【ほんのさわり】保阪正康『五・一五事件』

−保阪正康『五・一五事件-橘孝三郎と愛郷塾の軌跡』(2019.4、ちくま文庫)−
 https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480435873/

本書は、1939年北海道生まれで昭和史の実証的ルポルタージュの第一人者が、五・一五事件の首謀者とされた橘孝三郎に対する長時間のインタビューをもとに著したものです。1973年(当時、著者33歳、橘孝三郎80歳)の刊行から46年後に文庫化されました。

代表的な農本主義者の一人とされる橘は、水戸の出身。
 第一高等学校に進むも中退して郷里に帰り、自ら山野を開墾して家族的小農を基礎とする協同農業を実践しつつ、農村青年教育のための愛郷塾を主宰しました。
 「人類は大地の赤子」「農は真に人間の生きる道」「土から離れた人間が土を考えない教育を受け、そして国を動かしてゆく。こんな馬鹿なことがあっていいものか」等の言葉を遺しています。

昭和初期の松方デフレの下、恐慌と呼ばれるほど極度に窮乏しつつある農村の状況を憂えた橘は、1932(昭和7)年、若き塾生達を率いて決起します。昭和の軍国主義の幕開け・日本ファシズムの導火線と位置付けられる五・一五事件です。
 主導したのは一部の海軍将校でしたが、農本思想家としての知名度が高かった橘は首謀者と目され、現に事件後の裁判では、犬養首相を射殺した将校は禁錮十五年とされたのに対して橘は無期懲役の判決を受けています(後に恩赦)。
 このことが、戦後、「農本主義的特質が非常に優位を占めていることが日本ファシズムの特徴」(丸山眞男)と評価されることにつながったのです。

ただし、橘と塾生達がターゲットとしたのは、首相官邸などではなく変電所でした。
 東京中の電気を消し、暗黒にすることで、農村に犠牲を強いている現在の資本主義や、それによって成り立っている日常生活の異常さを都会人に気づかせることができるのではないか、という狙いだったようです。
 しかし、手榴弾の多くが不発に終わるなど準備不足もあって、街灯もネオンサインも、一瞬も消すことはできませんでした。

出所:
 F. M. Letter -フード・マイレージ資料室 通信-
 No.240、2022年4月15日(金)[和暦 弥生十五日]
  https://www.mag2.com/m/0001579997.html
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