【ほんのさわり No.213】國分功一郎『原子力時代における哲学』

−國分功一郎『原子力時代における哲学』(晶文社、2019/9)−
 https://www.shobunsha.co.jp/?p=5494

東電福島第一原発の事故を受けて「原発をなくしたいと心の底から思っている」著者が、2013年に行った連続講座「原子力時代の哲学」の記録です。ともすれば難しい哲学の用語なども、一般市民向けに分かりやすく解説してくれています。

科学技術に酔っていた1950年代、核兵器ではなく原子力という技術(「核の平和利用」)自体の危険性を正面から指摘した唯一の哲学者が、ハイデッガーでした。

人類は、地上の生態系を超越した原子力技術を開発・獲得したことにより、まるで神になったかのような錯覚(全能感)に浸りました。
 ハイデッガーは、想像できないほど強大な原子力をいかに制御・操縦するか、事故等により人類のみならず一切を壊滅させる恐れがあるのではないかという危機感と問題意識を明らかにしました(1955年の講演(『放下』)。

ハイデッガーは、技術の歴史的進行は否定できないとしつつ、人間がものを考えなくなっている(考えることから逃げている)ことに無気味さと強い危機感を抱き、身近なこと(土着性)に根差した熟慮(省察する思惟)が必要であると主張します。
 なお、土着性とは古き良き失われた何かではなく、熟慮するなかで自ら獲得するもの(「来るべき土着性」)としています。

このようなハイデッガーの主張は、(我田引水ですが)エネルギーにも地産地消的な観点が必要であることを象徴しているように私には読めました。

出所:
 F. M. Letter -フード・マイレージ資料室 通信-
 No.213、2021年3月13日(土)[和暦 如月朔日]
 https://www.mag2.com/m/0001579997.html
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