【ブログ】ミシュカの森「分人主義と今」

様々な苦しみや悲しみに向き合い、共感し合う場を提供してきた「ミシュカの森」。
 主催者は、2000 年暮れに発生した世田谷一家殺害事件で妹家族4人を亡くした入江杏 (いりえあん)さん。
 ミシュカとは、犠牲となった姪と甥(当時8歳と6歳)が可愛いがっていた小熊のぬいぐるみの名前です。

 今年は12月7日(土)の part1 「グリーフケア という希望」(上智大グリーフケア研究所との共催)に続き、14日(土)には東京・田町で part2 「分人主義と今-悲しみとともにどう生きるか」が開催されました。
 会場のビジョンセンターの会議室は、200名近くの参加者で満席です。

フリーアナウンサーの近藤麻智子さんの司会により、定刻 13 時過ぎに開会。
 冒頭、世田谷事件と入江さんの取組みを特集した報道番組(JNN「“強いられた沈黙”か ら“悲しみの水脈”へ」)の一部が放映されました。

 続いて入江さんがマイクを取られ、多くの参加者に対する感謝の言葉に続き、以下のように話されました(文責・中田)。

 「今年、新たな悲しみが突きつけられた。警察から、老朽化のため事件現場である住 宅を取り壊したいと要請があった。自分にとっては心に刺さった棘となってしまった住宅だが、事件は未解決のままで、個人の判断に背負わせていいのだろうか。
 厚かましいようで申し訳ないが、『ともに』考えてほしいとお願いできないか」

「亡くなった中村哲先生の『誰も行かねば行く、誰もやらねばする』、NZ首相の『悼む思いが命をつなぐ』等の言葉に共感する。自由に悲しめる世の中でありたい」

 「熊谷晋一郎先生によると、スティグマに対処するためには当事者の『語り』に触れることが重要とのこと。
 世間は必ずしも被害者に同情的とは言えない。当事者たちの語りの発信が社会を動かす。絶望だって分かち合えば希望に変わる」

 「『ミシュカの森』は、犯罪被害者の追悼の場から、非当事者にも働きかける協働、包摂の場に変容してきている」

「2010 年に病気で夫を亡くした。夫といた時の私はもういない。グリーフケアとは『亡き人との出会い直し』。

 「2015 年に最初に平野啓一郎さんに来て頂いた時、『忘れていい』との言葉を聞いて爽やかな風を感じた。
 数年前に亡くなった母は、事件直後から忘れてしまいたいと言い続けていたが、私は解決するまで忘れてはいけないと強い調子で言い返して辛い思いをさせた。忘れてもいいよと言ってあげられなかった。申し訳ない気持ち」

14時過ぎからは、平野啓一郎さんの講演です。

 「現在 44 歳で、8歳と6歳の子どもがいる。世田谷事件で亡くなったお父さんと2 人の子どもと同じ年齢であることに初めて気づいた。改めて胸が詰まる思い」

 「小説家は当事者ではないにも拘わらず、事件等に関わっていくというジレンマや不安がある。例えば東日本大震災の被害は広範囲だが、具体的な個人からしか物語は始められない。
 当事者ではないからこそ書けるという面もある。真実とは異なるかも知れないが、アブローチするのは小説家としての義務」

「犯罪は社会のなかで起こったのだから、そのコミュニティのなかの全ての人は『準当事者』。完全な非当事者はいない。
 加害者の人権とどう関わっていくかも考える必要。その意味で自分は死刑制度には反対」

 「ハンナ・アーレントによると、罰と許しは、何かを終わらせるという意味で同じ機能を持つ。加害者を許す決断をすることで、大きな辛い経験を克服しようとする被害者もいる。
 それを非難したら悲しみは終らない。暖かく抱擁することが必要」

 「日本では人権に対する教育が失敗している。人権とは生まれながらの普遍的な権利で、命は絶対に尊重されなければならないということが教えられていない。人権週間の子どもの作文も心情の面に偏っている。共感することと権利問題とは次元が違う」

「アマルティ・センは、個人を単一のアイデンティティにくくりつけることが対立、分断を生じさせると言っている。実際の人間の属性は複雑で多面的。
 自分は個人に対立する『分人』という概念を提唱している。会社と家庭では別の人格。単一の個人ではなく多くの分人を生きることで、人は多くの人とコミュニケーションできる」

 「人間は分人の構成をコントロールする自由がある。心地よい分人をより多く生きることによって、人生を変えていくことができる。
 愛する人を喪失することは、いちばん気に入っていた分人として生きることが中断されること。辛い分人だけを生きさせることの無いように、周りの人が関与していくことが重要ではないか」

15時30分過ぎから約15分の休憩。
 会場には小熊のミシュカのぬいぐるみ、入江さんの人生を変えたという姪の絵と作文も展示されていました。

15時50分からの2部は、ゲス トの坂倉杏介さん(コミュニティデザイン実践家、東京都市大学准教授)を進行役に迎えての トークセッション。
 坂倉先生は、東京・港区で「芝の家」という地域の居場所づくり等の活動をされています。

 「都会には、住んでいるけど暮らしてはいないという人も多い」という坂倉先生は、入江さんとは「ご近所づきあい」の仲だそうです。
 入江さんは「坂倉先生の講座に参加することで、犯罪被害者の遺族として生きていた私は生きる場所を見つけることができた」とのこと。

 取り壊し問題について聞かれた平野さんは、
 「一概には言えない。若い世代が新しいものを作っていくためには、レガシーは不要という考えもある。一方、思い出を喪いたくないという心情も理解できる。複雑な気持ちを汲み上げ、共感を分かち合うことが必要」

坂倉先生
 「記憶とは、現在あるものをきっかけとして作りなおされるもの。平野先生の『マチネの終わりに』にも、未来は常に過去を変えているという言葉がある」。

 入江さん
 「平野さんが仰って下さった『準当事者』という意識を持って頂ければと思う。ケアも同様だが、多くの世代がみんなで考えていくことが大切で、自分としてもそのような場をこれからも作っていきたい」

 平野さん
 「近年の『自己責任論』には強い抵抗感を覚える。犯罪とは、社会・コミュニティのなかで引き起こされたもので、加害者個人を罰するだけで済む話ではないし、傷ついた人が孤立しないように周りが色んな形で関与 していくことも必要。
 今日のイベントは、そのようなことを考える貴重な機会となった」

最後は、入江さんによる自作の絵本『みんなつながっているよ』の朗読。
 冒頭、入江杏(IRIE AN)という名前の由来(被害者の姪(NIINA)、甥(REI)の名前から)についての説明も。

 入江さんの一言一句を聞き逃さないようにと、会場は静かで穏やかな時間に包まれました。

終了後は、現場住宅取壊し問題についての記者会見が行われました。
 「みんなで考えてほ しい」という入江さんの思いから、メディアだけではなく一般参加者にも公開されました。

 入江さんの警察に対する質問書(証拠保全の必要がなくなった理由等)と警察からの回答文が紹介された後、入江さんがマイクを取られました。

 「もともと警察からの要請により保全してきたのに、突然、今年中に 取り壊したいという話が来た時には驚いた。今回、初めて書面で回答をもらい、遺族と密に連絡を取っていくと約束したくれたことは嬉しく思った。
 しかし昨日の報道(注:「凶器の巻き方にフィリピン北部の特徴」との警視庁発表)も事前に連絡はなく、報道で初めて知ることになったのは残念」

「私にとっては、見るのも辛い心に刺さった棘のようなものだが、事件が未解決なのに壊してしまっていいのか葛藤がある。拙速に判断してほしくない。多くの人に準当事者として関心を持って頂きたい」等と訴えられました。

 メディアからは「分かりやすく伝えることが自分たちの使命だが、今日は難しいボールを受け取った心境」といった率直な発言も。

今年も、事件が未解決のままの状況のなかで開かれた「ミシュカの森」。

 当事者ならずとも(準当事者として)心の痛みは癒えませんが、心の奥底まで震わされるようなイベントでした。
 来年こそは、事件の新しい進展の下で開催されることを、切に祈りたいと思います。