【ブログ】ポール de ウォーク小さな旅 田無の歴史

2023年11月22日(水)。勤務先至近の日比谷公園の「首賭け銀杏」も色づいてきました。
 夕刻は、小田急・代々木八幡駅にほど近いカフェ・さくらんぼで開催された村本大輔さん(ウーマンラッシュアワー)と伊勢崎賢治さん(東京外国語大名誉教授、JAZZトランペット奏者)のライブへ。
 村本さんの迫力あるスタンドアップコメディ(初めてでした)。
 伊勢崎さんは「ガザでは毎日130人の子どもが犠牲になっている。こんな紛争は経験がない。一日も早い停戦を」との切実な訴え。
 最後は、飛び入りのピアニストの方と3人で記念撮影。熱気あふれるライブでした。

翌23日(木、勤労感謝の日)は、爽やかな青空に秋の雲。
 12月10日(日)に予定されている「川崎平右衛門フェスタ2023 in 西東京市」のプレイベントとして、「ポール de ウォーク小さな旅 田無の歴史」が開催されました。
 9時30分、約20名の参加者は西武新宿線・田無駅改札前に集合。
 バスに乗って郷土資料室に移動。旧・小学校を活用した施設のようです。

川崎平右衛門顕彰会の事務局長・蔦谷栄一先生(農的社会デザイン研究所)からの挨拶に続き、参加者一人ひとりから自己紹介。
 続いて郷土史家・近辻喜一先生からの全体解説がありました。
 田無は江戸時代は500戸弱の宿場町で、2001年の保谷市の合併までは「一村一町一市」だったとのこと。

近辻先生と学芸員の方の解説で、資料室の展示を見学させて頂きました。
 奈良時代から明治時代までの歴史を知るジオラマ。幕末の武州世直し一揆や、御門訴(ごもんそじけん)事件の説明も。御門訴事件とは、明治三(1870)年、田無の農民数百人が品川県庁への門訴を決行し、武力鎮圧された事件とのことで、全く知りませんでした。主謀者の捜索のために槍で突かれた穴が残っている長持も展示されています。

関東最大級の下野谷遺跡関連の展示も充実しています。
 小学校の校庭から発掘された、第二次世界大戦中の赤錆びた銃器の展示も。1945年7月29日には原子爆弾の模擬爆弾が投下され、畑仕事をしていた女性3名が亡くなったそうです(全く知りませんでした)。
 1年弱だったそうですが、軍事工場に向けて軽便鉄道も敷設されていたとのこと。

充実した展示内容の見学の跡は(旧?)校庭に出て、歩き始める前にポールを使った準備体操。ベテランの女性が指導して下さいます。私も蔦谷先生に貸して頂いたポールを使って体操。初めての経験です。

 交通量の多い市内を徒歩で移動し、八反歩の向台運動場へ。スポーツを楽しむ子どもたちの平和な姿。遊水地にもなっているようです。
 ここが御門訴事件の農民たちの終結地だったそうで、農民たちは4日分の握り飯を持参し、ここから日本橋浜町の品川県庁に向かったのだそうです。一つの歴史の舞台です。

田無神社は酉の市で賑わっていました。威勢の良い掛け声も。拝殿前には長い行列ができています。

一行を追い越してしまったようで、少し戻って稗蔵の前で合流。
 天保四(1833)~七年(36)年の深刻な飢饉に際し、当時の名主が住民の救済のために自費で立てた稗蔵だそうです。

 ここで解散。有志の方は、駅近くの中華料理屋さんで昼食を兼ねた交流会。本格的な麻婆麺と生ビールを頂きました。
 身近なところに知らなかった歴史があることを教えてくれた、楽しくて意義あるツアーでした。12月10日(日)のフェスタも、ますます楽しみです。
 主催者、関係者の皆様、有難うございました。

(以下は歴史関係での追記です。)
 11月14日(火)に始まった「農あるまちづくり講座 in 所沢」の会場への道順が暗くて分かりにくかったため、改めて明るいうちに道順を再確認している途中、偶然、立派な伽藍にたどりつきました。
 永源寺(所沢市久米)です。

木曾義仲の末裔とされ、関東管領・山内上杉氏に仕えて武蔵・伊豆両国の守護代を務めた名族・大石氏の菩提寺とのこと。
 本堂の石段を上がったところには大石信重の墓塔があり、少し離れた池の中には弁財天も。
 ここにも(身近なところにも)史跡がありました。