-國分功一郎『暇と退屈の倫理学』(増補新版、2015/3、太田出版)-
読書の醍醐味の一つは思いがけず刺激的な本に巡り会うことです。本書も奇抜なタイトルにひかれて読み始めたのですが、ぐいぐいと引き込まれました。
440ページに及ぶ哲学・倫理学書を簡潔に紹介する力量はありませんが、ポイントは概ね以下のようなものです。
人間は部屋でじっとしていられないため、熱中できる気晴らしを求める。それが全ての不幸の源泉となる(ファシズムやテロリズムにさえ通じる)。現代の消費社会はそこにつけ込んで、現代人は「終わりなき消費のゲーム」を強要され、その結果、私たちは「非人間的状況」(疎外)に陥ってしまっている。
この状況を脱するには、人間らしく「退屈」を楽しむしかない。
そして著者は「楽しむためには訓練が必要」とし、その身近な例として「食」をあげているのです(p.356~)。
その部分を引用すると
「たしかに私たちは毎日食べている。しかし、実は食べてはいないかも知れない。単なる栄養として物を口から摂取しているかも知れない。あるいは、おいしいものをおいしいと感じているのではなくて、おいしいと言われているものをおいしいと言うために口を動かしているかも知れない。
もしそうならば、私たちは食べることができるようにならねばならない」
また、ファストフードとスローフードの違いについても説明されています(p.411~)。
ファストフードには含まれている情報が少ないから早く食べられる(インフォ・プア・フード)一方、味わうに値する食事には大量の情報が含まれているため、身体で処理するのに大変な時間がかかり、その結果としてスローになる(インフォ・リッチ・フード)とのこと。
情報量が少ない料理を、いくらゆっくり食べても何の意味もないと断じています。
食に含まれる「情報」とは、見た目や価格、味や香り、栄養分等だけではなく、その食品がどこで、誰によって、どのように作られたかという素性や履歴も含まれるものと思われます。
私は、そのような「情報」をもしっかりと噛み分けられるような食事を心がけていきたいと思います。
[参考]
ウェブサイト「フード・マイレージ資料室-ほんのさわり」
http://food-mileage.jp/category/br/
【F.M.Letter No.122, 2017.7/6配信】掲載