2022年5月31日(火)。
朝から降っていた雨が昼前に上がったのを見計らって、ぶらり歴史散歩へ(前回は狭山市をぶらぶらしました)。
東武東上線・武蔵嵐山駅に到着したのは13時過ぎ。時折り陽が指してきます。駅に併設されたステーションプラザでレンタサイクルを借りました。
自転車があると、徒歩や公共交通機関に比べて一気に行動範囲が拡がります。しかも電動。 実は初めて乗ったのですが、坂道など楽ちんです。
南へ向かう道は、中世の鎌倉街道とのこと。
この辺りで長享二(1488)年、両上杉氏(山内、扇谷)の間で須賀谷原合戦という大きな戦いがありました。戦死者700、馬も数百匹が犠牲となったと古記録にあります。
ちなみにこの2年前、扇谷定正は太田道灌を誅殺。同族あい食む戦を続けるうちに両上杉氏は没落、やがて関東は北条氏の版図となります。
当時は菅(スゲ)が生い茂る原野だったそうですが、現在は静かな住宅地です。
小高くなったところに小さな祠があり、何基かの石塔が収められていました。土地区画整理事業の碑文には遺跡があった地と記されていますが、合戦についての記載はありませんでした。
南下して都幾川(ときがわ)を渡ります。ゆったりとした流れです。
なかなか交通量の多い交差点を右折しすると、こんもりとした神社の杜が見えてきました。ここが大蔵館の跡。源 為義の次男・義賢が居を構えたところで、土塁や空堀の遺構が確認できます。
北関東において勢力を扶植する義賢を恐れた兄の義朝は、久寿二(1155)年、長男の義平(頼朝の兄)に命じて大倉館を襲撃させ、弟を殺害してしまうのです。
義賢の子で、 この地で生を受けた義仲は信州・木曽に逃れ、長じた後に上洛を果たしたものの、従兄弟に当たる頼朝によって滅ぼされます。
さらに、事実上の人質として鎌倉に差し出されて義仲の子・義高も、やはり頼朝に追討され入間川で殺害されます。
後の鎌倉幕府でもそうですが、血族間で争い殺し合うのが源氏の性(さが)なのでしょうか。
やや東方、畑に囲まれるように義賢の墓がありました。小さな祠に大きな五輪塔が収められています。修復されたそうですが一部は失われています。
近隣の宗教施設の施設内には、義賢、義仲、義高の三代、さらには家臣達の供養塔があり、歴史などを記した説明板も掲示されていました。
大蔵合戦に敗れた義賢の家臣達は、明覚郷(現・ときがわ町)などに落ち、生き延びたそうです。
非業に倒れた武士たちを敬い、追悼する地元の方たちの篤い思いが感じられました。
鎌倉街道を北に戻る途中、左手に見えてきた立派な伽藍は大福山向徳寺です。
拝観はできませんでしたが、阿弥陀如来及び両脇侍立像は国指定重要文化財に指定されているとのこと。山門の脇には、大小様々のかたちの青石の板碑が並んでいました。
都幾川沿いを遡り、今度は槻川の合流点近くで橋を渡ります。ちなみに、もう少し上流に行ったところが名勝の嵐山渓谷です。
道路の両側は鬱蒼とした雑木林。オオムラサキの森という看板が見えたので立ち寄ってみました。活動センターには、黒蝶・オオムラサキを始め様々なチョウなどの標本。
屋外でボランティアの方が訪れた人に説明されていたので、一緒に聞かせていただきました。ネットに覆われたエノキの枝には、大ぶりな幼虫。保護してもなかなか成虫まで育つも のは少ないそうです
この森は、 菅谷館跡(すがややかたあと、国指定史跡)に接続しています。
鎌倉幕府の有力御家人であった畠山氏の居館があったところで、広大ないくつもの郭と、それらを囲む土塁や堀などが良好に遺されています。もっともこの遺構は畠山時代のものではなく、中世の両上杉氏の時代に整備されたものとのこと。
歩いていると、突然、キジが飛び立って驚きました。
一段高くなった土塁の上に、畠山重忠の像が立っていました。甲冑姿ではなく平服です。目線ははるか鎌倉の方向に向けられているそうです。
重忠は鎌倉幕府の有力御家人の一人で、源平合戦や奥州攻めで多くの勲功を立てました。
ところが頼朝の死後、権力を掌握しつつあった北条氏から謀叛の疑いをかけられ、鎌倉に向かう途中の二俣川(現・横浜市旭区)で北条義時の大軍と戦い討ち死にしたのです(重忠は北条時政の娘をめとっていたのですが)。
鎌倉時代は、源氏の一族のみならず、忠誠を尽くした有力御家人の多くも、謀略や裏切りにより次々と滅亡させられています。こんな時代には住みたくないと、つくづく思います。
埼玉県立嵐山史跡の博物館でも、畠山重忠が出迎えてくれました。
大河ドラマのイケメン俳優に比べると、かなり年かさのオジサンの風貌です。亡くなった42歳の頃の姿でしょうか。
鎌倉時代の遺物など出土品、重忠にまつわる品々などが展示されています。重忠が得意だったという銅拍子の復元品なども。
国指定史跡・比企地区の城館跡群(菅谷館、杉山城、小倉城、松山城)の写真や立体模型等の展示もあります。
映像資料も豊富です。比企地域の散策ガイドブックなど資料を何冊か求めさせて頂きました。
16時30分に駅に戻ってレンタサイクルを返却 (お世話になりました)。
駅前の(ちょっと残念な)喫茶店で生ビー ルなどを頂いてから、電車で帰宅の途へ。
自宅から1時間ほどで訪ねることのできる範囲内にも、多くの史跡があります。必ずしも楽しいことばかりではありませんが、歴史を学ぶことは、現在の世界で起こっている戦争や紛争の意味を考えるよすがになるかも知れません。
次はどこに行こうかな。