【ブログ】福島の農家を巡るツアー2023(2日目)

2023年11月12日(日)。福島の農家を巡るツアー2023の2日目の朝は快適な目覚め。いささか二日酔い気味ではありますが。
 ゲストハウス「アンブレラ」(相馬市)での自炊の朝食は、贅沢にも、大野村農園のミルキーエッグ(卵)かけご飯、鶏肉とキャベツのスープなど。浅見彰宏さん自家製お味噌の味噌汁も。いずれも深い味わいです。ご馳走様でした。

 相馬土垂(在来種の里芋)や、庭先に鈴なりに生っていた柚子をお土産に頂き(有難うございました)、9時前に出発。

浜の駅 松川浦(相馬復興市民市場)に立ち寄り。
 津波で甚大な被害を受け、さらに東京電力福島第一原発事故による「風評被害」にも悩まされた松川漁港の復興のシンボルとして2020年にオープンした施設です。早い時間でしたが多くの方が訪れていました。
 緑のビブスを身に着けた東京農業大学の学生さん達の姿も。復興知・人材育成事業の一環としてアンケート調査中とのこと。

2017年に復旧した松川浦大橋を渡り、両側に海を望める絶景の大洲松川ラインを南下し、やがて南相馬市に入りました。
 2016年に訪ねた時は、そこここに黒いビニール袋に入った大量の除染廃棄物が置かれていましたが、この日は全く見当たりません。ほとんどは中間貯蔵施設(双葉町、大熊町)に輸送されたようです。

 杉内清繁さん宅(南相馬市原町区)に到着したのは、10時頃。
 米などの有機栽培に取り組んでいた杉内さんは、原発事故による避難指示区域からはぎりぎり外れたものの、「風評被害」もあって地域の農業生産が危機に陥るなか、農地を保全・再生するために仲間と(一社)南相馬農地再生協議会を設立。菜種油には放射性物質は移行しないという試験結果を踏まえて、菜種の栽培と、菜種油の製造を始められました。
 「油菜ちゃん」というブランド名とラベルのデザインは、相馬農業高校の生徒さん達が考案したもの。絶望しかけた中、地域の人たちが力を合わせて立ち上がったシンボルの一つが「油菜ちゃん」でした。

ところが協議会は、12年という時間が経過する中でメンバー間で思いが食い違ってきたとのこと。そこで杉内さんは新たに会社を設立し、新しいブランドで菜種油の製造・販売に取り組むことされたそうです。有名シェフ等とも連携し、種まきや花見のイベントも企画されているとのこと。

 話の間で、奥様がお茶と揚げたサツマイモを出して下さいました。さくさく、パリパリと美味です。ご馳走様でした。
 学校給食の話も聞かせて下さいました。杉内さん自ら教育委員会に働きかけて、熱心な管理栄養士さんの賛同・協力も得て、学校給食に菜種油を使うこととなったそうです。
 ちなみに大豆の方は、今年は開花時期の8月中旬の渇水により、ほとんど全滅だったとのこと。

南相馬市小高区の根本洸一さん宅(根本有機農園)に到着したのは、予定よりかなり遅れた11時30分頃。
 同じ南相馬市でもこの地区は原発から20km圏内に入ったため、避難指示が出されました。
 根本さんも相馬市に避難。それでも根本さんは、立ち入りが認められた翌年からこの地に通って米などを作り続けました。販売することも食べることもできませんでしたが、試験栽培により得られたデータは、放射性物質が作物へ移行するメカニズムの解明と対策づくりに大いに活用されました。

 2016年には避難指示が解除され、根本さんは本格的に農業を再開。現在は、市役所を早期退職された後継者の方とともに、有機JAS認証米等の生産に取り組んでおられます。
 雄町米(酒米)も生産されていて、郡山市の仁井田本家や、地元に新しくできた酒造会社・haccoba に卸しているとのこと。

 それでも帰還した農家は、根本さんの他にはもう一軒だけとのこと。一方で大規模法人が誕生しており、パック用ご飯向けの米を生産しているそうです(アイリスオーヤマ(仙台市)の復興支援事業の一環のようです)。
 さらに、県外等から移住して新たに起業する人も多いとのこと。先ほどの酒造会社もそうですし、下右の写真はふるさと納税の返礼品にも同封するカードだそうですが、これも移住されたデザイナーの方によるものだそうです。「米づくりにまっすぐ」、素敵な表情をされています。

野菜畑も見学させて頂きました。景色を見て、2016年に訪ねた時は、ご一緒した故・大江正章さんもお元気だったことを思い出しました。

 ここにも獣害除けの電気柵。根本さんは「まるで人間の方が囲われているみたいだ」と笑っておられました。今年の野菜はやはり不作のようで、こんな年は初めてとのこと。
 それでも見事に育ったカブやニンジンを手ずから収穫し、手土産に持たせて下さいました。有難うございます。

国道6号線をさらに南下して浪江町へ。この国道も原発事故で2014年9月まで通行が規制されていました。
 全町に避難指示が出されていた浪江町は、2017年に一部が解除。中心部にある道の駅なみえは2021年3月にグランドオープンしたばかりで、日本酒と大堀相馬焼を展示・販売する「なみえの技・なりわい館」も併設されており、多くの人で賑わっています。

 なみえ焼きそばと、ミニ釜揚げシラス丼のセットを頂きました。もっちりとした太麺、シラスは器から溢れそうです。超美味でした。
 平和な光景に、被災地であったことを忘れそうになります。

ところが二本松に向かう県道459号線を山間部に入ると、景色は一変。
 そこはまだ帰還困難区域のままで、住宅地に入る道路はバリケードで閉鎖されていました。津島地区の一部でも本年3月に避難指示は解除されたものの、帰還者はわずかにとどまっているそうです。

今回のツアーの最後の訪問地・二本松市木幡に到着したのは、14時30分過ぎ。冷え込んできました。
 1300年近い歴史のある隠津島(おきつしま)神社の参宿所で開催されていたのは「こはたマルシェ」。7回目になるそうで、ここも多くの人で賑わっています。
 地域の方たちが農産物や加工食品、お菓子、服や雑貨などを出展されています。浅見さんは何人もの顔見知りの方と言葉を交わされていました。

 岩代地域のPRのためのフリーペーパー「岩代おじさん図鑑」というものを頂きました。謎の「人生のぼうけんのしょ」とのこと。この冊子の取材やデザインも、原発事故後に移住されてきた方々が担っておられるそうです。
 帰り際に玉こんにゃくを頂きました。熱々で、身体と心が芯から温まりました。

16時頃にJR郡山駅西口に到着、解散です。
 浅見さん達は、これから長距離を喜多方市山都まで帰られるとのこと。今回もお世話になり有難うございました。

東日本対震災と原発事故から12年。干支が一回りしたという時間の長さを実感しました。
 総じて、地元の方や移住者の方たちにより、力強く復興が進んでいる様子が印象に残りました。もはや「被災地」ではなく、「かつて被災した地」であるかのような錯覚も覚えかけました。
 しかし、帰還困難区域が残っていること、避難指示が解除された地でも帰還者は少ないなど、12年間が経過しても大きくは変わっていない部分もあります。
 原発事故という未曽有の災害を蒙った地域の現状は、今もまだら模様です。

左から畠さん宅(新地町)の愛犬、根本有機農園(南相馬氏小高)、二本松市木幡からの安達太良山の遠景。

政権は「グリーン」の旗印の下、原発の積極的な活用に舵を切っています。
 忘れてはいけないことを思い出させてくれる旅でもありました。