【ブログ】元木上堰 春の浚いボランティア(福島・喜多方市山都)

2024年のゴールデンウィークも、福島・喜多方市山都で開催された元木上堰(もときうわぜき)春の浚いボランティアに参加させて頂きました。私は今年で3回目(3年連続)の参加です。
 主催は地元の農家や市民から構成される「本木・早稲谷 堰と里山を守る会」。

「本木・早稲谷 堰と里山を守る会」FBページ

春の堰浚いとは、江戸時代に開鑿されて以来270年以上にわたって地域の棚田などに水を供給してきた山腹水路の、田植えのための通水前に行う年1回の管理作業(冬の間にたまった木の枝、落ち葉、泥などを除去)です。
 都市住民等のボランティアを募集して活動が始まった2000年以来、今回で25周年を迎えたとのこと。コロナ禍の時期も規模を縮小して継続してこられたそうです。

2024年5月3日(金)、大宮駅のホームは家族連れ等で大混雑。10時36分発の東北新幹線やまびこ207号(直前に指定席に変更できました)は郡山に11時48分着、12時15分発の磐越西線に乗り換え(早めの便で行ったので座れました)。
 車窓からは磐梯山、雪をかぶった飯豊連峰の雄姿。
 郡山近辺では田植えが始まっていましたが、この辺りはまだ田起こしの作業中です。会津若松で乗り継いで、14時15分に山都駅に到着。

駅前には主催者の浅見彰浩さん、大友 治さん達が待っていて下さいました。お二人も関東から移住された方です。
 班の編成表を頂きました。今年も40名ほどのボランティアが参加されるようです。学生や家族連れの方も。他に(まかない担当の方を含めて)地元の方も15名。
 眩しい日差しの中、自動車に分乗させて頂き宿泊場所である早稲谷会館へ。山藤の花が目立ちます。見た目には美しいのですが、巻き付かれた木々にとっては死活問題です。

 いいでのゆで汗を流してから、本木会館に集合。

18時30分からオリエンテーション。
 一昨年8月の豪雨で壊滅的とも言える被害を蒙った本木上堰は、激甚災害に指定され、現在、復旧工事が進められています。
 事業の最終年度となる本年度の工事着工は6月頃になる見込みだそうで、来春はたとえ復旧工事が完全に終わっていなくても取水口から水を流さなければならず、この一年で全線を整備する必要があるとのこと。

この冬は雪が少なかったため新たに大きな被害は出ていないと思われるものの、昨年7月の集中豪雨でさらに土砂が流入したところも数か所確認されているそうで「今年が踏ん張りどき」になる等の説明でした。

2022年の被害の様子(「守る会」のFBより)

昨年の「浚い」は仮設ポンプで川から揚水した箇所より下流部分(全体の3割程度)しかできませんでしたが、今年は全線にわたって「浚い」を行うとのこと。事前の浅見さんからのメールには「2年分の土砂、落ち葉がたっぷりありますので、どうぞお楽しみに」とあったのを思い出しました(わーい、楽しみだなー)。

予想される翌日の作業のキツさに慄きながらの、夕食・懇親会。
 ウルイ、ウド、ワラビ、ヨモギ、干しコゴミなどの山菜、ニラやクキタチなどの春野菜など、地元の方によるおもてなしの料理が並びました。有難うございます。

 棚田のお米で醸した上堰米のお酒も出して下さいました。
 また、「大地を守る会」関連会社にお勤めの常連・Eさんは、能登へのボランティアのために今年は欠席でしたが、日本酒「種蒔人」を差し入れて下さいました。ご馳走様です。
 22時前には早稲谷会館に送って頂き、寝袋にくるまって就寝。昨年は少し寒かったのですが、今年は暖かく快眠できました。

翌5月4日(土)も快晴。気温も上昇するとの予報です。
 地元の方が用意して下さっていた食材をみんなで自炊した朝食を終えて、午前8時、会館の前に集合。
 浅見さんから、急傾斜の場所も多いのでくれぐれも気をつけて下さい等の挨拶。高所が苦手な私はますますビビりまくり。
 それぞれフォークとスコップを渡され(二刀流!)、軽トラ等に分乗して堰浚いの現場に向かいます。

早速、急な崖を登り(はあはあ)、堰にたどり着いたところで右(上流)に向かうと、取水口があった場所に。大規模な土砂崩れの様子に息を飲みました。復旧事業の対象地ですが、元通り復旧するには相当の時間がかかりそうです。

下流方向に向かって、堰浚いがスタート。
 この辺りには水はなく、堰の中の大量の落ち葉や枝も乾いていて、大した力は必要ありません。

特に被害の大きかった場所は復旧事業の対象となっていますが(木の杭が目印となっています)、それ以外にも、土砂崩れによる大量の土や泥で堰がふさがれている場所があります。
 地元の方、体力自慢の常連のボランティアの方たちが中心になってスコップで泥を掻き出します。
 太い木の枝はチェンソーで切断し、何人かで運び出します。

途中、集落を見渡せる開けた場所も。
 ある常連のボランティアの方は「この景色を見たいために毎年参加している」とつぶやいておられました。
 春(というより初夏)の山は、様々な野草や花に彩られています。

土砂崩れによって堰が完全に分断されている箇所もありました。ここは大規模な復旧工事が必要です。

 11陣半頃に午前中の作業は終了。早稲谷会館に戻り、今年もカレーライスの昼食。疲れた体に(まだ半分ですが)辛いカレーが美味です。
 地元の方による山菜やお米の販売会も。午後の作業に備えて昼寝する人も(私も)。

13時過ぎに午後の作業が再開。やはり急登からのスタートです。
 隧道(トンネル)の出口は、分厚い土砂で覆われていました。なかなかいい運動になります(はあはあ)。途中にあったコンクリートの水路橋は、折れ曲がるように完全に破損しています。下を見ないようにして、ヒヤヒヤしながら渡りました。

途中、一定の時間ごとに浅見さんが休憩を指示してくれることもあり、作業自体はなかなかキツいものの、自分のペースで作業することができます。

 15時半頃に作業は終了。
 本木から上流に向かってくるチームと合流する予定だったのですが、その箇所には到達できませんでした。今秋、もう一度、堰浚いボランティア募集があるかも知れません。
 気温は高かったものの、森のなかでの作業は風が心地よく感じられました。棚田のあぜ道を早稲谷会館に向かいます。

早稲谷会館の前庭にブルーシートを敷いての慰労会。
 今年も豚汁を準備して下さっていました。ビールは体に沁み込むようで、この上なく美味です。

一休みした後、いいでのゆに送って下さいました。
 新緑に囲まれた露天風呂に身を浸していると、汗だけではなく疲労感も流れていくようです。
 早稲谷会館にもどっての夕食・交流会。前日に続いて地元の方たちが豪華な「山の幸」を準備して下さっていました。浅見さん宅の豚さんのヒレカツも。
 地元の方おススメのとうふ屋おはらの青寄せ豆腐や厚揚げも、非常に美味。このとうふ屋さんは、閉業した会津若松市の老舗油屋の技を未来につなげるためのクラウドファンディングを準備されているそうです。

 キツかった作業が何とか無事に終了した安堵感もあって(それを口実にして)、食べ過ぎ、呑み過ぎ。22時過ぎには半ば意識を失って寝袋へ。まだ頑張っている方もおられたようです。

翌5月5日(日)も快晴。3日間とも天候に恵まれました。
 前日同様、自炊しての朝食。私は昨日の残りの大盛カレーを頂いてしまいました。
 この日のプログラムは、シイタケの原木コマ打ちワークショップ(毎年、色々と興味深いプログラムを準備して下さっています)。
 山から下ろしてきた原木(なかなか重たい!)にドリルで穴をあけて、シイタケの種駒を打ち込んでいきます。浅見さんが手本を見せて下さいました。

手分けしながらの共同作業。
 ドリルを抑えるには力が必要で、総じて中腰での作業は堰浚いに劣らず(?)キツいものでした。
 1時間半ほどで30本ほどのホダ木が完成。マイ原木にネームプレートを結びつけます。1年後が楽しみです。

軽トラ等に分乗して雑木林に戻り、ホダ木を丁寧に重ね、雨よけのシートを掛けてワークショップは終了。
 大友さんが雑木林の中を案内して下さいました。最近、整備した林の中には明るい光が差し込んでいます。

竹などで手づくりしたインセクトホテルには、多くのハチが出入りしいました。
 自然の中につくられたビオトープには多くのアメンボ。これから様々な生き物が増えていくことが期待されます。

12時前には茅乃庵さんへ。趣のある広い古民家を改装したお蕎麦屋さんです。
 山都は蕎麦の名産地としても有名ですが、「山都そば」は文化庁の「100年フード」に認定された旨のポスターも掲示されていました。
 メニューは潔く、ざる蕎麦、かけ蕎麦のみ。十割で打ち上げた山都そばは、少し堅めでしこしことした舌ざわりです。ぜひ、また食べにきたいお店です。ご馳走様でした。

13時20分発の磐越西線に乗る予定で、山都駅まで送って下さいました。
 ところが新潟県内で枕木の発煙があったとのことで40分遅れとのこと。困惑していると、参加者のお一人の方(東京出身で、現在は二本松市東和で料理教室をされているそうです。)が車で会津若松まで送って頂きました。
 お陰で予定通り13時41分発の磐越西線に乗ることができ、15時36分に郡山着。帰りの新幹線は指定席をとり損ねて、すごい混雑の中、大宮まで1時間ほどを立って帰りました。
 18時半頃に無事に帰宅。風呂の後のビールの美味しかったこと。結局、最後まで呑み過ぎです。

帰宅してから数日、山都での足掛け3日間が夢のように思い出されます。

経済効率性の観点だけからは、受益面積が広いとは言えない堰(用水路)の復旧に予算を投入することは妥当ではないのかも知れません。しかし270年以上にわたって維持管理・利用されたきた堰(すなわち、地域の歴史・伝統、宝)を次世代に継承していくことは、非常に重要なことと思われます。
 何より、過疎が進み空き家も増えている中山間地域でも、頑張っている地元の方、移住者の方たちがいらっしゃいます。そのような地域に単純な指標を当てはめて一律に「消滅可能性自治体」などというラベルを貼るなど、極めて不適切、傲慢なふるまいであると感じざるを得ません。

(参考)
ウェブサイト「フード・マイレージ資料室」
 https://food-mileage.jp/
メルマガ「F.M.Letter-フード・マイレージ資料室通信」(月2回配信、登録無料)
 https://www.mag2.com/m/0001579997