2023年も9月に入りました。
玄関先のプランターのスダチは、今年もたくさんの実を付けてくれています。もっとも猛暑続きで、妻が毎日のように水撒き。
今年は関東大震災からちょうど100年。
その9月1日(金)の防災の日は、職場で三陸常磐ものネットワークが企画したお弁当を頂きました。東日本大震災と原発事故を受けて、三陸・常磐の海産物を「食べて応援」しようという企画。経産省が音頭を取り、農水省でも何回か職員向けにお弁当を販売しています。
この日は穴子重御膳を頂きました。「食べて応援」ではなく、美味しいものを頂くことで応援してもらっています。
しかし8月24日(木)に処理水の放流が始まって以来、中国による全ての海産物の輸入停止、大量の嫌がらせ電話等の度を越した反応には、辟易です。
防災の日に先立つ8月28日(月)は、まずは九段下の「魚鐵」さんで腹ごしらえ。お昼前ですがほぼ満席です。
赤ガレイの煮付け定食には、お刺身の小鉢(といっても種類、ボリュームたっぷり)も付いています。暑いので水分も補給。ご馳走様でした。
門前仲町からバスで有明へ。
目的地は、そなエリア東京。東京臨海広域防災公園の一画にある防災体験学習施設です。それにしても暑い。
屋外には起震車。この日まで、関東大震災特別企画展が開催されていました。
首都直下地震を体験できるという「東京直下72hTOUR」に参加(オンライン体験(Youtube)はこちら)。平日の午後でしたが、小さな子どもを連れた家族連れなどで賑わっています。
最初に一人ずつタブレットを渡され、クイズに回答しながら進む企画とのこと。
ガイドの方の「寒い冬の夕方であると想像して下さい」との説明(無理です)の後、エレベータを出ると、そこは発災直後の街の様子を再現した実物大のジオラマ。
傾いた電柱、壁が崩れ落ちた店舗などなかなかの迫力です。住宅内には家具が散乱。ここは固定していた場合と比較できるようになっています。
避難所の様子も。地震発生後を生き抜くヒントや備えたいグッズなどについて、クイズを交えながら学習していくというものです(100点満点で80点でした)。
非常食の展示と販売もされていました。
最近の非常食は、工夫されて美味しいものが増えているそうです。
100年前の関東大震災では、犠牲者が10万人を超えるという大惨事となりました。その一因として、当時の東京市に人口が過度に集中していたことが指摘されています。
ところが以下のグラフにあるように、東京圏への人口・経済等の一極集中は、当時とは比べものにならないほど進んでいるのです(拙メルマガでやや詳しく紹介させて頂きました)。
一方で、東京圏における農地面積は大きく減少しており、身近なところの食料の供給基盤は、ますます喪われているのです。
災害大国とも呼ばれる日本ですが、過去の大震災の教訓は生かされていないかのようです。
このようなことを思いながら、この翌日は東京・世田谷の芦花公園を訪ねました。
徳冨健次郎(蘆花)が移住した頃は純農村地帯で、関東大震災の時には近隣の若者たちが地元で獲れた野菜などを牛車に積んで被災者の支援に向かったという記述が、随想集『みみずのたはごと』に記されています。(以下、別記。)