【ブログ】体験落ち葉掃きと多福寺見学(埼玉・三芳町)

2023年1月7日(土)は、埼玉・三芳町(みよしまち)へ。
 農業ジャーナリスト・ベジアナの小谷あゆみさん(農林水産省 世界農業遺産等専門家会議委員)が誘って下さり、「落ち葉掃き体験」に参加させて頂くことに。
 三芳町には昨年11月のセミナーの際にも訪れましたが、落ち葉掃きは久しぶりです。

17世紀半ばの新田開発(開拓)以来の「武蔵野の落ち葉堆肥農法」は、平地林の落ち葉を堆肥化して畑に鋤き込むという優れた循環型の農法で、2017年には日本農業遺産に認定されており、現在、世界農業遺産の認定に向けてFAO(国連世界食糧農業機関)に申請中です。

8時半過ぎに東武東上線・ふじみの駅で待ち合わせ。
 週半ばまでは崩れるとの予報で心配しましたが、幸い、抜けるような冬晴れです。
 小谷さんの友人・Oさんの車に同乗させて頂き、10分ほどで集合場所の多福寺へ。

9時からの開会式は、子どもを連れた家族連れなど120名ほどの参加者で大賑わいです。
 一般の方を公募して行う体験会は3年ぶりとのことで、主催者、参加者の皆さんにも、待ちに待ったという期待感と喜びが溢れているようです。

最初に、林 伊佐雄 町長から、
 「大都市近郊でこのような持続的な農法が行われている地域は、世界的にも珍しい。SDGsにも貢献。将来の子どもたちに残していくために、さらに情報発信等に取り組んでいきたい。
 農家にとって落ち葉は小判のように大切な資源。ぜひ、たくさん掃いて、福を集めて下さい」等の歓迎のご挨拶を頂きました。

JAいるま野、教育長など来賓の方々の紹介に続いて、三芳町川越いも振興会の島田裕康会長から、竹ほうきの使い方等の説明がありました。

その後、2班に分かれて多福寺の敷地内にある平地林(地元の方は「ヤマ」と呼びます)に移動。
 明るい冬の陽が射し込む林のなかに、ほうきや大きな籠を準備して下さっていました。

さっそく、落ち葉掃きがスタート。
 かなりの厚さで地表を覆っている落ち葉を、竹ぼうきで掃いて集め、両手で抱え込むように持ち上げて竹籠の中に入れていきます。地元の方が手本を見せてくださいますが、なかなか手際良くはできません。

落ち葉を入れた籠には、人が入り、足で踏んでぎゅうぎゅうと圧縮していきます。あちらこちらで子どもたちの歓声。

すっかり葉を落とした平地林。見上げると真っ青な冬の空。乾燥した落ち葉のカサカサとした音と手触り。気持ちのいい作業に時間を忘れます。

別の方向から大きな歓声がしたので振り返ると、小谷さんも籠に入り、ジャンプするように踏み固めています。さすが、見る見るかさが減っていきます。そういえば今年はウサギ年でした。
 私もへっぴり腰でほうきを使わせてもらいました(お出かけですか~)。

(右端の写真は小谷あゆみさんが撮影して下さったもの)

1時間半ほどで落ち葉掃きは終了。
 大人数でやると短時間で済みますが、農家の方たちだけだと大変な作業です。集めたかごはトラックに載せて畑に運んでいきますが、1かご50~60kgもあるそうで、これだけでも重労働です。

すっかり落ち葉が除かれた地表には、青い宝石のようなリュウノヒゲが現れました。オオタカも生息しているそうです。
 私たちはこの日、短時間で楽しく体験させて頂いただけですが、1年を通じた下草刈りなどの管理が、農業生産のみならず、景観や豊かな生物多様性を維持・保全するためにも不可欠だそうです。

落ち葉掃きの後は、三富山多福寺(さんぷざん たふくじ)の見学。
 ここも何度か訪ねていますが(平地林に囲まれた気持ちのいい境内です)、歴史民俗資料館の学芸員の方に案内して頂くと、知識も興味も倍増です。

 元禄九(1696)年、三富開拓農民(移住者)たちの心の拠りどころとして創建された臨済宗妙心寺派の名刹。
 林の中の参道から惣門を過ぎると、壮大な山門が現れます。掲げられた「呑空閣」の扁額は柳澤信鴻(川越藩主・吉保の孫)の筆とのこと。
 高床式で茅葺きの穀蔵は、2棟しか現存していないそうです。

また、寺には十二羅漢像や百点以上の書画類も残されているそうで、学芸員の方が写真入りのレジュメを配って説明して下さいました。

12時頃に体験会も終了。境内には紅梅もほころんでいました。

 お昼は町長さんに紹介して頂いたステーキ屋さんへ。
 落ち葉掃き、歴史見学に続いて、美味しい食事まで堪能させて頂きました。有難うございました。

翌週の1月10日(火)には、改めて三芳町を訪問。快晴ながら冷たくて強い風が吹く一日です。
 JR武蔵野線の新座駅で下車して旧川越街道を歩くと、道路沿いに「鬼鹿毛の馬頭観音」。やがて広々とした柳瀬川を渡ると三芳町。鎌倉街道の碑もあります。

畑からの土埃が舞う(本当に強い風が吹いていました)道路の先に、目的地の三芳町立歴史民俗資料館が見えてきました。多福寺の説明をして下さった学芸員の方がおられたので、お礼のあいさつ。

 展示物の説明もして下さいました。大きな航空写真をみると、見事な短冊状の地割が現在も残っていることが分かります。

資料館の向かいにある旧池上家住宅は、広壮な江戸時代末期の茅葺民家住宅。屋内には竹かごなどの農具も展示されており、新田開発(開拓)村の様子を偲ぶことができます。

もともと武蔵野台地は、水が乏しく、風も強く、地味の痩せた火山灰土という条件不利地でした。そこを江戸時代に開拓することで編み出され、現在に続く「落ち葉堆肥農法システム」は、今後の地球的な課題である持続的で循環型の社会経済の構築に向けて、貴重なモデルとなるものです。
 「遺産」といっても、亡くなった方が残した過去の財産という一般的な日本語の意味とは異なります。現在も、生産者やボランティアなど多くの方によって支えられている、未来に向けての貴重な財産(Heritage)なのです。