【ブログ】令和元年GWの浜通り(2/2)

前回から続く。)
 2019年5月5日(日)15 時前。
 小名浜でのコットンの種まき、四倉での田植えに参加した後、いわき駅前に戻ってきました。

駅前の複合施設・LATOV(ラトブ)の6階会議室で開催されているもーもーガーデン写真展に、何とか間に合いました。
 3日間開催の最終日です。

行き方が分からず、入り口近くにおられた警備の方に聞くと、親切に建物の反対側にあるエレベータまで案内して下さいました。

6階の会議室の前に、ようやく看板を発見。
 入ってみると、会場を取り囲むように写真パネルが並べられ、テーブルにはパンフレットや関連する書籍が展示されています。

中央の大きなテーブルには、もーもーガーデンの手作りのジオラマ。 可愛い牛たちのぬいぐるみ、リアルなイノシシの置物等が並べられています。

ジオラマの前で、もーもーガーデンの仕組みや目的を説明されていたのが谷 咲月(さつき)さん

静岡県の出身で東京で会社員をしていた谷さんは、原発事故で避難指示区域内に置き去りにされた牛たちが次々に餓死している様子を報じたニュースをみて衝撃を受けました。
 何とか助けたいと思った谷さんは、大熊町の非難支持区域内でもーもーガーデンの取組みを始められたのです。

牛たちは、耕作できなくなった田んぼに生えた草やかん木(かなりの大きさの木まで倒して食べてしまうそうです。)を食べ、環境や景観を守り、獣害を防ぐなど多くの役割を果たしています。
 ちなみに「もーもー」には、「もー(牛)が“Mow”する(草を刈る)」という意味が込められているそうです。

大変な活動をされている谷さんですが、この日は牛のヘアバンドを付けて、笑顔で家族連れと記念写真に収まっていました。

16時を回り、片付けを少しお手伝い。最後に、谷さんから支援者の皆さんにお礼の言葉。

私が伺ったのは最終日の終了間近でしたが、現地とネットでつないでの「バーチャルおやつやり」等のイベント等で大盛況だったそうです。
 支援者のなかには名古屋や関東からお見えの方もおられ、建物の入り口や駅前で「呼び込み」されていた方もいらっしゃったとのこと。
 谷さんは、心からの感謝の言葉を述べておられました。

なお、モーもーガーデンでは「震災を生き延びた牛達と共に。持続可能なエコ草刈りで地域を守る」と題するクラウドファンディングを実施中です(私もささやかながら支援を申し出させて頂きました。)。

ラトブ1階のスーパーで缶ビールなど買い込んで、駅近くのビジネスホテルにチェックイン。
 シャワーを浴びて一休み。夜になってから近くの居酒屋でメヒカリの唐揚げやお寿司、地酒なと。美味。少々飲み過ぎ。

翌朝は6時過ぎに起き出し、昨夜買っておいたサンドイッチと、田植えの時にワンダーファームで頂いた大きなトマト(美味!)の朝食。
8時過ぎにチェックアウトし、レンタカー会社へ。途中、素敵なレンガ造りの建物(バーになっている様子)。

ワンダーファームの脇を通過して四倉インターから常磐道へ。
 楢葉PAの線量計には 0.1mSV/hとの表示。ここは都内と比べても大きくは変わらない水準です。
 常磐道では各所にモニタリングポストが設置されており、除去土壌等の運搬の案内も。

富岡ICで下りて大熊町方面に向かいます。
 事故を起こした東電・福島第一原発が立地する大熊町では全町避難が続いていましたが、つい先頃(4/10)、一部地域の避難指示が解除されたばかりです。
 山肌には「はばたけ新大熊町・開幕」という看板が掲げられていました。

しかし、今も多くの地域は帰還困難区域のままで、指定された国道や県道は許可証なく通行できるものの(二輪車や歩行者は不可)、脇道や民家の入り口にはバリケードが設置されています。

田村市方面に向かう国道を進むと、左側に「もーもーガーデン」の看板がありました。
 ここも道路の入り口はバリケードで遮断されています。

写真には、遠くで草を食む牛の姿も写っていました。
 谷さんは、このような「日本一過酷な場所」で牛たちを飼っているのです。

富岡町へ。
 ここは多くの地域で2年前に避難指示が解除されたものの、震災前の人口 1万5千人ほどに対して、現在、居住している人は 922人(「広報とみおか2019年5月号」)に過ぎません。

そのようななか、地域の賑わいを取り戻そうと、いわき市から通っている方が営業されている飲食店があります。
 その名はカフェy(ワイ)。
 昨年7月以来の再訪です(お店の場所は変わっていました)。

16時過ぎという中途半端な時間でしたが、地元の方のグループで賑わっていました。焼き肉定食は美味!
 置いてあった地元紙には、「大熊町新庁舎 あす業務開始」との記事。

帰り際、オーナーの渡辺さんから桜のストラップを頂きました。。
 富岡町は夜ノ森の桜で有名な土地ながら、訪ねた観光客(特に女性)向けの適当なお土産品が無かったことから、地域の女性が作成されたものだそうです。

再び常磐道でいわき市へ。連休最終日ながら、幸い空いていました。
 18時前にレンタカーを返却。
 旅の最後は、電車(1918発ひたち28号)の待ち時間に駅前の居酒屋で頂いたカツオの刺身と福島の地酒。

東日本大震災から丸8年以上が経過し、時代は平成から令和に変わるなか、地域では多くの方々の取組みにより復興・再生が着実に進んでいることを実感することができました(多くの方の笑顔が印象的でした)。
 一方で、廃炉作業等、まだまだ続く困難もあります。

この地域で頑張っておられる方たち、ゆかりのある方たちに、幸多かれと祈ります。