久しぶりに岡山へ。
40年ほども前ですが、大学時代の4年間を過ごした地であり、妻の実家もあります。
2023年8月18日(金)の終業後はJR東京駅へ。
台風7号の接近・通過に伴って前日までダイヤが大幅に乱れていた東海道新幹線も、この日は平常運転で一安心。駅はUターンで混雑していますが、博多行き18時12分発のぞみ57号には空席も。
大きな焼き鯖のお弁当とビール。21時25分定刻に岡山着。タクシーで妻の実家へ。
翌19日(土)は快晴。ちなみに岡山県は「晴れの国」と呼ばれています(JAも晴れの国)。今夏は岡山も猛暑とのこと。
お借りした電動アシスト自転車(これは便利!)で、まずは岡山城に向かいました。途中、渡った旭川は、私の故郷・徳島の吉野川とは趣が異なり静かでゆったりとした流れです。
昨年11月に令和の大改修が完了したばかりの岡山城は、漆黒の外壁はより黒く、しゃちほこと瓦の金箔が青空をバックに輝いています。
天守閣前の広場には、色鮮やかなたくさんの和傘。夜にはライトアップされるようです。
土台が不等辺五角形をしているという天守閣内は、地元出身の歴史家・磯田道史氏の監修により、宇喜田秀家、小早川隆景、池田光政と時代が異なる三人の岡山城主を中心とした展示が行われています。
関が原合戦を描いた映像も、西軍の実質的な総大将であった秀家、「裏切り」の秀秋、毛利勢を抑えた池田輝政(光政の祖父)を中心に描かれていました。
初代岡山藩主・池田光政に仕えて治山治水等に功績をあげた熊沢蕃山の書状、磯田先生寄託のコレクション、屋外には発掘された宇喜多時代の石垣等の展示も。
体験も交えるなど、分かりやすくて子どもも楽しめる内容です。忍者屋敷のコーナーでは手裏剣を投げることもできました(ゴムでした)。
気が付くと自動販売機も真っ黒です。
お昼時になったので、隣接する後楽園門前のお茶屋さんで天ぷら付きの手延べうどん。
地元名産という「ガラエビ」は、金沢のガスエビにも似て美味。殻ごと食べられます。
水分補給のため、やむを得ず地ビール・独歩。
後楽園にも、外国の方を含めて大勢の観光客。
藩主の静養や賓客接待の場でもあったそうですが、それにしても暑い。池田公の頃はこれほどの猛暑はなかったのでしょう。地球は「人新世」に入りつつあるのかも知れません。
築山、滝、梅林、茶畑など、地形の変化もあり園内は多彩。井田(せいでん)に植えられたもち米は青々と育っていました。
日が暮れるとライトアップや演奏会等のイベントが開催されるようです。
林原美術館では「表情」をテーマにした企画展を開催中。
学芸員の方によるユーモラスな説明プレートが楽しい展示でした。
岡山一の繁華街・表町のアーケードに入ってみると、いつも以上の多くの人並みで溢れています。この日と翌日の2日間、「うらじゃ」という岡山最大の夏祭りが開催中。コロナ禍で数年ぶりの本格開催とのこと(28回目となるそうですが、私は知りませんでした)。
拡声器で大音量の音楽を流すトラックの後を、顔に独特のぺイントを施したユニフォーム姿の男女(「連」)が踊り歩いて行きます。
ちなみに「うら(温羅)」とは、渡来人とも伝えられる古代吉備王朝の統治者。中央のヤマト政権から派遣された吉備津彦により「鬼」として「退治」された話は、桃太郎伝説の原型になっています。
うらじゃの熱気には、中央に対する岡山人の反骨の気概がこもっているのかも知れません。
喧騒を離れ、GoogleMapで「史跡」を検索してみると、近くに「宇喜多直家供養塔」との表示。
行ってみると、大通りから入った岡山寺(北区磨屋町5)の境内に大きな供養塔らしいものが祀られていますが、説明板などは一切ありません。
法要の準備をされていたらしい住職さんが出て来られたので尋ねてみると、確かに直家公の供養塔でした。
続いて「小早川秀秋之墓所」の表示を目指して北上。
細い裏通り沿いにある瑞雲寺(北区番町2)には、「岡山城主 小早川秀秋公菩提寺」との石柱がありました。
秀秋公が祀られている本堂内は普段は公開されていないようですが、この日は偶然、法事のご親族の方がいらっしゃって扉は開いていたので、お参りさせて頂きました。
実は今回、あまり下調べをしていなかったのですが、まずは1日目のぶらり散歩は終了。
妻の実家近くの中華料理屋さんは、なかなか美味でした。(2日目以降に続く。)