【ブログ】湘南小麦刈り体験(麦踏み塾、神奈川・伊勢原市)

自宅近くに一画を借りている市民農園では、春夏野菜がすくすくと育っています。キュウリは最初の収穫も。
 初めて植えたズッキーニは大きな葉っぱと花。実が太くなってきました(面白いな)。

2022年6月5日(日)は曇り空の下、神奈川・伊勢原市へ。
 初めて伺いましたが、実は私にとって「聖地」の一つです(後述)。

この日は「麦踏み塾」が主催する湘南小麦の麦刈り体験の日。
 「麦踏み塾」とは、神奈川県下で小麦を栽培する生産者の方、石臼製粉プラント・ミルパワージャパン、湘南小麦でパンを焼くパン屋さん達が中心となって始めた食育イベントで、8年目になるそうです。

少し早めについたので会場近くの八幡神社の境内で昼食のおむすび。
 古くて小さな石祠が並んでいました。左端の石塔には「衛祖神」と刻まれています。

12時40分過ぎに集合場所(オリエンテーション会場)の大田公民館へ。
 小さな子どもを連れた家族などが続々と集まってきています。事前に送られていた健康チェックシートを提出し、参加費(1,000円)をお支払いして、パンフレットやワークショップで使うリボン等を頂きます。
 受付のテーブルの前には湘南小麦の説明パネルなど。

13時過ぎから集会室で、田雑(たぞう)事務局長によるオリエンテーションが開会。
 塾長の青沼一彦さんからは「地産地消の大切さを思いながら、楽しんでいって下さい」等の挨拶。恐縮ながら拙著も紹介して下さいました。

 青沼さんは、脱サラしてご自身も小麦を栽培しパンを焼きつつ、パン食文化研究室を主宰して国産小麦パンの普及に取り組んでおられる方。全国の国産小麦のパン屋さんの検索マップ「未来を変えるパン」も運営されています。

田雑さんによる1時間弱のオリエンテーションは、小麦の生産量の推移、自給率、栄養価、安全性、ウクライナ情勢の影響、麦踏み塾の活動と地産地消の意味など幅広い内容です。
 小学生相手に話をされる機会もあるそうで、分かりやすい説明でした。

ちなみに農水省資料によると、小麦の国内生産量は約110万トン(2021年産)、輸入量は約470万トン(20年度)ですから自給率は2割弱。8割を占める輸入小麦は、中国の爆買い、コロナ禍、ウクライナ情勢等により高騰を続けています。

いよいよ麦畑に向かいます。
 公民館の玄関前では、サポーターの方の指導により子ども達が石臼挽きも体験中。
 もとは一参加者だった方が、サポーターとして手伝って下さっているようです。

この地域は田植えの最盛期の様子で、水が張られた水田の向こう側には、晴れていれば霊峰・大山の雄姿が望まれるとのこと。
 一面に白い蕎麦の花が咲いている畑もありました。

麦畑に到着。
 天を突く黄金の麦穂が一面に広がる光景は、頭を垂れる稲穂とは異なる趣があります。農薬はあまり使用していないそうで、株元などには緑の雑草が繁茂しています。

生産者の内藤さんが待っていて下さいました。

安全に注意しながらの鎌の使い方を教えて下さいます(左利き用も準備して下さってました)。
 作業そのものは簡単で、刈る量も自分たちが持ち帰る分だけです。
 子ども達も楽しそうに、上手に鎌を使って麦を刈っていました。

畑の脇で、エピ(麦の穂の飾り)づくりのワークショップ。刈った麦を束ね、長さを揃えて、ひもやリボンでくくっていきます。
 できあがったものは、帰宅後、写真を撮って送ってほしいとのこと。

麦踏み塾のメンバーで、湘南小麦でパンを焼いておられるムール ア·ラ ムールの本杉シェフも参加しておられました。
 内藤さんからは、小麦生産の苦労話なども伺うこともできました。

最後まで雨が落ちてくることはなく、無事にイベントは終了。
 主催者の方はギリギリまで天気予報をみながら、開催するかどうか悩んでおられたそうです。

 公民館に戻って改めて受付のテーブルをみると、麦藁で作ったドイツのクリスマスの飾りが並べられていました。ストローオーナメントというそうで、クリスマスが終わると暖炉で焼くのだそうです。

お土産に本杉シェフのパン2種類と、協賛して下さった坂本養鶏の卵を頂きました。有難うございます。もちろん、刈らせて頂いた麦の束も。

輸入小麦の価格が高騰を続けるなか、国内における小麦の供給体制の整備が喫緊の課題となっていますが、そのためには関係者の連携が不可欠です。
 この地では、生産者、加工事業者、パン屋さんたちが連携し、消費者も(参加者あるいはサポーターとして)巻き込んで活動するという、理想的な姿が実現しているように思われました。
 外部の者には見えないご苦労もあるかと思いますが、皆さま、今回は大変お世話になり有難うございました。

16時過ぎに伊勢原駅前に到着。残りの時間は「聖地」めぐりへ。
 南口から北口のバスに乗り換えて最初に向かったのは、上粕屋にある洞昌院
 文明十八(1486)年七月、太田道灌は、この地にあった主君・扇谷上杉定正の館に呼び出され、入浴中に謀殺されました(享年55歳)。
 松の大きな切り株の間にある小ぶりな宝篋印塔が、道潅の墓(胴塚)と伝えられています。
 切り株の覆いは傾き、石塔の一部は倒れたままとなっているなど、いささか淋しい雰囲気です。

すぐ近くにある「七人塚」は、道灌とともに討死した家臣達の墓と伝えられています。
 突然、設置されたスピーカーから17時ちょうどのメロディーが流れてきて驚きました。

実は伊勢原市には、太田道灌の墓は2か所にあります。
 アプリでタクシーを呼んで(神奈中さんがすぐに来てくれました。便利です)下糟屋の大慈寺へ。
 扇谷上杉定正が鎌倉から移した寺で、道潅公菩提寺との標柱が立っています。道灌の画像(市指定文化財)が寺宝として伝わっているとのこと(非公開)。

小さな流れ(渋田川)に沿って少し歩いたところに、道灌の墓所がありました。中央の小ぶりな五輪塔が道潅の首塚と伝えられています。

有能な家臣を自ら誅殺した扇谷上杉氏は、同族の山内上杉氏との無意味かつ長期にわたる戦に疲弊し、やがて小田原北条氏により滅ぼされます。
 刺客に襲われた道灌は最期に「当方滅亡」と叫んだと伝わっていますが、その預言は60年後に現実のものとなりました。

徒歩で駅に向かいます。少し雲が切れて大山の頂も見えました。
 市役所にある道潅の像(ここも鷹狩姿)をみてから、駅南口の居酒屋へ。湘南の魚や地酒を頂き、19時26分発のロマンスカー・はこね60号の展望席(!)へ(ただし最後尾)。
 うとうとする間もなく、40分ほどで新宿に到着です。充実した一日でした。

後日、頂いてきた麦を束ねてリボンを結び、玄関先に飾りました。出勤や帰宅のたびに楽しかった麦刈り体験が思い出されそうです。

ところで隣町・東久留米市は、伝統品種・柳久保小麦の生産や加工に取り組んでいます。
 上右の写真は、青沼さんに教えて頂いたA緑化農園さん近くの麦畑の様子。この日(7日(火))は生憎の小雨模様でした。