−徳冨健次郎『みみずのたはこと』(大正二(1913)年刊)−
[青空文庫]
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徳冨健次郎(蘆花)は、1868年 熊本・水俣の生まれの小説家。兄は思想家・ジャーナリストの蘇峰。1889年に上京し小説家としての地位を確立しましたが、1907年には東京府北多摩郡千歳村大字粕谷(現・世田谷区粕谷)に転居し、1927年に亡くなるまでこの地で「農的生活」を送りました。
その千歳村での出来事をスケッチした随筆集が本書です。
転居した当初の千歳村は、鉄道も開通していない純農村地帯でした。一帯は田畑と雑木林ばかりで、隣家までは100mほども離れていたそうです。
自嘲を込めて「美的百姓」と称した健次郎にとって、農(農民)は崇敬の対象でした。
「農は神の直参である。自然の懐に、自然の支配の下で働く彼らは、人間化した自然である」「農は、神とともに働き、神とともに楽しむことを実行できる職業である」等と記されています。
本書には、関東大震災についてもリアルタイムで記録されています。
千歳村には大した被害はなく(八幡宮の鳥居や著者の自宅の壁は崩れたそうですが)、発災5日後の9月6日には、村の青年たちが、馬齢種、とうもろこし等の食料を牛車11台に満載して都心に支援に向かい、被災者に「生き返る」と喜ばれたとのこと。また、都心から避難してきた人たちも受け入れ、「何と言っても人は食うて生きる動物。食物をつくる人には、まさかの時にびくともしない強みがある」「こんな時こそ、都会の居住者も自然の懐の嬉し味をしみじみ思い知る」と記されています。
なお、「隣の字で鮮人を三名殺してしまったことは、すまぬ事、はずかしいしい事」との記述もあります。
著者の旧宅は、現在、周辺の土地と合わせて都立蘆花恒春園(芦花公園)として整備されています。
昨日(2023年8月29日)訪ねてきましたが、周辺は住宅地ばかりで農地は見当たらず、本書に描かれている純農村地域の姿は想像することもできませんでした。
100年前には都心への食料支援を担ったこの地も、すっかり都会に変貌しています。
出典:
F.M.Letter-フード・マイレージ資料室 通信-pray for peace.
No.274、2023年8月30日(水)[和暦 文月十五日]
https://www.mag2.com/m/0001579997.html
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