。
 全村避難が続いているなか、氏子の方々の寄進により翌年6月に再建を果たしたそうです。オオカミの天井画も見事に再現されていました。

続いて農泊交流施設「風と土の家」へ。
 木造仮設住宅4世帯分を移設・改築したそうで、内部も木が多用されていて快適です。

 NPO法人ふくしま再生の会の田尾陽一理事長(元物理研究者、2017年に飯舘村に移住)と、 地元代表の菅野宗夫副理事長が出迎えて下さいました。

原発事故直後に東京の研究者と 地元の方が連携して立ち上げた再生の会は、村内の放射線量マップの作成等に取り組んで来られましたが、住民の帰還が始まるなかで、様々な課題も出てきているようです。
 菅野宗夫さんが代表を務められている飯舘電力(株)の話も伺いまし た。

 「生活を奪われることで、自然や一次産業が生きるための母体となっていることを実感した」と語っておられたのが、心に残りました。

この日の宿泊地「きこり」に到着したのは18時過ぎ。すっかり暗くなっていました。

 福島大・食農学類の石井秀樹准教授が待っていて下さいました(遅れて済みませんでした)。
 夕食の前に、石井先生からレクチャーを頂くのです(本当にマジメなツアーです)。 

 「放射能汚染からの農と暮らしの再生を」と題して、放射能には“実態”があること、福島原発事故の特殊性(関連死の多さ、住民同士の分断等)、農協・生協・大学の連携による放射能計測の取組み等について詳しく説明して頂きました。

 また、福島の農業の復興・再生に資す る人材を育成するために本年年4月に創設された福島大・農学類食農学類についても紹介して下さいました。

19時30分過ぎから質疑応答を兼ねた夕食交流会。

 隣接する川俣町から、名産の川俣シャモなど料理を仕出ししてもらいました。
 ちえこさんに頂いたどぶろくを始め、参加者が持参した日本酒(佐須の米で作られた純米酒「復興」も)など。郡山社協で頂いた甘酒も頂きました。

21時頃に中締め。
 いったん風呂に入ってから会場を覗くと、まだ石井先生も交えて「有志」の方達による交流会が続いています。

 23時を回って、ようやくお開きに。これでツアー1日目が終了。(続く)