2024年2月17日(土)は小雨模様のなか、東京・国立へ。
11時からJR国立駅南口近くの喫茶店で「シン・哲学カフェ」が開催されました。
3回シリーズで中江兆民『三酔人経綸問答』を取り上げる初回(あなたは三人の酔っ払いのうちの、どの立場ですか?)です。
私は久しぶり、今年に入ってから初めての参加です。
主催者・コーディネーター役のIさんを始め、常連の方など10名が参加。シニアの方が中心で、手作りのレジュメを配って下さった熱心な方も。
『三酔人経綸問答』は、過去に読んだ記憶はあるのですが(もっとも私にとって「読んだことがある」は「内容はほとんど覚えていない」ことと同義ですが)、あるはずの蔵書(たぶん岩波文庫版)も見つからず、書店で新たに光文社古典新約文庫版を購入。これが大正解でした。
非常に分かりやすい現代語訳と解説、詳しい年譜、さらには原文(香り高い漢文調)まで収録されているのです。
『三酔人経綸問答』は1887(明治二〇)年、兆民40歳の時の著作。
当時は日清戦争の前夜で、ヨーロッパ列強(イギリス、フランス、ドイツ、ロシア)によるアジアへの進出(侵略、植民地支配)が本格化しつつあり、日本の独立が脅かされているという状況にありました。そのなかで3人の酔っ払いが、外交や軍事についての(勝手な?)主張を展開していくという内容です。
ちなみに3人が飲んでいるのは、現在でも1万円以上はする「金の斧」(ヘネシー)のブランデー。一方、私は税込825円のセ〇ンプレミアムのウィスキーを飲みながら、このブログを書いています。年を重ねるに連れて、ひがみ根性が強くなって来ました(豪傑君のいう「社会の癌」?)。
登場人物は、西洋紳士君、豪傑君、主人公の南海先生(兆民は高知出身)の3名。
西洋紳士君は民主主義、自由平等の下で武装放棄・絶対平和の追求を主張するのに対して、豪傑君は列強に対抗するためには軍備を拡張し海外を侵略すべきと主張し、全く相容れません。これらに対して南海先生が述べた考えは、最小限の武装による専守防衛論ともいうべき「現実論」でした。
他の二人が「そのようなことなら、今どきの子どもや使い走りでも知っている」と笑つたのに対して、南海先生は「国家百年の大計とあっては、いたずらに奇抜さや新味を求めて喜んでいるわけにはいかない」と答えます(「南海先生はごまかしました」と欄外にあります)。
なお、NHK「100分の名著」での平田オリザさんの解説も秀逸です。
この日の哲学カフェでは、まずは自分の立場が西洋紳士、豪傑君、南海先生のどれに近いかを明らかにするようにとのIさんの言葉を受けて、順次、意見を開陳。
「西洋紳士の意見に近い。現下の状況をみると少々武装を増強しても無意味。そもそも、これだけの原発があり、ミサイル攻撃されれば防御できない」との意見。
これに対しては「レールガンなどミサイル防衛の技術開発も進んでいる」との技術者の方からのコメント。
果たして地震国・日本に原発の立地適地があるか等、原発についての議論もひとしきり。
西洋紳士、豪傑君も兆民の分身ではないかとの意見。本書はリベラル、保守等の二項対立的な議論とはなっていないとの解釈。とはいえ、両者の意見が止揚されているわけではないとの意見も。
「現在の政治には失望している。投票に行く気にもならない」との若い男性の発言には、「若い人が自ら社会を変えていく気概がなくてどうするのか」「棄権することも一つの政治的立場の表明」等の発言。
「子ども育てる女性の立場からすれば、とにかく戦争は絶対に避けるべき」との女性の意見を受けて、私が「世界で女性の指導者が増えれば戦争が防げるかも」と私が希望的発言をすると、「サッチャー英首相は男性以上に好戦的だった」とのツッコミ。
私の立場は、強いて選ぶなら南海先生の「現実論」に近いとしつつ、南海先生は、西洋紳士、豪傑君いずれの主張も、必ず外国が攻めてくるという「過慮(思い過ごし)」「疑心暗鬼」があると批判していることを指摘。ロシアによるウクライナ侵攻を目の当たりにしている現在、果たして「思い過ごし」と言えるか疑問であると発言。
これに対しては「原発へのミサイル攻撃や巨大地震は思い過ごしとは言えない」「普段から自分の思想の強さや弱さを探ることが、思い過ごしを防ぐことに役立つのではないか」等の意見。
「三酔人」と異なり、コーヒーやオレンジジュースを飲みながらの会でしたが、どんどん話題が広がり、話は尽きませんでした。それでも予定通りに13時に終了。
今回も本気モードの、刺激的なディスカッションになりました。
(参考)
ウェブサイト「フード・マイレージ資料室」
https://food-mileage.jp/
メルマガ「F.M.Letter-フード・マイレージ資料室通信」(月2回、登録無料)
https://www.mag2.com/m/0001579997