2021年2月15日(火)の19時から、第8回 食と農の市民談話会がオンライン開催されました。食と農の間の距離を縮めるきっかけづくりを目的としています。
冒頭、主催者であるNPO市民科学研究室(市民研)の上田代表から、挨拶と紹介。
市民研では様々なイベントを実施していますが、23日(水)に開催予定の「市民科学特別講座・TV科学番組を語り合う」では、酒米作りに取り組む限界集落のドキュメントを取り上げるそうです(参加費無料、私も申し込みました)。
続いて進行役の中田から、毎回恒例、これまで拙メルマガで紹介したもののなかから、この日のテーマと関係するグラフを1点紹介。
中山間地域は総土地面積の73%、林野面積の88%を占めており、農家数や農業産出額の4割以上を担っていること、さらには、傾斜地の多い中山間地域で農林業が営まれ農地や林地が適切に管理されることによって、土砂崩壊防止、地域文化の継承等の多面的機能が維持・発揮されていること等を説明しました。
続いて、この日のゲストの赤木(谷内)美名子さんのご紹介。
岡山市の出身、東京で大手ファッションメーカーのパタンナーとして活躍しておられましたが、2013年、杜氏を目指されていたご主人とともに新潟県上越市の山間部にある大賀集落に移住。お嬢様にも恵まれ、現在は棚田での米作りをしつつ、パタンナーの仕事に加えて、2018年にはもんぺ製作所を起業され、様々な表彰歴もある方です。
ちなみに私は、大賀と交流しているグループの方たちに誘って頂き、何度も大賀を訪ねたことがあります。
続いて美名子さん(現在は谷内姓ですが、パタンナー等としては旧姓の「赤木」さんで活躍されていることから、馴れ馴れしくて恐縮ながら「美名子さん」と呼ばせて頂きます)から、ご自身で作成されたパワーポイントを共有・操作しながら、話題提供を頂きました。
タイトルは「四季の移り変わりが美しい新潟で暮らしながら働くこと-自分らしい仕事+小さな農業」。
冒頭、杜氏修行中のご主人・幹典さんと、愛娘の櫻子さん(小2)も紹介して下さいました。
以下、美名子さんの話題提供の概要です(文責は中田にあります)。
「自分は専業農家ではないので、農業そのものや米作りのことは皆さんの方が詳しいかも知れない。今日は、自分たちの日々の暮らし、小さな農業から、皆さんとのセッションの中で働くことにもつながっていくようになることを楽しみにしている」
「私はファッション業界を目指し、憧れていた東京に19歳で上京。職場と住まいのあった新宿界隈の景色は、今も好き。
専門学校で服装解剖学の授業を受け、パタンナー(デザイナーが描いたデザイン画を型紙(パターン)に起こす仕事)という技術職として大手企業に就職。これは移住した現在も大事な現金収入となっている」
「ある日突然、外資系証券会社に勤めていた夫が酒を作りたいと言い始めた。
生協が主催する酒づくりイベントに参加し、夏には2人で遊びに行って稲刈りや酒造りを手伝わせてもらったことが私の人生の大きな転機となり、2013年8月に上越市吉川区の山間部にある大賀という集落に移住した」
「現在の戸数は4軒。鉄道の駅もなく車がないと生きていけない。スーパーまでは片道18kmで生協の宅配も利用。スクールバスは途中で乗り換えて通学。
日本海にも近く、東京には3時間もあれば行けるという立地」
ここで再び、杜氏修行中の幹典さんが登場して下さいました。
「移住を決心した動機は、もともとお酒が好きだったのと、ものづくりをしたかったこと。充実した日々を送ることができている。今の季節は絶賛仕込み中で、明日も作業がある」とのこと。お忙しい時に有難うございました。
美名子さんは37歳で移住されたことで、これまでの価値観が180度変わったそうです。
「田んぼ(棚田)は3.5反、収穫量は1トンほど。私自身、もともとお米が大好きで、日本の主食を自分の手で作りたいという思いもあった。
農作業や暮らしなど様々な面で、師匠ご夫妻(地元の農家の方)に支えて頂いている」
「田植えは手押しの田植え機を使っている。子どもは手伝いながら泥遊び。毎年、洗濯が大変だが付き合ってくれるのは嬉しい。ホタルが家の中にも入ってくる。
刈り取った稲束は、師匠に教えてもらってはさがけにしている。娘にも新潟の原風景を見てもらいたい」
「自分たちが食べる野菜や大豆もつくっている。ほとんど農薬は使わないので草取りばかりの日々。食卓には野菜がいっぱいで、子どもも好き嫌いなく食べている。子どもの時の味覚形成が大切とされているが、子どもは美味しいものを知っている。好きなスイカが作れるのも嬉しい。
一方、3年くらい前からイノシシなどの獣害が酷くなってきており、田んぼも電柵が囲うようになった」
「お米は『むすひ』というブランドで、口コミなどで友人などにお分けしている。収入は東京時代に比べ半減しており、これも重要な収入源になっている。
田んぼの脇に梅の木があり、梅干しも作っている。大根の粕漬けは、夫の蔵の酒粕とのコラボ。お米とともに送ると喜んで下さる」
「東京で住んでいた時は、お金を出せば何でも買えたし、外食も行けた。今はスーパーも遠く、味噌なども自分で作るようになった。自分が食べるものを自分で作ることができることは幸せ。ここでは作ることと暮らすことは一致している。
新潟は伝統的食文化も豊かな地」
「薪ストーブを導入している。薪は2年くらい乾燥させないと使用できず、購入するとそれなりに高いが、地域の人たちが運んできて下さるなど助けてもらっている。
薪ストーブのおかげで冬の楽しみが増えた。火をがあることの喜び。地域の方たちの気持ちも含めて、暖かく感じる。停電しても暖は取れる。電気に依存せず、エネルギーを自給できている喜びもある」
「移住して9年がたち、子どもも大賀で産まれた。移住者というより、もともとの住民という感覚になってきて、わら細工や竹細工を教わり、修学旅行の子ども達に教えるようなこともしている」
「雪が降り始めると一晩で玄関に入れなくなる。それでも雪が好き。一晩で真っ白になり美しすぎる景色にリセットされる。今も雪が待ち遠しい。米作りや酒造りに必要な水も雪のおかげ。
雪に抗わない暮らし、思い通りにならない生活が格好いいと思うようになった。寛容さなど、移住してきて学んだことはたくさんある」
「春になると、一気にモノクロからカラーの世界になる。
近くにはカタクリの群落があり、樹齢300年の枝垂れ桜もある。春は山菜天国でもあり、毎日、鎌を持って採りに行く。山菜は待ってくれないので忙しい。自分たちが食べる量だけ頂く」
「娘が3歳になって幼稚園に通うようになり、時間に余裕ができた時に何をしようかと思った時に、東京から依頼されるパタンナーの仕事を増やすのではなく、もんぺ製作所を立ち上げることとした。
目指したのは、オール新潟のものづくり。
地元の米や水を使った酒造りを始めた夫に、地のものは格好いい、うらやましいと嫉妬を感じ始めていたこともある」
「もともと自分は夢があってファッションの世界に進んだ。
ところが次第に芸術的価値は軽視されるようになり、ファストファッションが台頭して、生産拠点は海外に移転していった。
移住してから県内を回り、かつて出張で訪ねたことのある多くの機屋さんなどが廃業していることを知り、申し訳ないような気持ちになった」
「せっかく新潟との縁を頂いたこともあり、自分が東京で磨いてきたパタンナーの技術を活かして、何とか伝統的な新潟の繊維産業の力になりたいと思った。
確かなものを長く着たいという需要もあると思う。そこで、農作業着に用途を限定せず、年齢や男女を問わず多くの人に受け入れられるファッションとしての、自分自身もはきたいような、もんぺを作るために起業した」
「大切にしていることは、デザイン、設計、素材、縫製など、すべて新潟のものづくりに特化するということ。ホームページのモデルになってもらったのも、移住者など地元の友人ばかり」
「新潟には亀田縞という素晴らしい生地もある。これは一度、衰退したが、地元の織物業界の方たちが復活させたもの。染色は栃尾、加工は見附。
伝統工芸品をまとう贅沢さ、国産木綿の底力を感じて頂きたい。
将来は地元・上越市の伝統織物である高田縞の復元にも取り組みたい」
「工場の廃業で解雇されていた縫い子さんも、ミシンがあれば中山間地でも仕事が続けられる。このことはメディアにも取り上げられ、地元の経済・産業界からも高く評価されて賞も頂いた」
「最近はコロナでできていないが、東京でも展示受注会を行っている。山のなかに試着室も作った。正直、高価なものだが、受注生産だけで、お客様一人ずつ採寸し、リペアにも応じている」
「もんぺ製作所は、多くの方に支えられて間もなく4年目を迎える。今後、向かう先はお客様と一緒に決めていきたい。インスタグラム、ブログ、コラム等でも発信しているので見て頂けると有難い」
「最後に、雪だるまとともに娘からのメッセージをお伝えしたい。『新潟上越の大賀に来てね』」
後半は、参加者の皆さんを交えた談話(質疑応答・意見交換)の時間。
まず、除雪などについて。
「公道は除雪してくれるので車で走りにくいことはないが、自宅の前までは自分で除雪しないと車が出せない。共用の除雪機を使わせてもらっている」
これには、東北に移住された方から、いかに雪が重いたいかとの発言も。
集落での暮らしについては、
「水は上水道だが、ポンプアップしており停電すると断水する。下水は合併浄化槽。ネット回線はある。わが家以外は70~80歳代の方ばかりで、今も通勤されている方も。
集落内にある神社では年2回のお祭りがあり、地域でできたものをお供えしている」
「今は師匠と呼ばせて頂いている方に相談したところ、『生半可な気持ちなら来なくていい』と言われて移住する決心が固まった。
住んでみると、不便さや不安に勝る良さがあった。コンビニはないが、空が美しい。日本海を望むこともできる。生きていく術や食べものの作り方を学ぶこともできる。娘にとっては故郷であり、暮らしを楽しまないともったいない」
「正直、東京にいた時は子育てする勇気はなかったが、行政からは子育てや医療費など細かく支援してもらっている。地域の方たちも移住者に好意的」
「一方で、除雪用具や車のガソリン代等の出費はかさむ。複業(副業)による現金収入が不可欠。なかなか農業だけでは生計が立てられないため、地域内でも耕作されない田んぼが増えている。この難問をどうすればいいか、皆さまとも考えていきたい」
衣と食の両方に取り組んでおられることについては、
「農作物もファッションもクリエイティブ。重力に反発して無理に引っ張るようなことはしてはならないと、農業を始めたことで体感できたように思う」との回答。
最後に、これから移住を考えている人に対しては、
「何とかなる、何とか稼げる、新しいことをたくさんできると伝えたい。新規就農された方もいるが、飲食店などは少なく、事業立ち上げの機会はたくさんある。私たちが楽しく暮らしていることを、まずは知ってもらいたい」とエールを送られました。
美名子さん、貴重なお話を有難うございました。ご家族の皆さまにも感謝申し上げます。
終了後も参加者の方からは「楽しくて、また、幸せな気分になれました」等の感想を頂いています。
実はこの日の談話会のタイトル(仮題)は、「『限界集落』における暮らしとなりわい」としていました。私がカギかっこ付きの「限界集落」としていたのは、食もエネルギーも全面的に外部に依存している都市部こそ、限界を迎えているのではないか、との問題意識からでしたが、この日の、食もエネルギーもある程度自給できているという美名子さんのお話は、正に私の意図に沿った内容でした。
また、上田代表の「都市と農村がお互いに弱いところを補い合っていくことが必要」との講評(発言)も本質を突いたもので、同時に、これまでの7回の本談話会の内容に通底するものでした。
さらに談話会では、上田代表始め多くの方から大賀を訪ねてみたいという感想が出されました。
コロナ次第ではありますが、皆さんと大賀を訪ねることができる機会を持てればと、楽しみにしています(誰よりも私自身が、また大賀を訪ねたいと強く思っています)。
なお、当日のアーカイブ動画は、市民研正会員等の方、当日、参加費を支払って参加して下さった方以外は有料(500円)となりますが、市民研HP(リンク先の下の方)からご覧頂けます。
次回(第9回、取りあえず最終回)の食と農の市民談話会は初めて漁業を取り上げ、兵庫・香美町に移住し漁協で働いておられる森 歩(あゆみ)さんから話題提供を頂く予定です。皆様のご参加をお待ちしています。