【ブログ】山下惣一さんを偲ぶ会(東京・千代田区)

いよいよ「年の瀬」の足音が近づいてきました。
 2022年12月17日(土)は、東京・京橋で開催された「音楽で旅するコンサート」へ。主催は音楽を通した国際交流に取り組んでいるMay Music Office
 会場は、中央区指定文化財に指定されている明治屋ビル7階のホール。エレベータの扉の上にあるのは時計ではなく、階数を表示しています。

 この日は「ポーランド編」。
 ポーランド広報文化センター、中央区、(独法)国際協力機構の後援で、フルートと2台のハープでショパンやクリスマス音楽が演奏されました。
 トークも楽しいアットホームな雰囲気でした。

翌18日(日)の午前中は、自宅近くの東村山市諏訪町にある社会福祉センターで開催された「ふくろう読書会」に参加。
 先日、参加した国立でのカフェでご一緒した方(Hさん)が、地元で読書会を主催されていると伺っていたのです。
 アルジェリア滞在の経験もあるHさんが解説しながら、7名の参加者がカミュ『ペスト』を少しずつ朗読しながら進めていきます。読書会には色んなスタイルがあります。

午後は東京・一ツ橋の日本教育会館へ。
 本年7月に逝去された山下惣一さん(佐賀・唐津の農民作家)を「偲ぶ会」。10月の福岡会場に続いての東京での開催には、東日本を中心とした各地から120名近い方が参加されました。

13時30分、天明伸浩さん(星の谷ファーム、新潟・上越市)の司会により開会。

 全員で黙とうした後、呼びかけ人の一人である菅野芳秀さん(農業、山形・長井市)が挨拶(以下、文責は全て中田にあります)。
 「亡くなられた気がしない。告別式に参列したが安らかな顔だった。病気ではなく寿命で死ぬんだと言っておられたとおり、天命を生き切られたのだろう。農の現場から、戦後農政に対して真っ向から異議申し立てを続けて来られた。書いても話しても、重たい正論を軽妙な笑いに包み込む達人だった。
 山下さんの残されたことは、農を守ろうとする人に忘れ去られることはない。さよならは言わない。これからも一緒にやっていこうという思い」

続いて井上ユリさんから、
 「亡き夫(ひさし)と山下さんは1988年に出会って意気投合。山下さんの話に夫は椅子からずれ落ちて爆笑した。山下さんには夫が校長を務める生活者大学校の教頭になって頂き、何度も山形・川西町に来て頂いた。夫は山下さんに『口先百姓』と呼ばれて喜んでいたのを思い出す。
 ここ数年、生活者大学校はコロナの影響で開催できていないが、これからも二人の思いを引き継いで活動していきたい」等の言葉。

さらに、約60冊ある山下さんの著作のうち17冊を手掛けた相場博也さん(創森社)は、老舗旅館に缶詰めにして執筆してもらったこと、実現できなかった企画などのエピソードを紹介して下さいました。

続いて、山下さんの実質的な「遺作」となった『聞き書き』の著者である佐藤弘さん(元西日本新聞社)による、山下さんの一生を振り返る映像の上映。
 交流のあったタイの方からのビデオメッセージも。

第二部は「山下惣一とその時代」と題するシンポジウム。コーディネータは大野和興さん(ジャーナリスト、日刊ベリタ)です。

 冒頭、佐藤藤三郎さん(農業、山形・上山市)から、
 「山下さんは私の半年ほど年下で、戦後の食料不足期など同じ時代を生き、青年団など同じような活動にも参加してきた。人を傷つけないように上手に話をされる方で、他人にはまねのできない表現力をお持ちだった。
 私が娘を亡くした時にはハガキを頂き、『残された者が幸せに暮らすことが最大の供養』と温かい言葉をかけて下さった」等と話して下さいました。

続いてパネリストの方々から発言。
 阿部孝夫さん(生活者大学校)は、
 「山下さんは最後までブレることがなかった。相手のDNAに働きかけるような話し方で、大いに元気を頂いた」等の話。

 石井恒司さん(農業、千葉・三里塚)からは、
 「山下さんにはタイやアフリカにも連れて行ってもらった。お金を出せば食べものを買える時代は終わりつつあり、都会の人も、自分のものは少しずつでも自分で作ることが大事」等の発言。

 吉岡照充さん(農業、神奈川・川崎)からは、
 「山下さんが呼びかけた全国百姓座談会に参加したことが私の人生の転換点になり、自分が食べるものくらいは自分で作りたいと思って農業を始めることになった。山下さんが思ったこと、言ったことは実現し、人が育っていった」等の話。

 西沢江美子さん(ジャーナリスト)からは、
 「今日はこれだけの人(神輿を担ぐ人)が集まり、さすが、山下さんは神輿に乗るのにふさわしい人だったと改めて実感している。山下さんの作品は『女っ気』がない(女性があまり登場しない)のが特徴」

大野さんの指名で、会場からも何名かの方が発言。 
 徳野貞雄先生(熊本大名誉教授)からは、
 「自分は農村社会学の研究を続けているが、山下さんは天性の農村社会学者だった。『ケツまくり論』とも呼べる文章は、読むとスカッとする。主張がブレなかったのは、客観的に自分の後姿が見えていたためではないか。強い主張だけではなく、悲しみなども綺麗に書ける人だった」との言葉。

最後に大野さんから、
 「山下さんは、なぜ、あんなに海外に行くのだろうかと思っていた。小農としての危機感があったのではないか。戦争が起こり、国民の半数以上が軍備増強に賛成している時代。一方で日本は、小農が天皇制に包含され15年戦争を下支えしたという歴史を持っている。
 国としての食料安保ではなく、国家を超えた百姓の連帯の必要性を、山下さんは言葉と行動で訴えていた」等のまとめがありました。

この日は、妻の須美子さん、妹さん始め、親族の方々も九州から参加して下さっていました。
 須美子さんからは一言、「優しいお父さんでした」。

最後に近藤康男先生から、『惣一じいちゃんの知っているかい?農業のこと』が最も強く印象に残っている等の挨拶があり、「偲ぶ会」は終了です。

会場を移動しての立食での懇親会。山下さん宅のみかんも配って下さいました。
 呼びかけ人のお一人、榊田みどり(農業ジャーナリスト)さんから、山下さんを取材された時のエピソード等の挨拶。
 懇談会の途中では、山下さんとゆかりのある方が次々と登壇。福岡出身の作家、島村菜津さんもスピーチ。僭越ながら私も指名を頂き、九州農政局在勤中に講演に来て下さったこと等を紹介させて頂きました。
 山下さんを偲びつつ、会場のあちらこちらで話の輪が広がります。久しぶりに懐かしい方々とリアルで対面できた喜びが溢れているようです。山下さんが作って下さったご縁のお陰です。
 呼びかけ人など有志の方々は、さらに会場を変えて二次会へ。美味しい山形の日本酒などを頂きました(ご馳走様でした)。

深く心に残る「偲ぶ会」でした。呼びかけ人の皆さま、スタッフを務めて下さった皆様に感謝申し上げます。
 呼びかけ人の方達の著書なども求めさせて頂きました。年末年始の休みに、山下さんを偲びながら、ゆっくりと拝読しようと思っています。

この日の深夜から未明にかけて行われたワールドカップ決勝は、PK戦にもつれる熱戦に。アルゼンチンがフランスを下して36年ぶりの優勝。