【ブログ】福島の農家を巡るツアー2023(1日目)

今年(2023年)は、東日本大震災と東京電力福島第一原発の事故から12年目。ちょうど干支(卯年)が一回りしたことになります。
 避難指示が出されている区域は大きく縮小されていますが、現在も309㎢ が帰還困難区域となっています。東京都23区(627㎢)の約半分、尖閣諸島(5.6㎢)の約60倍の国土が今も喪われているのです。

 12年と8か月目の「月命日」にあたる11月11日(土)から2日間、福島の農家を巡るツアー2023に参加させて頂きました。久しぶりの浜通りです。
 主催は(特非)福島県有機農業ネットワーク。「ふくしまプライド。農林水産物販売力強化事業」の支援を受けているとのこと。

概念図は福島県「福島復興情報ポータルサイト」より。

東北新幹線やまびこ129号は定刻の10時12分に郡山着。当日の朝、東京は風が強く雲が多かったのですが、郡山は抜けるような青空です。
 長い連絡通路を通って待ち合わせ場所の東口へ。繁華な西口とは対照的です。主催者の浅見彰宏さん達が待っていて下さいました。一行5名は浅見さん自ら運転するレンタカーで出発。首都圏からの参加者は3名と、やや寂しい人数です。

 車内では、この日の前日、浅見さん達の「本木・早稲谷 堰と里山を守る会」が、ディスカバー農山漁村(むら)の宝(第10回)に選定されたことも話題となりました。昨年、今年と堰さらいボランティアに参加させて頂いた私にとっても、嬉しいニュースです。

20分ほどで「えすぺり」に到着。エスペラント語で「希望」の意を冠する直売所で、カフェも併設されています。
 オーナーの大河原さんご夫妻は、隣の田村市で有機野菜等の生産と宅配に取り組んでおられましたが、原発事故で突然、顧客の3分の2を失ったとのこと。当時の無念の思いは想像も及びません。深い失意から立ち上がり、2013年、販路を一から作り直すために開設したのがこの直売所です。
 新鮮な野菜やパンは地元の方たちにも評判で、小さな子どもを連れた家族など多くのお客さんで賑わっていました。

 ランチに頂いた頂いた定食は、白菜と豚肉の酒蒸し、大根のせんばん(煮物)、ポテトサラダ、椎茸とねぎの味噌汁など。ご飯は大河原さん宅の天日干し米です。ご馳走様でした。

 二本松市を経由して県北部の新地町に向かいます。
 途中、立ち寄った道の駅ふくしま東和には、なぜかカオナシさんの姿。駐車場整理などに大活躍です。

飯舘村を経由し、新地町の畠リンゴ園に到着したのは14時20分頃。1980年代に拓かれたリンゴ生産団地の一画にあります。
 畠 利男さんご夫妻が待っていて下さり、リンゴを切ってふるまって下さいました。

 リンゴは気温が下がらないと果肉に蜜が入りにくいそうで、甘さは変わらないものの蜜入りの方が消費者には喜ばれるとのこと。猛暑でさっぱり獲れなかった品種もあったとのことで、こんな年は初めてだったそうです(この後に訪ねた多くの生産者さんからも、同じ言葉を伺いました)。

 リンゴ園も見学させて頂きました。有機栽培されたリンゴがたわわに実り、日差しを受けた赤い果実の色が青空に映えています。
 約20種類ほどを栽培されているそうで、福島県農業総合センター果樹研究所が開発・育成した緋のあづまなど珍しい品種もあります。

イノシシの害が深刻なようで、水たまりの脇には足跡が残されていました。
 2016年に訪ねた時は、原発事故の影響で販売が落ち込んだと伺っていましたが、この日は、私たちが訪ねている間にも何組もの来客がありました。畠さんのリンゴは宅配がメインのようですが、地元の方にも人気があるようです。

 お土産に何種類ものリンゴを持たせて下さいました。有難うございます。

この日、宿泊する予定のアンブレラ(相馬市椎木)到着したのは16時近く。早くも日が傾いてきました。
 大きな民家を改装して本年3月にオープンしたばかりのゲストハウスでは、オーナーの菊地将兵さん(1985年生まれ、大野村農園)が出迎えて下さいました。
 遊具が置かれた広いキッズルーム、本棚には大量のコミック、ジム、別棟になったカラオケルームやバレルサウナもあります。毎週土曜日の夜にはこども・おとな食堂も開いておられるとのこと。

 菊地さんは1985年相馬市生まれ。首都圏でホームレス支援のボランティア活動等に携わった後、東日本大震災の直後に、周囲に反対されながらも故郷に戻って新規就農された方です。就農1年目は「風評被害」でほとんど収入がなかったとのこと。

 就農5年目には養鶏をスタート。相馬ミルキーエッグという名前で売されている卵は、これまでも何度か頂きましたが濃厚で美味です(2018年には有楽町でのイベントに参加させて頂いたこともあります)。

鶏舎も見学させて頂きました。日本の養鶏はケージ(金属のかご)飼いが一般的ですが、ここでは約700羽の卵肉兼用種が地面の上を歩き回っています(平飼いです)。
 飼料には地元産の米や米ぬか、自家産のキャベツやブロッコリの外葉のほか、漁師さんの手伝いに行ってもらってくる魚のあら等を与えているそうです。これも日本の養鶏では一般的な、輸入のとうもろこし等は一切使用していないとのこと。
 ネットオークションで手に入れたという洗卵器なども見せて下さいました。

 労働力としては地元のパートの女性のほか、全国から志望してくる研修生も受け入れているそうですが、若い研修生の指導等にはご苦労もある様子です。漁師の手伝いや近隣の水田農家の草刈りの請負など、人に雇われることで、自分も人を使う時の勉強になると笑って話しておられました。

アンブレラに戻って自炊での夕食・懇談会。菊地さんも付き合って下さいました。
 焼いて頂いた菊地さんの鶏肉は、とにかく歯ごたえが尋常ではなく、いつまで噛んでも無くならず旨味が口中に広がります。
 買い込んできた地元の日本酒など。私は以前に知人に頂いていた米焼酎「ねっか」(奥只見産)を持参し、これも美味しく頂きました。

 菊地さんは、小学校で在来種の里芋・相馬土垂(どだれ)の栽培体験の指導などもされているそうです。マッチョで金髪という風貌どおり(失礼)、意欲的で創意工夫にあふれた方です。

気が付くと23時を回っていました。
 お風呂を頂き、ふかふか、ふわふわの広いベッドへ。外気温はかなり下がっていたようですが室内は暖かく、快適に眠りにつきました(というか、よく覚えていません)。(2日目に続く。)