去る2012年4月20日 (火) は前日までの雨も上がり、久々の好天。
連日、テレビ等で放映されている戦地の映像から逃れたいという気持ちもあり、久しぶりに 「ぶらり歴史散歩」 に出掛けることに。
行き先は、大河ドラマを観ながら気になっていた埼玉・狭山市。
市の歴史・観光パンフレットを参考に Google Map で目的地と道順を確認。ぶらぶら歩いて2時間程度の行程です。
最寄り駅から西武新宿線で15分ほど、14時過ぎに狭山市駅に到着。
「埼玉西武ライオンズのフレンドリーシティです」との垂れ幕(今年もあまり強くないな~)。再開発された西口には、現代的な公共施設や商業ビルが並んでいます。
歩き始めると、突然、頭上からの爆音。
地図を見ると、航空自衛隊の入間基地がすぐ隣にあります。離着陸の訓練なのか、 ひっきりなしに様々なタイプの航空機が飛来します。
2011年に閉校となった入間小学校の跡地は公園として整備されており、かつて校庭に置かれ始業・終業の時を告げていたという鐘が移設されて往時がしのばれます。
すぐ隣の狭山八幡神社は、元弘三 (1333) 年、北条幕府を倒すために鎌倉に向かう新田義貞が戦勝祈願と伝えられる由緒ある神社。説明板もある「駒つなぎの松」 の古株の脇には、若木が植えられていました。
徒歩数分の慈眼寺は、武蔵野三十三観音霊場の第十六番。境内にはツツジが咲き始めていました。
ここから西北に転じて入間川の方向に向かったのですが、航空機の爆音はますます凄く、ほとんど真上を低空で通過していきます。
ついつい見上げていると、すぐ近くに自動車が来ているのに気づいて驚きました。自動車が近づく音も聞こえないほどの音なのです。ドライバー氏は「ぼーっと空を見てんじゃないよ」 と思ったに違いありません(文句は言われませんでしたが)。
入間川の手前の東京環状道路(国道16号線)は、かなりの交通量があります。横断歩道を渡ってすぐ右手に、ぽつんと小さな祠がたたずんでいました。
この日の最大の目当て、清水八幡神社です。「源義高終焉の地」と記された大きな標識が立てられています(裏面には源氏の系図)。
祭神は、大河ドラマでは若いイケメン歌舞伎俳優が演じている清水冠者義高(しみずのかじゃよしたか)。木曽義仲の嫡男で、頼朝と政子の間に生まれた大姫の婚約者という名目で鎌倉に下向しましたが、その実は体のいい人質でした。
その後、父・義仲が討滅されてからは微妙な立場となり、鎌倉から脱出したものの、寿永三(1184)年4月、この地で追っ手に捕えられて殺害されたのです。
享年12歳と伝えられています(満年齢だと10歳か11歳の「子ども」です)。
改めて神社をみると、鳥居はずんぐりと低く、祠は、粗末とも表現できそうな、古くてささやかな姿です。
すぐ脇の幹線道路をひっきりなしに自動車が通過していきますが、境内は、その騒音から隔絶された別世界のように、静寂を感じます。
祠の前のイチョウは、1~2センチほどのたくさんの若葉をつけていました。
これらの葉は大きく生長していくのでしょうが、義高は、若葉のままの身で摘み取られてしまったのです。
新富士見橋を入間川の対岸に渡ります。
空気が澄んでいれば、はるか秩父の山並みも望まれるのでしょう。入間川は穏やかに、ゆったりと流れています。恐らく義高の時代は、現在よりも流量が多く、川幅も広かったと思われますか。
河川敷の遊歩道には犬の散歩をする人の姿など。平和で穏やかな光景です。
橋の上で、談笑しながら下校中の小学生のグループとすれ違いました。義高と同じ位の年齢かなと、つい想像してしまいます。
10分ほど歩いた道路脇に、小さなお地蔵さまが祀られていました。
義高が追っ手から身を隠したと伝えられる影隠地蔵です。お地蔵さまの穏やかな視線の先には、からからと2つの風車が回っていました。
その時、取りわけ大きな爆音が近づいてきて驚いて目を上げると、満開の白い花水木の梢の上を大型の輸送機が通過していきました。
駅の方に戻ります。
昭代橋のたもとにはお洒落なカフェがあり、河川敷は公園として整備されて遊具が置かれています。子どもたちは連続する爆音を気にも止めず、無心に遊んでいました。
道路わきの花桃が目に鮮やかです。
駅にほど近い徳林寺は立派な伽藍。新田義貞が滞陣していたと伝えられています(場所は変わっているそうですが)。
狭山市立中央図書館に立ち寄ってみました。郷土資料のコーナーが充実しています(「狭山事件」関連書籍も多数)。ちなみに図書館前のポールには「時間を大切に!!」との看板。まだまだ「脱成長」は社会に浸透していないようです。
狭山市駅西口に到着したのは16時過ぎ。
おっと、こんなところに「ぎょうざの〇洲」の看板が! 期せずして生ビールと餃子など(実は予定の行動?)。
2時間ほどの散歩で消費したエネルギーを(補って余りある?)カロリーを補給しつつ、一人で振り返り。
戦争の映像から逃れたい思いで来たのですが、リアルな航空機の爆音と機影に、逆に戦争の臨場感に触れたような気がしました。むろん、訓練する自衛隊機と襲来するロシアの戦闘爆撃機とは全く別のものですが(自衛隊の皆さん、失礼しました)。
さらに想像が飛躍。ひょっとしたら沖縄の現状はこれに近いのかも、と。
これも頻度や音量、さらには夜間の飛行など、程度は違うのだろうと思いつつ。
世情不穏の中、今のところあまり大きく取り上げられていませんが、来る5月15日(日)、沖縄県は本土復帰50周年を迎えます。
ウクライナ危機は、沖縄の基地問題をめぐる議論にも影響を与えそうで懸念されます。ウクライナにも沖縄にも(これも単純に並べることは不適切ですが)、一日も早く平穏な日常が戻ることを祈りつつ。