【ブログ】「市民」とは(自分ゴト、志、実践)

2021年9月も半ば。
 百日紅が残るなか、早くも彼岸花が咲き始め、金木犀の芳香も。今年は秋の訪れが早いようです。

いつもお世話になっている市立図書館の外壁には、地元ゆかりの選手の活躍を讃える掲示。
 オリンピック女子バスケットボール銀メダルのオコエ桃仁花選手、パラリンピック・トライアスロン銅メダルの米岡聡選手と椿浩平選手(ガイド)。
 (オコエ兄も頑張ってほしい・・・)。

自宅近くに借りている市民農園のお隣は、果樹農家さん
 直売所で立派なシャインマスカットを購入しました。素晴らしい味と香りです。

 やはり近所にある活魚卸問屋さんの直営店は、初めて行きましたがなかなか美味。
 「あつめし」は炊きたてご飯に魚の漬けを乗せて食べる大分県の郷土料理。壁のお魚のイラストが楽しいお店です(平日の昼でしたが開店前から行列ができていました)。

 わが地元(東京・東村山市)にも、美味しいものがたくさんあります。

このようななか、但馬漁業協同組合(兵庫・香美町)からも美味しいものが届きました。
 炊き込みご飯の素(のどぐろ、ほたるいか)と、コウノトリ育むお米です。いただくのが楽しみです。

 ところで9月17日(金)18時からは、東京・神田の箕と環において「兵庫県但馬(たじま)を食べて解きほぐす晩」と題するイベントが開催されます。
 但馬の美味しい食事を頂きながら、但馬漁港の森あゆみさん(4月に移住されたばかり)の話をオンラインで伺うという興味深い内容です。 

9月13日(月)の19時からは、第71回 奥沢ブッククラブにオンライン参加。
 前半はおススメ本の紹介。
 村中李衣『お年寄りと絵本を読みあう』、大石直紀『京都一乗寺 美しい書店のある街で』、溝口 徹『医者が教える日本人に効く食事術』、レヴィン『死の接吻』、アレクシエーヴィチ『戦争は女の顔をしていない』、中村 哲『天、共に在り アフガニスタン三十年の闘い』など、今回も多彩な本を紹介頂きました。

私からは、昆虫学者・アキノ隊員(宮城秋乃さん)『ぼくたち、ここにいるよ-高江の森の小さないのち』をおススメ。
 著者は、本年7月にユネスコの世界自然遺産にも登録された沖縄・やんばる地方でチョウ等の生態について、米軍機飛行の影響等も含めて調査されている方。

最後は恒例、Uさんによる絵本の朗読。
 アレプス『くさをたべすぎたロバくん』は、前回Uさんがおススメして下さった本(ぼくはもーもー草刈り隊)と放牧つながり。いずれにしても食事はバランスが大事ですね。

次回(10月)の課題本はトニ・モリスン『スーラ』に決定。2人の黒人の少女の成長物語だそうです。どなたでも参加頂けます。

時間は前後しますが、9月10日(金)19時からはNPO市民科学研究室(市民研)主催の市民科学講座「日本の市民科学者―その系譜を描く」に参加。
 全12回シリーズの最終回は、「日本の市民科学とは何か、何であるべきか」と題する総合討論です(私は1~3回以来の久々の参加)。

徳宮 峻さん(閏月社)の進行の下、市民研・上田昌文代表から、事前に送って下さっていたレジュメを基に、これまでの11回を振り返りつつ問題提起。
 これに対して4名の方からコメントがあり、さらに参加者の方々を交えて意見交換がなされました。

個人的に特に印象に残ったのは、以下のような部分でした。
 市民科学者の要件とは(高木仁三郎の言葉を手掛かりにすると)、危機的な問題を自分ゴトとして捉え、自分で調べて問題点を市民に伝えられるか。そして、理想や希望に向けて実践しているか。
 『分からなくなったら現場に出ろ。行動しながら考えることが必要』との宇井純の言葉。徹底的に患者に寄り添い、水俣病の実態とメカニズムを解明した原田正純医師。
 人びとが日々の営み(暮らし)のなかで合理的精神を生み出すことに貢献した『暮らしの手帖』の花森安治ら。
 また、「安藤昌益の生命思想は市民科学の可能性の沃野かも知れない」との言葉(近年、重要性が明らかとなってきた「マイクロバイオーム(細菌叢)」との関連等)も、特に印象的でした。

コメントや総合討論では「公害問題等が深刻だった1960~70年代とは時代も違っており、市民の意識も変わってきているのではないか」、「そもそも根源的に『市民』とは何かを問うべきではないか」等の意見が活発に出されました。
 安藤昌益の「いのちの思想」についても、補足的に説明して下さいました。

大いに触発される内容でした。
 「市民」とは何かという議論にも、色々と考えさせられました。

 私は当日はあまり意見は述べられませんでしたが、最近読んだ宇沢弘文の本には(リベラリズムの説明ですが)「人間が人間らしく生き、魂の自立を守り、市民的な権利を十分に享受できるような世界を求めて学問的営為なり、社会的、政治的な運動に携わるということ」「一番大事なのは人間の心」とあります(p.90)。

 また、小田 実は「市民社会は完成されたものではなく『かたちづくろうとする社会』であり、それを自覚して生きている人々が『市民』」「社会全体にあいわたる問題(たとえば政治)を自分たちの問題として捉え、自分たちの手で解決しようとする志」が市民運動と定義しています(p.76)。

 であれば、「市民科学」とは市民社会を支えるインフラの一つであり、(専門家だけではない)一人ひとりの市民自身こそが担い手となるものなのでしょう。

確かに、水俣病など公害問題で多くの人命が失われるなど深刻な被害が出ていた1960~70年代に比べれば、現代の私たちの社会は一見「平和」で、私のような市民(庶民)の多くは大きな不満も危機感もなく、日々を送っているようです。

 しかし現代の日本社会でも多くの解決すべき課題はあります。例えば、貧困・格差、差別と人権軽視、「オキナワ」、「フクシマ」等々。大規模災害の危機も常にあります。
 さらに海外に目を向ければ、毎日のように人命が失われている紛争地域もあります。
 そのような状況を「他人ゴト」として、あえて目をつぶって見ないこととし、あるいは評論家然として行動していないからこそ、平穏な気持ちで暮らしていけているのではないでしょうか。

 時代が違うと言えば、その通りかも知れません。
 それでも、上田代表の話から伝わってきた高木学校や自主講座の熱気は、私自身にとっては新鮮で、大きな驚きでもありました(最初のころは対面で行われていた講座では、上田代表ご自身の熱意もビンビンと伝わってきました)。
 そのような熱気(社会課題を自らの手で解決しようとする志)が、今の社会では冷めてしまい、失われているように思われます。もっともこれは、市民「科学」に限った問題ではないのかも知れません。

 本講座の内容については、まとめて出版される予定とのこと。楽しみです。
 出版までには大変なご苦労があるかと思いますが、できれば私のような、ぼーっと生きている一般の市民(というより庶民)にも、分かりやすく、さらには目を覚まさせてくれて背中を押してもらえるような内容の本となることを、期待したいと思います(身勝手な話ですが)。