2023年9月8日(金)の夕方は、東京・京橋で車座座談会に参加。
全国の一次産業の現場を歩かれている高橋博之さん((株)雨風太陽)が、参加者と車座になって目指す社会のビジョン等について語り合う会。今回で何と1280回目に当たるそうです。
本ブログの記録によると、私は、2016年7月(八王子)、同12月(神田)、17年12月(神田)、19年12月(渋谷、神田)、20年8月(オンライン)以来の久しぶりの参加です。
翌日にも台風13号が上陸との予報ですが、幸い、雨は落ちていません。
18時15分頃に会場の中央区立京橋公民館に到着。主催者のSさん達が会場を設営して下さっていました。畳の座敷の中央には『都市と地方をかきまぜる』など高橋さんのご著書が並べられ、ぐるりと囲むように座布団や椅子が並べられています。
間もなく、雨風太陽のTシャツ姿の高橋さんも現れ、定刻の18時30分にスタート。
この日の参加者は、遅れて来られた方を含めて16名。ちなみに恐らく私が最年長で、30代以下と思われる若い人が多いのがこの会の特徴です。
この日は、半数ほどが車座には初参加だった様子。
高橋さんは指名して自己紹介を促しつつ、概要、以下のような話をされました(文責・中田)。
「車座を続けている目的を聞かれることが多いが、特にない。趣味みたいなもので、やりたくてやっているだけ。続けていれば、後から意味は立ち上がってくるのではないかと思っている。
ちなみにこの会は、江戸時代の百姓一揆の唐傘連判状のように参加者は平等。私が一方的に話をするのではなく、ぜひ皆さんから様々な意見をお聞きしたい」
「福島第一原発のALPS処理水放出が始まったことについては音声アプリ・Voicyでも話したが、これが風評被害につながるかどうかは、正に消費者次第。
消費者が美味しく食べている様子を発信していくことが、科学的な安全性を証明するだけではなく、心理的な安心にもつながる」
「福島の漁師のなかにも色んな意見がある。賠償金をもらっていればいいという人もいれば、魚を獲って消費者に喜んでもらいたい、賠償金では元気になれないという人もいる」
「そもそも今回の処理水放出以前の問題として、全国の漁業者と会って話すと、近年の気候変動に危機感を訴える声が多い。日本近海の海水温度が高くなっており、獲れる魚種や生態系も変化。貝毒も広がっている」
「“NIMBY” (Not in my backyard)が、日本人の一番悪いところ。
ごみ処理場にせよ、原発や中間処理施設にせよ、迷惑施設と言われるものは誰かが引き受けなければならないことは分かっていながら、自分の裏庭(my backyard)に持ってこられることには強く反対する」
「朝日新聞記者だった故・むのたけじさんは、戦後、自らも戦争協力者であったとして新聞社を辞めた。ドイツでは国民全体が詫びたのに対して、日本人は、戦争責任を一部の政治家や軍部に押し付けただけで総括ができていない」
「さんざん福島の原発で作られた電気を使っていながら、事故が起こったからと福島産の水産物を食べないということでは、あまりに無責任ではないか」
「正直、私自身も、全く原発に頼らない生活はできないと思う。それだけ電気に依存している。だからこそ、起こしてしまった事故の後始末や廃炉に向き合い続けることが必要ではないか。どうやって自分のこととして引き受けるか。観客席からグラウンドに降りて、自らも当事者になることが求められている」
参加者との間で、ざっくばらんな意見交換。
今回のALPS処理水の放出については、
「小さな子どものいる人など福島の水産物を食べたくない人の気持ちは分かるし、無理に薦めようとも思わないが、嫌がる本当の理由を知りたい」との意見。
「除染土については、法律で30年後に県外に移す等の処理の枠組みが決まっているが、今回の処理水の放出決定については唐突な印象は否めなかった」とのコメントも。
一方、「放出は何も1週間で決まったわけではなく、経産省の小委員会等で何年も議論してきたことで詳細な経過はHPでも公表されている。私たちに当事者意識が欠けていたのではないか」との意見も。
高橋さんは
「政府は『関係者の理解なしにはいかなる処分も行わない』との約束を破ったのは事実なのだから、せめて総理から詫びの言葉を聞きたかった」と発言。
さらに参加者からは、
「自分の安全の話だけでいいのだろうか。資本主義、効率性の下で、生きることのリアリティが見えなくなっているのではないか。途上国を訪問した時、人々は厳しい生存環境のなかでも生かされている実感を持ち、幸せに生きているように感じた。それに対して、何不自由なく生きているはずの日本人の心の中には、ぽっかりと空洞があるように思う」といった発言。
高橋さん
「現代は完成された消費社会で、自分たちの食べものも誰かが作ってくれていると思っている。生産と消費が離れていくと、自らの労働の成果が見えなくなり、働く喜びが感じられなくなる。それが『生』のリアリティの喪失にもつながっているのではないか。せめて顔の見える関係をつくりたいと思い『食べる通信』や『ポケマル』にも取り組んできた」
「人類は資本主義が発達してから150年くらい、観客席にとどまったままだった。観客席は楽だけどヒマ。阪神大震災の時は、自分もプレーヤーになろうと多くがボランティアに参加し、ボランティア元年と言われた。観客の立場に飽き足らなくなり、自らグラウンドに降りてくる人は増えてきている。地方に移住した知人も多い」
「当事者」についても様々な意見が交わされました。
複数の方からは「世の中には多くの問題があって、とてもその全てを当事者として抱えきれない」といった意見。
一方、「一足飛びに当事者まで行かなくてもいいのでは。日々、生産者とつながる活動をしていくことで、少しずつ近づいていけるのではないか」との意見も。
小松理虔さん(福島・小名浜)が提唱する『共事者』という概念も紹介されました。
最後に高橋さんから、
「色んなところに友だちを作っていくことが大事ではないか。例えば沖縄に友達がいれば、基地問題も自分ごととして感じ考えることができる。
人には『外集団均質性バイアス』というものがある。自分が所属していない集団のメンバーはみんな同じに見えてしまい、ステレオタイプ化、レッテル貼りにつながる。まずは知ることが突破口になるのではないかと感じている」との話で、20時45分に車座は終了。
高橋さんを囲んで全員で記念撮影の後、会場を片付け、引き続き参加できる人はすぐ近くの中華料理屋さんで懇親会。食べものもたっぷりで、美味しく頂きました。
久々の車座、今回も高橋さんはじめ様々な参加者の皆さんの熱気に感じ入った次第。
帰宅した時は日付が変わっていました。幸い雨には降られませんでした。