【ほんのさわり】黒川祐次『物語 ウクライナの歴史』

黒川祐次『物語 ウクライナの歴史』(2002年8月、中公新書)
 https://www.chuko.co.jp/shinsho/2002/08/101655.html

外務省で駐ウクライナ大使等を歴任した著者が2002年に発表した本書が、ロシアのウクライナ侵攻を受けて改めて注目されて版を重ねています(手元にあるのは14版(2022年4月))。

10世紀のキエフ・ルーシ公国以来の歴史がありながら、ロシア・ソ連、ドイツ、ポーランドなど周辺の強国の圧迫と思惑により、ウクライナは1991年まで実質的な独立はできませんでした。ウクライナの歴史は「国のない」民族の歴史だったのです。
 もっとも独立のチャンスは何度もあり、その最大のものは1917年のロシア革命でした。
 民族自決の原則に従って、旧ロシア帝国の支配下にあったリトアニア、フィンランドなどバルト三国や北欧諸国は独立を果たしたのですが、豊かな穀倉地帯や炭鉱を有するウクライナをロシア(ソ連)は手放すことはありませんでした。「豊かな国土を持つことの悲劇」です。
 第一次世界大戦中の一時期、ウクライナを実質的に支配したドイツ(この頃のウクライナは入り乱れる各国の軍隊により蹂躙され、各地で都市ぐるみの虐殺等も行われたそうです)の最大の関心も、穀物の調達でした。ドイツ軍はウクライナの肥沃な黒土まで貨車で本国に運び去ったそうです。

その豊かな穀倉であるはずのウクライナは、20世紀に入って2度にわたって深刻な飢饉に見舞われました。1920〜21年には約100万人が、1932〜33年には300〜600万人が犠牲になったとされています。
 それは人為的な要因によるものでした。ロシア本国向けの食料を確保するため、ウクライナでは農業の集団化が強行され生産が停滞するなか、激しい食料徴発が行われたのです。ウクライナでは農民をはじめ甚大な犠牲が出たにもかかわらず、ロシア本国にはほとんど飢饉はなかったそうです。なお、これら大飢饉があったこと自体、旧ソ連の時代は隠蔽されていました。

現在、ウクライナは(日本人にはにわかに信じ難いほどの)頑強な抵抗を続けていますが、その背景には、本書で描かれているような過酷な民族の歴史があると思われます。
 著者の20年前の「ウクライナが独立を維持して安定することは、ヨーロッパひいては世界の平和と安定にとり重要」との記述が、現在、改めて重みを持って迫ってきます。

出典:
 F. M. Letter -フード・マイレージ資料室 通信-
  No.249、2022年8月27日(土)[和暦 葉月朔日]
  https://www.mag2.com/m/0001579997.html
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