【ブログ】恋ヶ窪と畠山重忠

2022年1月18日(火)も好天。
 西武国分寺線で恋ヶ窪へ。国分寺と東村山を結ぶ西武国分寺線は今でこそ短い支線ですが、実は西武鉄道で最も古い路線です。

恋ヶ窪とは、不思議な地名。かつて中世の街道(東山道武蔵路、鎌倉街道)沿いに宿場町、色街が栄えていたそうです。

改札を出て、ぶらぶらと南に向かって歩き始めました。寒中ながら、日差しが温かく感じられます。
 小さな広場には、熊ノ郷遺跡の説明板。発見されていた発掘物の調査が速やかに行われば、日本で最初の旧石器時代の遺跡になったとのエピソードも。
 狭山丘陵から国分寺崖線に向けてゆっくり傾斜しているこの辺りには、多くの遺跡があるそうです。

熊野神社には、鮮やかな黄色の「疫病退散」の幟。新型コロナ感染の急拡大が続くなか、まさに神頼みしたい気分ではあります。

 境内には「朽ち果てぬ 名のみ残れる 恋ヶ窪 今はた訪ふも 知記りならずや」という道興准后(室町時代の僧侶、聖護院門跡)の歌碑があります。この歌が詠まれた文明十八(1486)年の頃には、かつて賑やかさ恋ヶ窪宿の面影は失われていたようです。

熊野神社のすぐ近くには「恋ヶ窪村分水」の説明板。玉川上水からの分水の跡で、2017年に市の重要史跡に指定されているとのこと。緑地の中に堀が残っています。かつて不毛の地とされた武蔵野台地は、江戸時代初期に様々な用水路が整備されたことにより農業を行うことができるようになりました(大都市・江戸には飲料水を供給しました)。

 少し南には、用水のせせらぎが復元・整備されていました。

住宅地に挟まれた狭い路地を辿ったところに、この日のお目当て「姿見の池」が静かにたたずんでいました。
 都の緑地保全地域として整備されており、かつての武蔵野の里山風景を偲ばれます。JR中央線や西国分寺駅がすぐ近くにあるのですが、静寂の雰囲気です。

姿見の池という名は、かつて恋ヶ窪の遊女達が自らの姿を映していたことに由来しているとのこと。池のなかには、寄り添うように泳ぐ錦(二匹?)鯉の姿。

遊女の夙妻太夫が、鎌倉御家人・畠山重忠を慕って池に身を投げたという伝承もあります。このエピソードは大岡昇平『武蔵野夫人』(すごい小説ですね)にも登場します。

畠山重忠は、武蔵国男衾郡(現在の埼玉・深谷市)を本拠とする有力武将で、頼朝挙兵時には敵対したものの後に臣従、鎌倉幕府草創期を支えた知勇兼備の武将です。

 しかし頼朝の没後、舅である初代執権・北条時政に謀反の疑いをかけられ、非業の最期を遂げました。たとえ血縁者であっても、あるいは家族や兄弟さえも、権力闘争のためには簡単に粛清された時代だったのです。

今年のNHK大河ドラマはファミリー・コメディかのようにスタートしましたが、重忠の悲劇を含め、その後の凄惨な歴史をどのように描いていくのでしょうか。