【ブログ】ぶらり歴史(と自然)散歩-奄美の戦跡など[前半]

奄美は父祖の地です。
 父親を早くに亡くし、親類の多くも(先祖代々の墓とともに)埼玉に移ったこともあって、すっかり縁遠くなってしまいました。本当に久しぶりの訪問です。

 2023年9月12日(火)は好天。7時45分羽田発SKY303便は満席。鹿児島空港で乗り継いだ10時10分発SKY381便もほぼ満席です。
 眼下にエメラルドグリーンのサンゴ礁の海が近づいてきたと思うと、1時間ほどで奄美空港に到着。空港近くでレンタカー。

最初に向かったのは、龍郷町大勝村。幼い頃は、父に連れられて何度も来た地。多くの親戚が集まった広い座敷と高倉。ソテツの赤い実などが記憶の底に残っています。

 かなり昔に引き払われており、番地を頼りに近くまで来てみましたが、記憶が呼び起こされるような建物などは全く残っていないようです。山の景色にも懐かしさを覚えることはありませんでした。
 エアコンの効いた車から降りると、さすがに日差しが強く、湿度も高いようでメガネが曇ります。蝉が鳴き立てる中、赤いブッソウゲが静かにたたずんでいました。

奄美市名瀬へ。
 居心地のいいカフェでグリーンカレー。あまり時間が無いと伝えると、一人でやってらっしゃるオーナーの女性が急いで作って下さいました。ご馳走様でした。
 海岸に漂着した海洋プラスチックを再利用したというトレーなども、求めさせて頂きました。

 近隣の駐車場が、世界自然遺産金作原(きんさくばる)原生林ツアーの集合場所です。ベテランのガイドさんが待っていて下さいました。
 私たちを含む4名を乗せたマイクロバスで1時間ほど。次第に道は狭くなり、シダの枝などをかき分けるように進んでいきます。

 バスを降りると、オオシマゼミやリュウキュウアブラゼミの大きな、特徴的な鳴き声が降るようです。
 ガイドさんが一緒に歩きながら、珍しい植物や生き物について説明して下さいます。
 歩き始めて10分ほど、促されて見上げると、ヒカゲヘゴの葉が青空と白い雲に映えています。見事な景色です。高さは10m以上あるようですが、樹木ではなくシダ植物とのこと。

ヒカゲヘゴの幹にある特徴的な模様は、生長に伴い枯れた葉柄が落ちた痕だそうです。
 樹齢150年以上とされるオキナワウラジロガシの巨木の見事な板根(ばんこん)は、人気のパワースポットとのこと。

 珍しいランやサギソウの仲間。アマミハナサキガエル、リュウキュウキノボリトカゲ、アマミナナフシなど。ガイドさんが次々と見つけ、名前や習性などを教えてくださいます。
 何日も動いていないというヒメハブも(写真はなし)。

17時半頃に名瀬の中心街に戻ってきて、島料理のお店へ。夜光貝の刺身はコリコリの食感。奄美黒豚パパイヤ丼、そして鶏飯。
 いずれも美味でしたが、運転が残っていたためにノンアルコールビールとは無念!

19時半頃、すっかり日が暮れてから龍郷町の海沿いにあるリゾートホテルにチェックイン。
 女性の二人組、合宿らしい男子学生のグループなど。中庭のプールにも人の姿。

 翌朝、白み始めてきた東の空には鮮やかな金星と、細い月(間もなく新月。あ~、帰京したらメルマガだな)。
 海岸まで出てみました。白い砂浜一面には珊瑚のかけら、小さなカニ。アダンの実、グンバイヒルガオのピンクの花も。

なかなか充実した美味しい朝食バイキングを頂き、この日午前中の目的地・黒潮の森 マングローブパーク(奄美市住用町(すみようちょう))に向かいます。
 晴れていると思うと、時折、スコールのような雨が通り過ぎます。

 途中、「田中一村終焉の家」という案内板があったので立ち寄ってみました。
 山際に残された一軒家。50歳の時に奄美に移住し、この地で69歳で孤独の中で生涯を閉じた日本画家の最後の家だそうです。
 マングローブの木の根元には一村の生涯を記した大きな石碑。色鮮やかな鶏の姿も。なお、翌日は田中一村記念美術館(笠利町)を訪ねる予定です。

マングローブパークに到着したのは9時40分頃。
 初のカヌーに挑戦。以前、西伊豆に行った時のシーカヤック体験は、一人だけ見学したほどの臆病者。ヒヤヒヤでしたが、丁寧なインストラクターさんのお陰で何とか体験することができました。
 想像以上に干満の流れがあります。ちょうど干潮時で、干潟に上陸してシオマネキやミナミトビハゼを見学することもできました。水の中に見えた大きな魚影はクロダイだそうです。

 途中、突然に強い雨も降ってきて全身びしょびしょに。ガイドブックにあった通り、着替えと日差し除けの帽子は必須です。

1時間強の初カヌーを満喫。
 ここから国道58号線(鹿児島市から那覇市に至る最長の国道)をさらに南下し、瀬戸内町に向かいます。歴史散歩は、ここからが本番です。[後半に続く]