【ブログ】記録映画『出稼ぎの時代から』

暑い日が続きます。夏空を衝くアメリカノウゼンカズラの赤い花が鮮やかです。

2023年7月1日(土)の午後は、東京・世田谷区経堂のCSまちデザインへ。
 市民講座「食と農の『今』と『未来』」第3回は「ひととむらの物語・記録映画『出稼ぎの時代から』上映会&トークショー」です。
 到着したのは13時50分。映画はすでに始まっていました(開始時間を30分勘違いしていました。最近、このようなことが多いです(涙))。

「高度経済成長期」真っただ中の1966年、当時20歳だった本木勝利青年は、故郷である山形・白鷹町から川崎市東部の都市開発の建設現場に出稼ぎに出ました。そこで撮りためた写真を復元し、その後の農村の動きを付け加えて一本の記録映画が製作されたのです。

 映画の前半は、本木青年が撮影した写真によるスライドショー。
 建設現場で働き、プレハブの飯場でくつろぐ仲間の姿。ささやかな誕生会などの愉しみ、食事代などを引かれて多くはない手取り収入を郵便局で故郷に仕送りする様子も。

『出稼ぎの時代から』予告編より。

事故の様子、労災が認められず泣き寝入りする仲間の姿も描かれます。これを企業は「災害ゼロ」と喧伝していたとのこと。

映画の後半では、現在の本木氏(町議も務められたとのこと)など関係者の方が登場します。
 1960年代に出稼ぎが増えたのは、耕うん機等が農村に普及し現金収入が必要になったため。その後、工場誘致等で出稼ぎは減ったものの、今度は誘致した工場が閉鎖されて労働争議が起こったことなども語られます。
 規模拡大を進めてきた農業法人の経営の方、都市部から移住して新規就農した若者たち、工場で働くベトナム人技能実習生の女性たちも登場します。
 何歳になっても農産加工に取り組んでいきたいという女性も。

 しかし、米価低迷もあって荒廃農地も増えているとのこと。区画整理した水田のすぐ隣には、セイダカアワダチソウの群落がありました。

一方で、出稼ぎ者を受け入れた地域である川崎市の農家の方も登場されます。
 都市化が急速に進むなかで、生協と提携しながら現在も農地と農業を守っておられるそうです。

後半は、この映画を作った大野和興さん(ジャーナリスト、日刊ベリタ主宰)と、白石好孝さん(東京・練馬区、白石農園)によるトークショーです(以下、文責中田)。

大野さん
 「現在83歳。秩父在住で『秩父雑穀自由学校』の主宰などもしている。
 一貫して反TPP、反貧困運動等に関わってきたが、東京ではなく地方から活動・発信したいと思い、全国の農村を歩いてきた。現在もコロナ禍の下で迷惑をかけないようにと思いながら歩いている。この映画の出演者も、古い付き合いの人が多い。
 出稼ぎが始まったのは、私が日本農業新聞の記者としての駆け出しのころ。本木さんの写真を見て、同時代を記者として生き、村や出稼ぎ現場を取材したことがよみがえった。白鷹の友人・知人と製作委員会を作り、町の後援など資金を集め、私と本木さんが共同監督として作ったのがこの映画」
 「当時の出稼ぎは労災なども不十分で、人が死ぬのも当たり前だった。今の若い人は『飯場』(注:はんば。現場付近に設けられた簡易な宿泊施設)という言葉さえ知らない。記録として残しておく必要があると思った」
 映画の製作は初めてだったが、実は映画監督という肩書が欲しかったという本音もあった(笑)」

 
白石さん
 「ちょうど10歳の時が東京オリンピックだった。それまでは練馬や板橋も純農村地帯で水田もあった。東急沿線等からはやや遅れて高島平団地などが開発され、地域の姿は大きく変わった。出稼ぎの人たちの姿も身近にあった」

 「しかし、以前は農業や農政のことがマスメディア等でも話題にされることが多かったと思うが、現在はどうか」との問いかけに、

大野さん
 「ウクライナ危機等もあり、政治や国のレベルでは、にわかに食料安全保障や自給率について議論されるようになっている。しかし、現在も農村を歩いているのだが、ひっそりとしているというのが実感。食料安全保障など自分たちには関係ないという空気がある」

白石さん
 「1990年代には、米の自由化に反対するため全国の農協青年部が東京に集まり、日比谷公園での集会のあとトラクターでデモをして爆竹まで鳴らしたことを思い出す。隔世の感がある」

大野さん
 「私は1940年生まれで、農村の変化を肌身に感じながら生きてきた。戦後に農地改革が行われ多くの自作農が誕生した。耕作者が農地を持つべきという制度、思想だった。米自由化論の頃には、日本に農業・農家は要らない等の激しいバッシングも受けた。
 その自作農が、現在、解体され消えつつある。この後の農村がどうなっていくのか、全く見通せない。例えば(映画でも紹介したような)外国人が農民となって居ついてくれるか、AIなど先端技術が救いとなるのか。
 たとえ零細であっても自作農を壊したくないというのが私の思い。効率化や規模拡大ではなく、1haでどのように食べていくかをもっと議論しておけば、現在のような状況にはならなかったかも知れない」

白石さん
 「私の経営は1.3haと零細だが、近隣に多くの住民(顧客)がおり、体験や直売でやっていける可能性は大きいと感じている。
 ところで男たちにとって、出稼ぎはつらいばかりのものだったのか」

大野さん
 「男たちにとっては半分は楽しみだったのではないか。半年近く家を離れるという解放感もあっただろうし、工事現場の近くでクレソンを栽培してレストランに売り捌いていた人もいたらしい。百姓はしたたかだ。
 ところが男が出て行って、女性たちが全てをやらなければならなくなった。大変だったと思うが、女性の意識変化につながった面もあったのではないか」

会場、オンライン参加者との質疑・意見交換。
 川崎市の女婿からは「都会と農村の関係がよく分かる映画だった。消費者として日本の農家を支えるためには何ができるかと考えた。食べる仲間を増やしていきたい」との感想。

税制など都市農業についての質問には、白石さんから、
 「1992年に生産緑地法ができ、30年間農業を続けるという『踏み絵』を踏んで税制の特例を得た。いばらの道かとも思ったが、今回の特例法では、94%が10年間延長することを選んだ。都市農業は、都市住民に農業のことを伝え、全国の仲間に都市の情報を伝えるという役割があると思っている」

大野さんからは最後に、
 「労働者の低賃金が農産物の低価格につながっている。農業のために一番必要な政策とは、最低賃金を上げることではないか」との提言。
 また、「現在、国が見直しを進めている「食料・農業・農村基本法」に不測時の食料の確保・配分に必要な義務的措置が加えられようとしていることには注意が必要。かつての国家総動員体制下では、青森では田の草取りを後回しにしてリンゴの袋かけを優先した多くの農民が検挙されるという事件があった」との紹介も。

 さらに「一方、生活困窮者に食べものを配ろうとすると生のものは困ると言われることがある。調理する場所が必要となるし、そもそも水道やガスを止められている家庭もある。
 国全体の食料安全保障といった観点ではなく、食べるということをもっと幅広く考えていくことが必要ではないか。いつでもだれでも食べられるということは、食の権利であり、食の民主主義。自分が食べるものは出来るだけ自給していくということも重要」とのお話がありました。 

最後に総合司会の榊田みどりさん(CSまちデザイン理事、農業ジャーナリスト)から、
 「農村の現場で自作農が解体されつつあるという話は、ショックだった。今後は、都市、農村を問わず、生産者と消費者を分けることなく、それぞれが農的な生活を選択していくことも重要ではないかとも思った」との総括。

 さらに、次回の講座「親子で食農体験」の紹介がありました。
 7月15日(土)10時から練馬・白石農園にて、この日の登壇者のお一人・白石好孝さんが指導して下さいます。大人だけ、一人だけでの参加でも大丈夫ですので、関心のある方は主催者までお問い合わせ下さい(中田も「食と農の市民談話会」の一環として協力させて頂いています)。