【ブログ】有機農業の未来に向けて語る ~金子美登氏・大和田世志人氏を偲んで~

2023年3月28日(火)の夕刻は東京・世田谷区へ。桜新町の駅近くには花のオブジェ。よく見たらサザエさんです。

この日19時から、JA世田谷目黒ファーマーズセンターの会議室で開催されたのは「農あるまちづくり in 世田谷」の第2回講座。
 冒頭、コーディネータである蔦谷栄一先生(農的社会デザイン研究所)から、アンチ商品化・均一化、日本的な風土や文化、自治、協働にこだわりつつ、農的社会を実現していきたいとの講座全体の趣旨の説明。

続いてJA東京中央営農支援課の方から、「せたがやそだち」をめぐる活動(ブランド化、使用店登録制度、大蔵大根の保存、体験農園等)について説明がありました。
 受講者との質疑応答の中では、「市民の皆さんが地元農産物のことを知ってもらうことが、何よりも生産者の励みとなる」との発言もありました。

2023年3月30日(木)は、数日来の雨も上がり青空が広がり好天。春の眩しい日差しを浴びて、国会前庭の桜が散ります。
 議事堂(国会開会中です。)の前を通って憲政記念館へ。現在、建て替え中で代替施設がオープンしています。

この日、15時30分から開催されたのは「有機農業の未来に向けて語る ~金子美登氏・大和田世志人氏を偲んで~」。主催は全国有機農業推進協議会(全有協)です。

昨年、日本の有機農業のパイオニアであり、リーダーでもあった⾦⼦美登さん(埼玉・小川町、霜里農場)と、⼤和⽥世志⼈さん(かごしま有機生産組合)が、相次いで急逝されました。
 日本の有機農業のパイオニアであり、かつ、リーダーとして、全有協の初代・二代目の理事長も務められました。この会は、お二人を偲びつつ、有機農業の未来に向けて語ろうという趣旨です。
 会場は、全国からの多くの参加者でほぼ満席となりました。

会場の脇には、金子さん、大和田さんのご遺影(お二人ともいい表情をされています。)とともに、ゆかりの書籍や出版物が展示されていました。
 正面にも、お二人の写真が掲げられています。

小原壮太郎(全有協事務局長)と島村菜津さん(農業ジャーナリスト)による司会で開会。

まずは、国会議員の方々が次々と登壇。
 呼びかけ人の一人でもある篠原孝議員(立民)からは、
 「金子さんとは40年来の付き合い。金子さんの人生は、日本の有機農業の歴史そのもの。様々な苦労もあったなか、地道に取り組んでこられ、ようやく国も意欲的な目標を立てるまでになった。提携の取組は、OECDでの金子さんの報告がきっかけとなって、CSAとして国際的に広く知られるようになった」等と話されました。

続いて、川田龍平議員(立民)、菅直人前首相(立民)、宮越光寛議員(自)、山田俊男議員(自)、紙智子議員(共)、須藤元気議員(無)、福島伸亨議員(自)らから挨拶。正に超党派です。

舟山康江議員(立民)からは、
 「昨年、農林水産委員会のメンバーで霜里農場を見学させて頂いたが、その数か月後にまさかの訃報があり驚いた。ようやく日本における有機農業の取組みが軌道に乗りつつある時に、先駆者のお二人を亡くしたのは残念だが、思いを受け継ぎ、政策にも反映させていきたい」等と話されました。

呼びかけ人代表の枝元真徹氏(前 農林水産事務次官)からは、
 「自分は鹿児島出身。大和田さんからは人としての生き方を学んだ。有機農業生産者の生計のことをいつも気にかけておられた。今日は、持続可能性のある日本社会を作ろうとされていたお二人のご遺志を引き継ぎ、今日は未来を語っていきたい」との挨拶。

下山久信・全有協理事長からは、
 「私は金子さん、大和田さんより若干若い。有機農業推進法ができてから16年がたったが思ったほど拡大していない。しかし、みどり戦略が発表され、昨日は農水省で意見交換を行った。ここ5、10年が日本農業再生のチャンス」との発言。

鹿児島・有機生産組合からも9名の方が参加。
 闘い続けながら志半ばで亡くなられた大和田さんに教えてもらった有機農業をさらに続けていきたいとの決意表明がありました。ご遺影に呼びかけられる方も。

魚住道郎氏(日本有機農業研究会理事長)からは、
 「金子さん、大和田さんは、日本の有機農業第一世代の同志だった。多くの人に、お二人の遺志を引き継いでいってもらいたい。自分も卒業するつもりはない」とし、水俣『いのちの道』を熱唱。

金子さんとは農業者大学校第一期の同級生だったという方は、現在は島根・益田市を中心に有機農業を広げる活動を続けておられるとのこと。

霜里農場の「ゴミ出し担当」だったと自称する方からは、牛やカラスにも家族同然に声を掛けておられていたという金子さんのエピソードを紹介してくださいました。

フランスで産消提携を定着させる活動をされている方、国際有機農業運動連盟(IFOAM)の方からもご発言。

福島・二本松から参加された菅野正寿さんは、東日本大震災時に金子さんから支援してもらったことを紹介されつつ、「原発事故から13年、里山は放置されたまま。原発と農業は共存できない」と訴えられました。

有機農業を担当してきた農水省OBの方(及び現役の方)も何人も参加され、寡黙で人望のあった金子さん、アイデア豊富だった大和田さんとの思い出等を語っておられました。

40年間、有機農業の研究を続けられてきたという谷口吉光・秋田県立大学教授からは、
 「お二人以外にも、最近、亡くなられた方が多い。これらの方たちの身を削るような尽力に私たちは甘えていたのではないか。これ以上、悲劇を繰り返してはならない」との発言。

「夢のなかに出てくるなど、金子さんは今も自分の中に生きている」とする元研修生の方も。

全有協でともに活動してこられて吉野隆子さん(オアシス21オーガニックファーマーズ朝市村、名古屋市)は、時折、声を詰まらせながら、
 「日本の有機農業の礎を作ってくださったお二人に感謝しつつ、思いを受け継ぎ、これからも取り組んでいきたい」と決意表明されました。

ご遺族の方からの挨拶。
 金子友子さんからは、菅直人元首相や作家・有吉佐和子さんとの出会いを通じて、美登さんと二人三脚で有機農業に取り組んで来られた歩みについて話して下さいました。

 大和田さやかさん(世志人さんの次女)は、体調不良という良江さん(世志人さんの奥様)のメッセージ(有機農産物が、特別なものではなく、みんなが普通に食べられるものになるように)を紹介し、一方、理念だけでは広がらないと「地球畑」等で販路拡大に取り組んできた父の活動については、商業主義との批判もあったこと等を話してくださいました。

最後に、井村辰二郎・全有協副理事長からの挨拶。
 「最初、有機農業の関係者の方たちと会った時は、激しい議論するなど怖い印象もあった。金子さん、大和田さんを含め、近年、4名の理事経験者の方が亡くなった。世代交代が必要。当たり前に有機農産物が手に入る社会にしていくために、これからも頑張っていきたい」との決意表明がありました。

 その後は、友子さんの解説付きで生前の金子さんを記録した映像の紹介があり、終了後はお二人のご遺影の前に全員が並んで記念写真の撮影。

町村会館に会場を移しての懇親会。
 コロナ禍でしばらくお目に掛かれなかった懐かしい方々とも再会できました。
 YAEさんも見えられ、素敵な歌声を披露して下さいました。最後は全員で「ふるさと」の合唱。

お二人の巨星を喪ったことは、大きな悲しみです。
 特に金子さんには、何度も小川町の農場を見学させて頂き、時には自宅に上がらせていただいて様々なお話を伺っていただけに、昨年9月に訃報に接した時には、大きな喪失感を覚えたものです(山下惣一さんの逝去から2か月後のことでした)。
 この日の会は、しめやかななかにも、賑やかに未来を語る会となりました。