【ブログ】ママとマハとミカ(パレスチナに生きる女性たち)

春の訪れが、年々、早くなるようです。3月上旬なのに5月上旬の気温となる日も。
 ミツマタ、菜の花、オオカンザクラ。

左は東京・東村山市、右2枚は日比谷公園。

2023年3月11日(土)は東日本大震災から12年。亡くなられた方、ご遺族の方にとっては十三回忌を迎えました。
 関連死を含めて約2万人が犠牲となり、今も2500人以上の行方不明者の捜索が続き、原発事故による避難者は3万人を数えます。

この日は、東京・世田谷区の喜多見駅近く、閑静な住宅地の中にある私設のM.A.P.(狛江の小さな沖縄資料館)を訪ねました。初めてです。
 壁には大きなヤモリの絵。階段を上ったところには「躓きの石」。
 破られた米軍基地のフェンスをくぐって中に入ると、棚と壁一面には(トイレにも)、出版物などの資料やポスターなどが所狭しと展示されています。その量はおびただしく、館長さん手書きの説明カードにも圧倒されます。

この日、開催されたのは “ママとマハとミカ”(パレスチナに生きる女性たち)と題するイベント。写真家の高橋美香さんによる『パレスチナに生きるたり-ママとマハ』出版を記念したトークイベントです。

換気のために開けられた窓を除いて、会場の四方の壁も様々な資料で埋め尽くされています。中央から天井にかけてガジュマルのオブジェ。あちらこちらにはヤモリの姿も。

14時を回り、主催者である高山正樹館長から挨拶(以下、文責は中田にあります)。
 「世の中、もう少し躓いたほうがいい。この博物館は沖縄関係に特化しているが、他に考えなければいけないことは山ほどある。まずは知って、それから考えてもらいたい」

美香さんからのスライドトークが始まりました。
 「今年に入り、毎日のようにイスラエル軍がパレスチナ難民キャンプ等に武力侵攻し、多くの犠牲者が出ている。私がよく知っている男性も、最近、銃撃されて亡くなった」

「これまでパレスチナのことを知ってもらいたい、実感してもらいたい、考えてもらいたいと思って活動を続けてきた。今日も皆さんの前で一生懸命、話をさせて頂く。しかし、親しい人の死という現実を前にして、正直、伝えることに何の意味があるのか分からなくなっている」

『ママとマハ』に掲載されている写真を映写しながら、美香さんの話は続きます。

「ママとマハは、パレスチナでともに生活を送ったふたつの家族の女性たち。居候させてもらいながら、パレスチナの日常生活の様子を撮影させてもらった。日常のいとなみの一方で、連行され、あるいは家族の目の前で暴行された人もいたし、キャンプに侵入してきたイスラエル兵に射殺された人もいた」

「今年1月にはネタニヤフが政権に復帰し、状況はさらに悪化している。今朝までの間で約80名が命を落としている。現地のネットに掲載される犠牲者の中に、知人の顔を見つけた時の気持ちは言葉にできない。
 日本では大きなニュースとして報道されることもないが、このような状況がパレスチナでは今日も明日も続いている」

 「問題の根本的な解決のためには、占領と封鎖を終わらせなければならない。このような状況を、なぜ世界は見過ごしているのか。私が死ぬまでに何ができるか分からない。今は希望は見つけられず、途方に暮れているというのが正直なところ」

後半は会場、オンライン参加者との間で意見交換です。
 「美香さんが伝えて下さっていることは大きな意味のあること」
 「日常生活の写真にパレスチナを身近に感じることができた。男性たちの髪型が決まっているのも印象的だった」等の感想には、沈痛な表情だった美香さんも笑顔を見せ、「パレスチナには床屋も多く、男性も身ぎれいにするたしなみがある」と回答されました。

2002年にパレスチナを訪問し、若いイスラエル兵士と話をした経験もあるという女性からは、
 「イスラエルの兵士も好きこのんで戦争をしているのではない。戦争は、資源の争奪など経済によって作り出されている。なるべく資源を使わない生活を送ることが戦争をなくすことにもつながる。私たちにできることはたくさんある」との意見。
 美香さんからは
 「イスラエルにも少数だが兵役を拒否する人もいるし、分離壁闘争を支援しているイスラエル人弁護士もいる」等の紹介。

パレスチナ支援のためにできることはあるかとの質問に、美香さんは「パレスチナオリーブ」を紹介されました。
 現地の方のオイルや石鹸をネットで購入することができます。代表の皆川万葉さんには、高橋さんとの共著『パレスチナのちいさないとなみ』もあります。

意見交換も盛り上がり、予定を大幅に超えて、気が付くと17時を回っていました。最後に高山館長から、
 「みんな知らないことだらけ。知らないこと自体は罪ではない。しかし、いったん知ってしまったら、何も考えないことは罪になる。ぜひ次回は『何も知らない』友人を連れてきてください」等の挨拶。

終了後は、十条にあるパレスチナ料理店「ビサン」へ。美香さんとの縁を取り持って下さったIさんご夫妻と合流。ご夫妻はこの日、ガザを描いたドキュメンタリを鑑賞されたそうです。
 昨年11月は美香さんもご一緒できましたが、この日はお誘いしましたが体調不良とのことで残念でした。

 トルコビール、ホンムス(ひよこ豆のペースト)、オリーブオイルたっぷりのサラダ、ピタパン、ラム串焼き、バーミヤ(オクラとトマト、サフランライスがけ)等を頂いて満腹。満足。スドゥキさん、ご馳走様でした。

美香さんのお話を伺うたび、自らの無力感にさいなまれます。このような個人の拙いブログで発信のお手伝いをすること位しかできません。
 特に今回は、美香さんは親しい方を失ったばかりで深い失意の底にある様子が伝わってきました。少しずつでも、心身が回復されていくことをお祈りしています。 

私にできることは、せめて、日々、忘れないこと。
 そのために、美香さんに頂いたパレスチナの子どもの写真を、机のすぐ前の棚に飾りました。幼かったエリヤちゃんは、今はすっかりたくましく成長されているそうです。