【ブログ】ぶらり歴史散歩(房総)

2023年6月5日(月)は、古民家農泊 Re(千葉・多古町島)で心地よい目覚め。明るい日差しが差し込んでいます。
 昨夜、辻信一先生のトーク/上映会が終了して帰ってきた時はすでに暗かったため、近所を散歩しようとGoogle Mapを開いてみると、すぐ近くに「志摩城址」との表示。

7時過ぎに外に出て改めて「Re」をみると、外観も立派です。
 集落はイヌマキの生け垣が印象的。千葉県の県木になっているとのこと。

畑の中の道を10分弱歩くと、こんもりとした森が見えてきました。近づくと、志摩城址の標柱と説明板がありました。

平安以来の名族・千葉氏の16代当主・胤直は、享徳四(1455)年、一族内の内紛により猪鼻城(千葉市)を追われ、この城に移って籠城したものの、多古城に籠った息子・宣胤ともども自害。この城は、千葉宗家終えんの地とのことです。
 ちなみに千葉宗家は、後に扇谷上杉氏により再興され、その一族は武蔵千葉氏として赤塚城(東京・板橋区。先日、訪ねてきました。)等を領することとになります。 

城址は八幡神社になっています。境内を抜けると急な石段。かなりの高低差があることが分かります。
 この辺りは「島」という地名が示すように、低湿地に浮かぶ台地となっていたようで、弥生時代の遺跡もあるそうです。

下左の写真は志摩城址の遠望。
 右は近隣にある正覚寺。明治九年まで禁制とされていた日蓮宗不受不施派の寺院です。

 この後に「Re」で髙坂勝さんが説明して下さったように、この地は中世における水運の要衝だったそうで、そのために歴史的な遺産も多いようです。

匝瑳市のソーラーシェアリング施設を見学させて頂き、髙坂さん、辻先生一行と別れてからは、まずは髙坂さんお勧めの飯高檀林(飯高寺)へ。
 天正元(1573)年に始まる日蓮宗の学問所です。

石段を上り、惣門をくぐると閑静な参道。白と青の紫陽花が交互に咲いています。両側は鬱蒼とした杉林。
 空堀も残っているようで、城郭的な性格があったのかも知れません。
 堂々たる木造入母屋造の講堂は慶安四(1651)年に再建されたもので、千葉県内最大規模の重要文化財の建築物とのこと。題目堂、鐘楼、鼓楼もあります。

駐車場脇の案内所で、竹の一輪挿しを求めさせて頂きました。

せっかく房総に来たので、ふだんあまり行けない海を見ることに。
 途中、昼食に頂いた鰺と鰯のフライ、なめろう、蛤は、さすが超美味(さすが千葉!)

蓮沼海浜公園の先にある広い砂浜へ。青空の下、波が打ち寄せます。
 浜にはツメタガイの卵塊、シャコの巣穴など。

14時前に海浜公園を出発、東金、茂原を経由して真里谷(まりがやつ)城址に到着したのは15時30分過ぎ。房総半島の広さを実感しました。
 この辺りは木更津市少年自然の家キャンプ場になっており、城址のすぐ近くまで車で行けるという目論見だったのが、何と閉場中。登り坂を20分ほど歩くと、城山神社の鳥居が見えてきました。

真里谷城は、康正二(1456)年に上総武田氏によって築かれ、子孫の真里谷氏が本拠を置いた地。その後、真里谷氏は小弓公方・足利義明を支援する有力な国人の一人として勢力を伸長したものの、天文七(1538)年の国府台合戦によって義明が没し、さらに一族内で内紛が生じて次第に衰微することとなります。

神社の境内を高台に上ると、キャンプ場のロッジの屋根の向こうには重畳とした山並みが望めました。かなりの比高もあり、要害だったことが伺えます。
 本丸跡は、千畳敷と呼ばれる広い芝生の広場となっていました。

さらに1時間ほど移動し、久留里城址(君津市)に到着したのは16時30分過ぎ。
 資料館に向かうアスファルトの道の脇から、旧登城道へ。道は濡れています。この地は雨が多く、久留里城は「雨城」との異名があったとのこと。

真理谷城と同じく、上総武田氏によって康正二(1456)年に築城され、真里谷氏が支配していた山城ですが、真里谷氏が衰えた後は安房の里見氏の本拠地が置かれ、後北条氏の上総侵略の防御戦が展開ました。
 江戸時代には久留里藩の藩庁として再整備されたそうです。

旧登城道を辿り、火薬庫跡の標柱を右に見ながら進むと、やがて眺望が開けました。
 ここが薬師曲輪の跡で、三の丸や大手門の跡を見降ろすことができます。かなりの規模の城郭だったことが伺えます。

近くには、久留里藩主に仕えていた新井白石の銅像も。
 資料館は閉館でしたが(どうして資料館や美術館は、月曜に一斉休館となるのでしょうか)、屋外に展示されていた上総掘りの櫓の模型は見学することができました。
 説明板には「現在でも東南アジアやアフリカの諸国で使用されています」とあります。以前に観た故・中村哲医師さんを描いたドキュメンタリ映画を思い出しました。

天守台への道は通行止めでした。5月の地震、6月の大雨の影響だそうです。模擬天守の姿も望めませんでした。

最後はやや肩透かしでしたが、今回の房総ぶらり散歩は終了。
 もう2~3か所は廻る心づもりでしたが、今回はここまで。房総半島の大きさを見くびっていたようです。
 千葉には有名な古戦場址も多く、また来たいと思います。

 19時前にJR千葉駅前に帰着しレンタカーを返却。
 駅近くの居酒屋さんで、最後もお魚(サバのごま漬け、あて巻きなど)。地酒「不動」(成田市)も美味。自宅に到着したのは、結局、23時前。
 心地よい疲労感が残りました。