【ブログ】金子文子の思想

去る2021年8月9日 (月) の夕刻は、月1回オンライン開催されている奥沢ブッククラブ(第70回)に参加しました。

恒例通り、前半は10名ほどの参加者 (初参加の方も) 一人ひとりからからオススメ本の紹介。
 この日の進行役・UYさんが紹介されたのは「ぼくはもーもー草刈り隊!~東日本大震災で奇跡的に生き残った親子の牛のものがたり~」先日(7/13)の「食と農の市民談話会」に参加され、早速、購入して下さったとのこと(有難うございます!)

 他には小熊英二『日本という国』、辻川覚二『老後はひとり暮らしが幸せ』、ブレイディみかこ『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』、中野信子『サイコパス』、千松信也『けもの道の歩き方』、吉永南央『初夏の訪問者』等々。
 今回も多彩なジャンルの本が紹介されました。 

私は上間陽子『海をあげる』を、自分はそれを受け取る覚悟はないとためらいつつ紹介。併せて山下明生、村上 勉『うみをあげるよ』(絵本)も。

ちなみに前回UM氏が紹介して下さったサフォン『風の影』は、バルセロナを舞台に謎の本と作家を描いた作品。 久しぶりにページをめくるのが惜しく感じられるミステリでした。
 この日のおススメ本の何冊かも、早速、図書館に予約。

なお、これも恒例、最後にUさんが朗読して下さったのはチョーヒカル『じゃない!』。後日、図書館で改めて手にとって見ましたが、何ともリアルです(ちょっと不気味?)。

さて、後半はこの日の課題本である金子文子『何が私をこうさせたか一獄中手記』 について、感想や意見をシェア。

主催者の一人であるS氏が口火を切り、映画『金子文子と朴烈』を観たとして「金子文子は素晴らし い思想を持った女性」と大絶賛。この方、しばしば肝心の課題本は読まずに映画や関連書の話ばかりされることがあるのですが、この感想には大いに違和感を覚えました。

 実は私は金子文子という名前さえ知らずにこの本を読み始めました。
 冒頭、関東大震災後に多くの朝鮮人が虐殺されるなか、パートナーの朝鮮人男性・朴烈とともに「保護検束」され、大逆罪の判決を受けた後に獄中死した人の手記であることを知り、緊張感を持って読み続けたのですが・・・。
 ところが、悲惨な生い立ちがこれまでもかと綴られ、成人してからは満たされない心を埋めるように男性遍歴を続けるといった内容で、幼少期の文子には大いに同情は覚えつつも、(映画で描かれていたらしいい)強固な意志や主義、思想等については、ほとんど描かれていないのです。

S氏に反論するようにそのような感想を述べたところ、賛同して下さる方も何人かおられ、また、瀬戸内晴美やブレイディみかこに文子を題材にした作品があることを紹介して下さった方もいらっしゃいました。
 しかし、この日は珍しく定刻より早く終了したこともあって、議論は深まらないままでした。

ところが後日、改めて『手記』を手に取ってみると、本書は朴と出会ったところで唐突に終了していることに、今さらながら気づいたのです。
 ということは、文子が主義や思想を抱くこととなったのであれば、それはこの本に書かれている時期以降のことであるに違いありません。

そこで、まずは紹介もあった瀬戸内晴美『余白の春』とブレイディみかこ『女たちのテロル』を読んでみました。

『余白の春』(1972)は、文子の手記と裁判記録に、著者自身が文子ゆかりの地を訪ねたルポを交えた随筆です。
 瀬戸内が訪ねたのは、文子が幼少期を過ごした母の実家(山梨・甲州市)、その後に親類に引き取られて暮らした韓国の芙江と朴の実家にある文子の墓、文子が獄中で縊死した後に葬られた栃木の刑務所墓地の跡など。日韓両国の歴史や案内してくれた韓国の人たちとの交流も描かれています。
 「大審院の法廷で、宿命的ともいえる恋の相手である朴に向けて堂々と恋文を読み上げた」文子の姿が印象的です。

『女たちのテロル』(2019)は、20世紀初頭に活躍した3人の女性の評伝です。
 イングランドの女性参政権活動家であるエミリー・デイヴィソン、アイルランド独立運動の闘士であるマーガレット・スキニダーと異なり、文子は実際に武器を手にとって「テロル」を行ったわけではないのですが、もっとも多くの分量が割かれています。

 「絶対の自然児」である文子は「思想を体から乖離させて机上に置ける人ではなかった。生々しい血と肉が思想だった」とし、「運動家ではなく哲学者であった」文子の早すぎる死を惜しんでいます。

さらに調べてみると、金子文子は、他にも多くの著作で取り扱われていました。

松本清張は『昭和史発掘1』(1965)において、朴烈大逆事件についても取り上げています。
 清張によると、同じ虚無思想でも朴烈と文子の間には民族主義と個人感情との相違があったとのこと。
 また、事件は「朴烈と文子との過剰自供がうまうまと立松判事の策略にかかって大逆罪にでっち上げられた」ものであるとし、さらに、大逆事件に仕立て上げることに最も熱心だったのは、関東大震災後の朝鮮人殺戮の実行者でもあった軍部ではないかと推理しています。

鶴見俊輔は少年向けの『ひとが生まれる』(1972)のなかで、「無籍者」として自分をつらぬいた金子ふみ子を、日本社会の歴史と深く結びついていた5人の日本人の一人として紹介しています。

また、在日二世の社会学者である李 順愛は、『二世の起源と「戦後思想」-在日・女性・民族』(2000)において、文子は瀬戸内が『余白の春』で描いたように恋愛感情に引っ張られていたのではないと考察しています。
 そして「金子が朴を知っていたくらいには、朴のほうは金子を知らなかった。私は一朝鮮人として、金子の死に責任のようなものを感じている」と語っているのです。

これら著作には、手記や裁判記録における文子の言葉の数々が引用されています。例えば、
 「私は私たち哀れな階級のために全生命を犠牲にしても闘いたい。(しかし革命は)一つの権力に代えるに他の権力をもってすることにすぎない」
 「私は人のために生きているのではない。私自身の真の満足と自由とを得なければならない。生を脅かそうとする一切の力に対して憤然と叛逆する」等。

また、瀬戸内『余白の春』に収録されている獄中で文子が詠んだ歌の一首。
「指にかからむ名もなき小草ツト引けば
 かすかに泣きぬ
 『我活きたし』と。」

金子文子に「思想」かあったとすれば、書物や交友関係の中で学んだ社会主義やアナーキズムといった概念に包摂されるものではなく、自死まで考えた彼女自身の凄惨に生い立ちに培われた「生」の思想だったということではないでしょうか。
 そして、それは過激であると同時に、庭先の小さな草の命も愛おしむ優しいものだったのです。

これは余談ながら、手記には朝鮮時代の小学校での農業実習の様子も描かれています。
 馬鈴薯に芽が出たと小躍りする周りの子どもたちの姿と、先生の「八百屋で買って食う時には何の考えもなくうまいとかうまくないとか贅沢なことを言っているが、一つ作るのに随分と骨が折れるものだ。百姓は生命の親だ」といった言葉が印象的です。

世の中が落ち着けば、(韓国は無理としても)文子ゆかりの地を訪ねてみたいと思っています。

『金子文子と朴烈』公式サイトより

なお、S氏絶賛の韓国映画『金子文子と朴烈』(2017)も観てみました。
 描かれているのは「手記」以降で、これでは課題本についての議論がかみ合うはずはありません。しかし文子役のチェ・ヒソの演技は何とも魅力的で、娯楽作品として大いに楽しめました。
 一方、朝鮮人への差別や関東大震災後の自警団による朝鮮人虐殺の様子、大逆事件に「でっち上げ」ようとする日本政府の意図なども克明に描かれています。

 韓国では大ヒットしたそうですが、日本人こそ観るべき映画と思われます。