【ブログ】2021(令和三)年も暮れます。

コロナ禍、オリパラ、総選挙と首相の交代など、色々とあった2021年も間もなく暮れます。

12月15日(水)は、街がイルミネーションに彩られるなか、富士フォトギャラリー銀座へ。
 開催されていたのは、知人から聞いていた小松由佳さんの写真展「シリア難民 母と子の肖像」。
 トルコ南部に暮らすシリア難民の母と子の、暗がり(東京のイルミネーションと何という違いでしょうか)のなかで懐中電灯を使って撮影した写真からは、母子が置かれている厳しい現実が伝わってきます。
 ご著書『人間の土地へ』に頂いたサインには、「シリアの人々の行く先が平和な大地でありますように」と書き添えられていました。

日本海側や山間部では大雪とのニュースもあるなか、東京地方は総じて冬晴れ続き。
 12月27日(月)の、自宅近くに一画を借りている市民農園の様子。
 ブロッコリとカリフラワーはほぼ終了しましたが、大根、白菜、キャベツが豊作です(食べ切れるかな)。

その日の夕方は紀尾井ホール(東京・千代田区)へ。
 愛知室内オーケストラ特別演奏会のプログラムは、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第2番、第1番、第3番。2階最後方の席は音響も良く、ステージ全体が見渡せます。
 指揮者の気合い、譜めくりの音、緊張感をもって集中している聴衆の気配など、ライブならではの醍醐味を堪能しました。

翌々日、12月29日(水)の午後は図書喫茶カンタカへ。ここは自宅から自転車で10分ほどです。
 14時45分から開催されたのは音楽家の食卓~番外編「ティータイムをベートーヴェンと共に」と題する演奏会。ベートーヴェン続きですが、室内楽は演奏者の息遣いがより近く感じられます。
 プログラムは3つの二重奏曲(偽作との説も)、ピアノソナタ「悲愴」、ピアノ三重奏曲「街の歌」。アンコールは第九「喜びの歌」。
 演奏はもちろん、ナビゲーターの野崎知之さんの楽しく貴重なお話も楽しめました。

12月28日(火)は挨拶回り(?)。
 東京・神田の47都道府県レストラン 箕と環で(昼間から)ビール、日本酒など。飲食店にとっては厳しい1年だったでしょうが、若き店長さんは「コロナのおかげで今まで見えなかったことが見えてきた」との前向きの言葉も。新年会ができればいいのですが。
 今年最後のお茶の水サンクレールマルシェへ。ここでもお世話になった何人かの方にご挨拶し、玄米蕎麦やデーツなどを求めさせて頂きました。

最後は東京・湯島のNPO法人 市民科学研究室へ。
 ちょうど事務所の片付けの日だったそうですが、上田昌文代表ににお礼の挨拶を申し上げることができました。食と農の市民談話会、番外編の「放談会」まで、本当に色々とお世話になりました。明年は談話会Season2もスタートします。
 地元・東村山市のお酒(Season2関連で注文していた「上堰米のお酒」は間に合いませんでした。またの機会に)、箕と環で求めたJF但馬のホタルイカ(これもSeason2関連)、デーツなどを持参したところ、お返し(?)にと、ポリーニのCD(ベートーヴェンのピアノソナタ全集)を頂きました。まるで、わらしべ長者。

さて、12月17日(土)の午後。
 昨年12月15日に逝去された大江正章さんを偲ぶ会が挙行されました。スタッフ等を除いてオンラインです。
 行動・交友範囲の広かった大江さんらしく、呼びかけ人だけで60名以上(私もご縁があり名前を連ねてさせて頂いていますが、ほとんど何の貢献もできませんでした)。毎月のオンライン会議など1年間をかけて準備してきましたが、この日は200名以上の方が参加されていたようです。

 3つのテーマ別セッション(有機農業、アジアと世界、ジャーナリスト・出版社経営者)など充実したプログラム。
 有機農業関係のブレイキングルームでは、研究者、生産者、流通関係、地方自治体の方などから興味深く、刺激的なお話を伺うことができました。

後日、追悼集『「コモンズ」という希望』が送られてきました。
 内容から装丁まで、これも大江さんとかかわりのあった編集やデザインのプロの皆さんによる渾身の一冊です(「そして、また呑む」には笑わせて頂きました)。
 正月休みに、ゆっくりと拝読します。

 なお、追悼集は、大江さんが共同代表を務められていたNPO法人アジア太平洋資料センター(PARC)のウエブサイト(リンク先の下の方)から購入できます。

最後に、極めて個人的なこと。
 昨年7月に亡くなった母の遺骨を、ようやく、本人が望んでいたとおり故郷・徳島市のお墓に納めることができました。コロナとは罪深いものです。

 私自身も久しぶりの郷里。
 眉山、阿波踊り会館、十郎兵衛屋敷、徳島ラーメンなど。
 徳島県立文学書道館では、本年11月9日に逝去された瀬戸内寂聴さんの記念室も設けられていました。この館の名誉館長も務められていたそうで、原稿や年譜のパネルなど充実した展示内容でした。
 今年も多くの方を見送ることとなりました。

来る2022(令和四)年が、穏やかで良い年となりますよう。