【ブログ】CS市民講座「福島『復興』の現在地」

2022年2月13日(土)午後は、CSまちデザイン市民講座「福島『復興』の現在地~終わりなき地域再生への模索〜」にオンライン参加。
 参加者は50名ほどです。

NPO コミュニティスクール(CS)まちデザインは、これまでも被災地・福島に関する講座・シンポジウムや現地へのスタディツアーを実施してきました(ツアーは残念ながら2年間行えていません)。
 シンポジウムは昨年4月以来、やはりオンライン開催となりました。

まず、行友 弥理事(農政ジャーナリストの会)から概括的な説明。
 例えば避難指示区域は1/3に縮小していること、住民の帰還は進みつつあるものの、避難指示の解除が早かった市町村のなかには令和に入って人口が減少しているケースもあること、復興予算と福島復興再生基本方針の改定の内容(国際教育研究拠点の整備等)等について、分かりやすく説明して頂きました。

続いて、福島大学(食農学類)のお二人の研究者の方からの基調報告。
 一人目は石井秀樹准教授。報告のタイトルは「ふくしまの農と暮らしの復権」(以下、文責は中田にあります)。

「福島大学ではこの11年間、自然科学と社会科学の両面から、入り口(物質循環、食料生産)から出口(流通・消費)まで、体系だった農業研究・支援活動を続けてきた。2024年度に向けて大学院設置の構想もある」

(写真は当日の石井先生の説明資料より)

「原発事故は人々の暮らしと生業を奪った。福島県では震災関連死者の数も多い。復興はまだまだ実感されていない。インフラ整備や工場誘致など『場』の復興は進んでいるが、人間の復興は途上にある」

「農業(産業)の再生だけでは、たとえ雇用が生まれたとしても、地域・環境・社会・文化が守れるとは限らない。生産性を重視する農業は条件不利地を避けるのが必至。災害を経験した福島だからこそ求められる新しい農業の形を探っていきたい」

(同上)

「農と暮らしを復権するには、人間の復興が不可欠。農業(産業政策)、農地(環境政策)、農家・生活者(福祉政策)を三位一体で考えるべき」

「この点に関しては、健康生成論(過酷なストレッサーに晒されても、人間にはなお健康を維持し、増進させる力があると考える公衆衛生理論)からの視座が有効。被災者の方たち自身がどうしていきたいかを、大学としても支援していきたい」

続いて、林 薫平准教授から報告を頂きました。
 「森林と農業が補完し合う形で復興・発展する道筋を模索している。“食・農・林”連携を開くための学生活動も実施。
 郷土食や里山資源を活用しつつ、都市の人と一緒に、農村の価値を発見・創出していく『交響の村づくり』が重要と考えている」

(写真は当日の林先生の説明資料より)

「復興に影を落としているのが、廃炉(と)の矛盾。
 将来的には廃炉後の姿が示されていない、誰も分からない。目の前にはALPS処理水の放出と汚染土壌等の『再生利用』問題がある。地元は非常に困惑している」

「漁業については、この10年間、試験操業など多くの関係者が慎重に努力を積み重ねてきた。処理水放出方針の性急な決定は、これら努力を踏まえていない。デリケートな問題だが、結論は海を守る、暮らしを守るということ」

 「復興と廃炉の真の両立のためには、『復興』側の力(故・大江正章氏の『地域の力』)を現場で作っていく必要がある。福島の復興の実践主体として力を付けようと思っているところに、全国の皆さんからも支援を頂けるようにお願いしたい」

(同上)

後半は、現地で実践されているお二人からの報告です。
 最初は菅野正寿さん(福島二本松市東和)。有機農業と農家民宿「遊雲の里」を営んでおられます。私も昨年秋の芸術祭に訪れた際に泊めて頂きました。

「『惨事便乗型の大規模プロジェクト』ではなく『人とくらしの復興』こそ重要。
 里山の再生に研究者、市民団体の支援と協力を頂きたい。
 汚染水の海洋放出は許されないことで、協同組合4団体の「海洋放出に反対する声明」は画期的。浪江町津島地区の被害者原告団の裁判には国と東電は真摯に向き合うべし。一方、福島県による避難者への住居明け渡し裁判は暴挙」

 「大規模プロジェクトではなく、生態系、多様性、地域コミュニティの視点が重要。環境が汚染された福島だからこそ、有機農業を軸とした農業の再生を進めていくべき」等の報告を頂きました。

(写真左は当日の菅野さんのレジュメより)

もうお一方は、長正増夫さん(飯舘村大久保・外内行政区長、「いいたて結い農園」代表理事)です。
 「6年間の村外避難を経て帰還。放射能測定から始め、新しい暮らし方をみんなで作っていこうと、話し合いながら取り組んできた」

 「昨年、『(一社)いいたて結い農園』を立ち上げた。安全・安心で、子どもや孫に負担をかけず、高齢者がいつまでも元気で活躍できる社会を作っていきたい。
 エゴマ栽培は機械を使わずほとんど手作業で行っている。このため、高齢者等が生き生きと働くことができる」等の報告を頂きました。

後半は、参加者の皆さんから多くの質問等が出されたのに対して、研究者の方から以下のような回答がありました。

 「どれだけ機能するか費用対効果の見通しがないまま、ITなどの技術だけ持ってきている。住民の支え合い、結いの精神を重視すべき。様々な立場の人が、草の根的にフラットに参加することが復興には必要」
 
「農業は、地域性や環境に強く依存する。福島ならではの農業、研究を進めるべきでは。冬季は寒冷で害虫や雑草も越冬できないため、昔から有機農業が盛んな地でもある」

「処理水の放出か長期にわたる地上保管か、さらには原発の是非など、大きな議論は福島の人たちの支援にはつながらない。地元の人たちは葛藤に直面しながらも、漁協と生協が面談するなど様々な取組みが行われている。話し合いのテーブルを設定するなど、地道な課題に一緒に取り組んでいくことが必要」

現地の方からは
 「コロナ禍により、改めて一極集中構造の弊害が問われているのではないか」
 「コロナが収まったらぜひ足を運んで下さい。現場の課題を共有して、首都圏の皆さまとも一緒に考えていきたい」等のコメントを頂きました。

 最後に近藤惠津子理事長からは「これからも福島にこだわっていきたい。微力ながら、今後も交流の中で少しずつできることを見つけて実行していきたい」等の決意表明の挨拶があり、この日の講座は終了です。
 今回も多くの学びを頂くことができました。報告者の皆さま、主催者の皆さまに感謝申し上げます。

一方で終了後には、正直、沈鬱な気持ちが残りました。
 東日本大震災と東京電力福島第一原発事故から来月で丸11年となり、私自身を含め、多くの人々の被災地に対する関心と記憶は次第に薄れつつあります(「風化」は悪いことばかりではないと思いますが)。
 それに対して被災の現場では、見かけ上の復興は進んでいるものの、問題はますます複雑化し、デリケートになっていることを改めて教えられることとなりました。
 そのあまりに大きい隔たりに、罪悪感に近いものを覚えたのです。

そのようななか、石沢麻依『貝に続く場所にて』に巡り会いました。昨年の芥川賞作品です。
 西洋美術を学ぶ主人公は、留学先であるドイツ・ゲッティンゲン(コロナ禍の下にあります。)で、9年前の津波で行方不明となったままの学生時代の友人(の幽霊)と再会します。

図書喫茶「カンタカ」にて(2022.2/22)

主人公は街を歩きながら、自らの記憶と感情に静かに向き合います。ゲッティンゲンでも、空襲やユダヤ人連行などの記憶を「場所」が担っていることを意識します。

 忘却しつつある自分と、今も行方不明者を探し続け、あるいは故郷に帰還できない人たちとの間にあるあまりに大きな距離に対する罪悪感。主人公は、死者となった友人と再会することによって、その隔たりの輪郭を指でなぞって確かめ、初めて心から悲しみと苦しみを感じるのです。

幽霊に会うことはできないかも知れませんが、せめて被災の「場所」を訪ね、復興の「現在地」を指でなぞってみる(体感する)ことが必要かもしれません。