2021年3月11日(木)は、東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所の事故から丸10年の節目の日。
1泊2日のバスツアー「Present Tree in ひろの~復興10周年を心に刻むライトアップ&祈りのスカイランタン」の当日は、快晴に恵まれました。
午前8時半過ぎに東京駅・丸ビル前を出発。
約40名の参加者はマスク着用の上、検温、手指消毒してから2台の大型バスに分乗。2列に一人ずつ(窓際のみ)着席すると、各自にフェイスシールドが配られました。
車内での飲食や会話は控えるように等の注意事項は、事前にも送られていました。
主催者(認定NPO法人環境リレーションズ研究所)の鈴木敦子理事長の挨拶も、感染予防対策の確認から始まりました。理事長はじめスタッフの皆さんは、全員、PCR検査を受け陰性が確認されているそうです。
ツアー実施に当たり、関係機関との調整等に大変なご苦労をされたようです。緊急事態宣言が再延長された時には中止も考えられたそうですが、現地・広野町からの歓迎したいとの言葉にも後押しされ、決行することとしたそうです。
「プレゼントツリー」とは、大切な人への贈り物として樹を植え育てる活動を通して森林再生と地域振興を図るプロジェクト。これまで国内外30か所で約20万本を植樹されているそうです。
「Present Tree in ひろの」は2016年の開始以来、防災緑地への植樹や手入れなど9回に及ぶ交流会が開催されてきました(私も何度か参加させて頂いています)。
ところが昨年はコロナ禍のため初めて中止。今回は待望の2年ぶりの交流会となりました。
常磐自動車道は渋滞もなく順調。
車内での参加者からの自己紹介に代わり、各自がカードに書いた名前や参加の動機等をスタッフの方が読み上げて下さいました。
休憩した友部SAの電光掲示板は、最初に来た2013年には広野ICから先は通行止めとなっていたのを思い出しました。
最初の目的地であるJヴィレッジに到着したのは12時過ぎ。見違えました。
以前に来た時は、ピッチには一面に車両や仮設の建物が並び、建物内の壁には全国からの寄せ書きや千羽鶴が隙間なく掲示されていたことが思い出されます。
昼食の後、担当の方からJヴィレッジの説明を頂きました。
1997年に日本初のサッカーのナショナルトレーニングセンターとしてオープン。2011年の震災後は福島第一原発事故の収束作業の拠点となっていましたが、2019年4月に全面再開されたとのこと。
49haの敷地に8面の天然芝ピッチ、全天候型練習場、雨天練習場、フィットネスジム、プールなどが整備されているそうです。
その後、天然芝のピッチに実際に足を踏み入れさせて頂きました。
オーバーシードの芝は、真冬でも青々としているそうです。稠密で、ふかふかと柔らかい感触が足の裏から伝わってきます。
バスに戻り、ひろの防災緑地の駐車場に移動。
追悼行事「被災の祈り-心ひとつに未来へ」の会場です。ふたば未来学園の生徒たちや町民の方々を前に、オペラ歌手・前川健生さん(広野夢大使)のコンサートが行われていました。
童謡「とんぼのめがね」や唱歌「汽車」は広野町が舞台となっているそうです。
午後2時を過ぎ、東京組は海岸の方に移動。津波で流出した鹿島神社の鳥居も再建されていました。
名勝・奥州日の出の松で有名な海岸は、快晴ながら、冷たい風が吹き、白波が岩に砕けています。
東京組は海に最も近い防潮堤上に整列。
振り返ると、未来学園の生徒たちは防災緑地の上に並んでいます。ここでも感染防止が配慮されているようです。
そして午後2時46分。
手をつなぐ代わりに隣の人とリボンの両端を持って、太平洋に向かって黙とうしました。時刻を告げるサイレンの音と、波の音が、心の底まで染み通っていくような感覚を覚えました。
その後は、何組かに分かれてコットン畑に移動。
今回のツアーの共催者でもある広野わいわいプロジェクトの根本賢仁理事長が、作業内容などを説明して下さいました。
コットン収穫後の畑の後片付けは(まだ少し残っているコットンを持ち帰る人も)、枯れた綿の株を抜き、マルチを剝がすという単純な作業ですが、1時間弱でそれなりに足腰に来ました。
下浅見川集会所に移動し、コットンランプシェードづくりのワークショップ。
ここでは、福島オーガニックコットンプロジェクトの吉田恵美子さん(NPOザ・ピープル代表)が指導して下さいました。
準備して下さっていた丸いかごに、オーガニックコットンを撚った糸をぐるぐると巻き付け、2個の青色の発光ダイオードを入れます。
最後に、思いの言葉を記した短冊を取り付けて完成。
徒歩で防災緑地に移動します。
途中、未来学園の生徒さんたちが出店されていたテントで鮭フレークを求めさせて頂きました。未来学園の生徒さん達がプロデュースした有名な商品です。
防災緑地のプレゼントツリー植栽区画には、遠藤 智 町長が待っていて下さいました。
「この10年、復興に向けて懸命に戦ってきた。これからは創世のための新しいステージに入る。カーボンゼロシティ宣言を行い、高効率の石炭ガス化複合発電(IGCC)方式による発電も開始される。皆様の支援に感謝」等の有難い挨拶を頂きました。
続いて、いわきおてんとSUN 企業組合の島村守彦さんの指導で、先ほど製作したランプシェードを設置。
島村さんは大阪府出身(阪神・淡路大震災も経験されているそうです)、東日本震災以降、被災地に明かりを灯す取組みを長く続けてこられた方です。
鉄の串で固定していくのですが、あまり深く差し込まないようにとの指示。私たちは設置して楽しんで終わりですが、後片付けは現地の方々に委ねられているのです。
薄暗くなってきた18時頃に昼間の行事の会場へ。
1人ずつにヘリウムガスと電灯が入れられたランタンが配られ、18時半頃から式典「復興10周年を心に刻むライトアップ&スカイランタン」がスタート。
ご自宅が津波で流された根本理事長の言葉は、聞いている方も感無量でした。鈴木理事長、吉田さん、島村さんからもスピーチ、遠藤町長からの挨拶。
続いて、震災当時はお母さんのお腹の中にいたという小学生と、まだ幼かった中学生から、未来に向かって心強い発表。
そして、カウントダウンとともに一斉にスカイランタンを空に放ちました。もっとも、ゴミを出さないためにタコ糸でつながれていて回収できるように工夫されています。
すっかり暗くなった空に、オレンジ色の無数のランタンが躍ります。幻想的な光景に息をのみます。やや風があるため、まっすぐ上には昇らずに他のランタンと絡んでしまうものも。
先ほどランプシェードを設置したプレゼントツリー区画には、大きな3.11の光の文字が浮かび上がっていました。様々に色を変えるランタンも。
ふと見上げると、降るような星空です。
バスに戻り、車窓から二ツ沼総合公園のライトアップを眺めつつ、ホテル双葉邸へ。
気持ちのいい大浴場。ボリュームのある夕食にビールや日本酒(磐城壽)も追加。残念ながら交流会等はなく、それぞれテーブルで「黙食」です。
部屋に引き上げると、久しぶりに、しかも10年目という節目の年に広野町を訪ねることができたという喜びが、しみじみと湧いてきました。
主催者と現地の皆様に感謝しつつベッドに入ると、たちまち眠りに落ちました。
(2日目に続く。)