2024年は閏年。
2月29日(木)は冷たい雨が落ちるなか、読書会の友人(寮さんのファン)と待ち合わせて東京・新宿歌舞伎町にあるヒナタバーへ。
この日19時30分から開催されたのは、ヒナタバーのオーナーでもあるシンガーソングライター・逢坂靖精(おうさか・やすきよ)さんと、作家・寮 美千子(りょう・みちこ)さんによるコラボライブ。この場でのお2人のライブは、4年前に参加させて頂いて以来です。
15分前位に到着すると、すでに広くはない店内はぎゅうぎゅうです。
ピアノ伴奏による寮さんからのお話と、奈良少年刑務所の受刑者による詩集『空が青いから白をえらんだのです』からの朗読。そして逢坂さんの歌。『くも』は、個人的に世界一好きな歌です(逢坂さんのHPから試聴できます)。
寮さんのご新著(続編の詩集)『名前で呼ばれたこともなかったから』に収められている『地図』をもとにした新曲も、披露して下さいました(宇宙初公開!)。
歌詞の内容は決して明るいものではありませんが、寮さんの朗読と、逢坂さんの歌の掛け合いによるラップ調の軽やかな曲です。
他の詩による新曲や、ライブの開催を期待したいと思います。
翌々日の3月2日(土)は東京・中野へ。日差しは乏しく風の冷たい日です。
西武新宿線・沼袋駅から徒歩数分で「平和の森公園」に到着。広い芝生を子どもたちが駆け回っています。一画には生け垣の見本園も。防災面の観点も含め、生け垣による緑化を区が助成する制度があるそうです。
この広大な公園の敷地は、実は1983年に廃止された中野刑務所(豊多摩監獄)の跡地。大杉榮、小林多喜二、藤本敏夫らも収監されていたそうです。
すぐ南に、赤レンガ造りの表門だけが保存されています。現在は「平和の門」と呼ばれ、2021年には区の有形文化財に指定されたとのこと。弥生遺跡の発掘調査なども行われたそうで、フェンスに囲まれて近くまでは行けません。
すぐ近くにあるCAPICは、刑務所作業製品のショップ。40周年を迎えたそうです。
明るい店内で名刺入れなど小物を求めさせて頂きました。靴や家具など、高品質でリーズナブルです。ぜひ、一度訪ねてみてください。
CAPICの向かいにある新井区民活動センターで、14時から寮さんの講演会「奈良少年刑務所から重要文化財旧奈良監獄へ-詩の教室と保存への道筋」が開催されました。
主催は平和の門を考える会。
「平和の門」を多くの方に知ってもらい、地域の活動拠点として活用されるように講演会やワークショップを開催している市民団体だそうです。
会場の前には、「寮 美千子さん、ようこそ中野へ!」と記されたパネルをはじめ、豊多摩監獄の説明、奈良少年刑務所の写真など多数の手づくりのパネルが展示されており、主催者の方々の熱意が感じられます。
14時過ぎに開会。
司会の方によると、2014年に「平和の門を考える会」として奈良少年刑務所に見学に行った際に、寮さんから「保存していくためには運動を広げることが大事」等のアドバイスを頂いたのが、この日の講演会開催の縁となったそうです。
続いて動画「奈良少年刑務所(旧奈良監獄)の歴史」(リンク先は音声が出ます。)を視聴。逢坂さんの『くも』の曲が流れる4分ほどの分かりやすい内容です。
寮さんが中央の演台に上がられ、大きな身振り手振りで、時折りユーモアを交えながら講演が始まりました(以下、文責中田)。
「童話作家等として活動し、2005年には『楽園の鳥』で泉鏡花文学賞を(瀬戸内寂聴氏より先に)受賞。東京暮らしが長かったため地方移住にあこがれ、2006年に奈良に引っ越した。1年後に、煉瓦建築見たさに奈良少年刑務所の矯正展を訪れた。権威主義的ではない、細部までこだわった美しさに感動した」
「この時に刑務所の職員と言葉を交わしたのがきっかけで、受刑者のための授業(社会性涵養プログラム)の講師を依頼された。生徒は殺人やレイプ等の凶悪犯とのこと。正直、「怖いし無理」と思ったし、自身もそこまで『言葉の力』を信じていなかった」
「ところが、職員の方の『彼らの多くは加害者である前に被害者だった。極度の貧困の中で育児放棄や虐待を受けているなど、心に深い傷を持っている。ぜひ彼らに情緒を芽生えさせてほしい』といった熱意ある言葉に、マザー・テレサに通じる『巨大な母性』を感じて、夫とともに引き受けることとなった」
「絵本を朗読することから始めた。初めて会った生徒たちは、無表情であったり、威嚇的な態度をとったり、いつも笑っていたりと、他人から傷つけられないための鎧を着ていた」
最初の教材に使った絵本『おおかみのこがはしってきて』は、背中を向けて紹介して下さいました。
「月1回の授業を進めるうち、心を閉ざしていた生徒たちの表情や態度は大きく変わっていった。生まれて初めて受けた掛け値なしの拍手が、彼らにとってどれほど大きかったことか。誰かが受け入れてくれることを知った途端、バリバリとガラスが壊れるように世界観が変わっていった。鎧を脱ぎ去ることで、徐々に本当の自分が現れてきた」
「私たちが心掛けたのは、安全・安心な空間をつくること。何を言っても否定されない、バカにされない場をつくることで、人は萎縮せずに伸び伸びと力を発揮できるようになる」
「詩をつくり、朗読し、自分の気持ちを表現することは深い癒しになる。言葉が持っている力の大きさを実感した。
人間には誰にも優しさがあることも、彼らに教えてもらった。感謝している。授業が成功したのはみんなの力。足掛け10年にわたって素晴らしい思いをさせてもらった」
奈良少年刑務所での絵本と詩の授業については、ご著書を拝読し、ご講演でも伺い、素晴らしい成果を上げられたことは存じ上げていましたが(奈良少年刑務所の廃庁もあり継承されなかったことは痛恨の極みですが)、寮さんはご自身の実績を誇ることなく、刑務所の職員・教官、さらには生徒(受刑者)たちへの謝意ばかり示されることに、寮さんのお人柄を伺えたような気がしました。
続いて、寮さんとともに奈良少年刑務所の保存運動等に取り組んで来られたご主人の松永洋介さんが登壇。
2003年の時点で取り壊すことが決まっていた奈良少年刑務所(旧奈良監獄)が保存できることとなったのは、いくつかの偶然が重なったためとのこと。
「ひとつは安倍晋三政権による文化財の『現金化』施策。安倍首相は2018年の国会での施政方針演説で『文化財保護法を改正し、旧奈良監獄は三年後にホテルへと生まれ変わる』と発言し、ホテル化には反対する署名活動も行った」
また、少年犯罪が激減するなかで、富岡製糸場など近代建築に対する再評価が高まり旧奈良監獄は国の重要文化財に指定されることになった。理解ある所長がおられて詩集が刊行でき、全国的に知名度が高まった」
「ホテル化はコロナ禍もあり進んでいなかったが、昨年10月に本格着工された。2年後には最高級クラスのホテルとしてオープンする計画。史料館との複合施設として活用されることとなっていたはずだが、ホテル運営者には文化財を保存するという発想はなく、本来の目的がうやむやになっていることは残念」等の報告。
松永さん、寮さんからは、「平和の門」の保存活動に対してもエールが送られました。
終了後は、多くの方が寮さんの本を求められ、サインをもらう列を作っていました。私も求めさせて頂いた『奈良監獄物語』には、以下のように記されています。
「美しい未来を招くために、わたし(保存されることになった旧奈良監獄)を見て、深く感じ、考えてほしい。そうすればきっと、世界はもっと美しくなる」
(参考)
ウェブサイト「フード・マイレージ資料室」
https://food-mileage.jp/
メルマガ「F.M.Letter-フード・マイレージ資料室通信」(月2回、登録無料)
https://www.mag2.com/m/0001579997