ゴマプロ番外編 @ 檜原村

 「東京ゴマ0→1(ゼロワン)プロジェクト」(主催:グリーンスマイル)の関係で、2013年9月23日(月・祝)は檜原村へ。
 東京の中山間地からゴマの自給率ゼロを1%に上昇させようという本プロジェクト、実は9月7日(土)に4回目のイベント(ゴマ刈取り+バーベキュー+川遊び+祭り見学)が行われたのですが、刈取りが最後まで終わらず、急遽、番外編として有志により作業を行うことにしたのです。
 家(うち)をいつも通り8時過ぎに出発、JR武蔵五日市駅前9時54分発のバスに乗って「竹ハウス」に集合。橋の上から川面を見下ろすと、たくさんの魚影。
 自動車組と指南役の竹さんを含め、この日は総勢11名。イベントの時より少なめです。
130923_1_convert_20130925003232.png
 着替えなど準備をして軒先をみると、刈り取ったゴマが干されています。
 竹さんが少しずつ刈り続けて下さっているようです。全快のイベントで刈り取った分は、サヤはすっかり茶色く乾燥しており、中にはゴマが詰まっていました。
 庭先にはセンリョウがきれいに色づいています。
130923_2_convert_20130925003305.png
 陽光はありませんが、雨の気配はありません。
 急傾斜地にあるゴマ畑に向かいます。前回、来た時と比べると、全体に枯れ進んでいて、まばらに見えます。
 薄着では寒く感じられるほどです。
 作業に取りかかったのは11時前。力を込めてハサミを入れると、茎が切断されたとたんにゴマがぱっと弾けて飛びます。地面の上にはゴマがたくさん。もったいない。
130923_3_convert_20130925003327.png
 ゴマが飛ばないようにゆっくりとハサミを入れ、切り揃えるのは袋の中で行うようにして、だいぶロスは減りましたが、それでもかなり地面に落ちてしまいます。
 気が付くと、あっという間に昼を回っていました。
130923_4_convert_20130925003352.png
 間もなく紅葉が始まる山を眺めながら頂く食事は格別です。
 それぞれ持参したパンやおむすびとともに、塩ちゃん特製の豆ご飯、Iさんご夫妻お手製の栗ご飯のおむすびを、お相伴に預かりました。
 おやつは、京都の名店のクッキーとラーメン丸など。
 絶品の昼食に舌鼓を打っているうち、雲行きが怪しくなり、風も吹いてきて何となく雨の気配。早々に作業に戻ります。
130923_5_convert_20130925003412.png
 労働にいそしんだおかげで作業は順調に進みましたが、14時を回った頃に雨が落ち始め、急いでゴマを入れた袋を麓の軽トラに運びます。
 結局、作業はこれで終了することに。
130923_6_convert_20130925003433.png
 私たちを追いかけるように、雨が本格化してきました。
 濡れないように、竹ハウスの軒下にゴマの入った袋を並べます。
 なお、この日の朝、自動車組が秋川ファーム(グリスマの生産拠点の一つ)に立ち寄り収穫してきてくれたバターナッツ(カボチャの一種。)も配って下さいました。
130923_8_convert_20130925003516.png
 んーん、体を動かした後は軽く打ち上げ。
 前回、地元の酒屋さんが差し入れて下さっていた缶ビールの等で乾杯。その酒屋さんは今回も顔を出して下さいました。
 美味しかったのは、炒りゴマとゴマ塩をまぶしたおむすび。
 これらのゴマは、グリスマのリーダー・てーさんが、自宅でより分け(大変な手間だったようです)調理したものです。ご飯を炊いて、おむすびにして出して下さいました。
130923_7_convert_20130925003455.png
 ぷーんと香りが広がり、熱くて甘いご飯の味と混じり合って絶品です。さすがリーダー、率先「炊飯」。
 ローカルな雰囲気に心癒やされ、帰りは車に分乗させて頂き帰途につきました。
 じぇじぇ、あきる野市に降りてくると道路は乾いており、太陽まで射してきました。山と平地の気候の差には驚かされます。
 釘付けになるほどの、先ほどのゴマの美味しさ。
 それは、檜原村の風景の中で、自分たちが播いた種が自然の恵みで育ち、収穫したものだからこそです。
 この美味しさを、今度は、どのようにお客様に伝えて買って頂くかが課題です。
 当プロジェクトの成功・失敗を分ける正念場はこれからです。
追記1
 このブログの各段落の頭の文字(カナ)をつなげると、ある壮大なプロジェクトの名前になります。みごと正解の方には・・・、特に賞品はありません。
 よかったら仲間に入って下さい。
追記2
 本日(9月26日)、東北楽天イーグルスが初のペナント制覇。夢が、悲願がかないました。
 西武ドーム(ライオンズには唯一負け越し中)での優勝直後のインタビュー冒頭で、星野監督が、被災地とともに歩んでいくと言及されていたことには感じ入りました。あの大震災は、星野監督の就任早々のことでした。
 消滅した前身の大阪近鉄バファローズ(今、バファローズを僭称しているチームとは違います。)以来の悲願の日本一を目指して、これからも頑張ってほしいと切望します。
【ご参考】
◆ ウェブサイト:フード・マイレージ資料室
◆ メルマガ :【F. M. Letter】フード・マイレージ資料室 通信
(↓ランキングに参加しています。よろしかったらクリックして下さい。)

人気ブログランキングへ