【豆知識】過去の平均気温の推移と災異改元

前号では、平成までの246回の改元のうち、災害や飢饉など凶事を理由にした災異改元が4割以上を占めていることを紹介しました。
 それでは、災異改元が行われた年(あるいはその前年)は、実際に飢饉等が起こるような気象条件だったのでしょうか。

近年、樹木の年輪幅や湖沼の堆積物のデータ、あるいは古文書の記録等を用いて、過去の長期的な気温や降水量の推移を解明する「古気候復元」の研究が進展しています。
 総合地球環境科学研究所「気候適応史プロジェクト」もその一つで、同プロジェクトのウェブサイトでは、樹木の年輪幅から再現した西暦800年以降の夏季(6~8月)の平均気温のデータ(1961~90年の平均気温との偏差)が公開されています。

リンク先の図119の折れ線グラフは、このデータを図示したものです。ただし1514年まで(青)は東アジアの、1515年以降(緑)は東アジアのデータから抽出した日本の平均気温の推移を示しています。
 http://food-mileage.jp/wp-content/uploads/2019/04/119_kikousi.pdf

一方、赤色の縦の直線は災異改元が行われた年を示しています(ただし食料や農業と直接関係しない大火や彗星出現を理由としたものは除外く)。

これらを見ると、夏期が低温であるか低下傾向にある時期に、災異改元が比較的集中している様子が見てとれます。
 現に古記録によると、1100年代前半には天永の飢饉、元永の飢饉、大治の飢饉、長承・保延の飢饉、1200年代には寛喜の飢饉、正嘉の飢饉、140年代後半には寛政の飢饉等が頻発しています。
 自然の猛威から何とか免れようとした窮余の方策の一つが、改元だったのです。

近世に入ると災異改元の回数は(改元そのものの頻度も)減少しますが、それでも、江戸三大飢饉と呼ばれる享保の飢饉(1732)、天明の飢饉(1782)、寛永の飢饉(1883)の頃は、やはり夏期の気温は低くなっています。
 なお、江戸期の飢饉による被害が中世に比べて大規模となった背景には、全国的な市場経済の浸透があるともされています(「ほんのさわり」欄参照)。

[気温データの出典]
 総合地球環境学研究所「気候適応史プロジェクト」ホームページ
  http://www.chikyu.ac.jp/nenrin/data.html
[災異改元についての参考資料]
 グループSKIT『元号でたどる日本史』(PHP文庫、2016.7)
  https://www.php.co.jp/books/detail.php?isbn=978-4-569-76581-5

******************************************
出所:F. M. Letter -フード・マイレージ資料室 通信- No.166
 https://archives.mag2.com/0001579997/
(過去の記事はこちらにも掲載)
 http://food-mileage.jp/category/mame/