【ブログ】2024年は波乱のスタート。肉食のことも。

猛暑・渇水に見舞われた2023年は12月に入っても暖かい日が多く、何と年末近くまでコットン(福島・広野から種を頂いてきたもの)が収穫できました。キャベツ、白菜、ブロッコリ等も大豊作。
 ささやかながら、日本イラク医療支援ネットワークにチョコ募金
 27日(水)には加藤登紀子のほろ酔いコンサート(東京・有楽町)を初めて観覧。平和を祈る愛の歌の数々に、満席の会場はかなりの盛り上がりでした。

そして新年が明けました。
 ウクライナやパレスチナのことを思うと「おめでとうございます」とは言えず。一日も早く戦火が止むことを祈りつつ、本年も少しでも「食と農の間の距離」を縮められるような活動に取り組んでいきますので、引き続き、どうぞよろしくお願いします。

 ちなみに、四半期ごとに変更している拙ウェブサイト「フード・マイレージ資料室」のカバー写真は、新年からは新潟・十日町市の儀明の棚田に。

今年の初詣は、妻が行ったことないというので早稲田の穴八幡宮へ。一陽来復のお守りを求めさせて頂きました。
 その後は新宿の映画館で『ゴジラ-1.0』を鑑賞。途中、誰かのスマホから緊急地震速報が流れたと思うと、激しくはないものの、長い時間の揺れがきて上映は中断。スマホを確認すると能登で震度7の地震が発生したとの速報。
 その後、安全が確認できたとのことで上映再開。映画は面白かったものの、現実の地震の方が映画のゴジラより数段怖いことを再確認。石川や新潟の知人に安否確認のメッセージなど(幸い、皆さんご無事でした)。

翌2日(火)のテレビは、ほとんど地震関係の報道。道路は寸断。津波。輪島市では大規模火災も。どんどん犠牲者の数が増えていきます。
 さらに夕方には、羽田空港でJALのエアバスが炎上している映像が飛び込んできました。被災地に支援物資を搬送していた海上保安庁の航空機と衝突したとのことで、海保機の乗員5名が死亡とのこと。

休刊日明けの3日付けの新聞は、例年、電話帳のように(古いですね)分厚い元旦に比べると薄っぺらいのですが、地震と航空機事故の大きな見出し。
 「令和六年」が最初に冠されたのが地震とは、何とも落ち着かない新年となってしまいました。犠牲になられた方々に哀悼の意を表するとともに、被災された皆様にお見舞いを申し上げます。

このような年末年始の課題本は、昨年から決めておいた通り「お肉」でした。
 きっかけは、12月18日(月)に、芝浦の東京都中央卸売市場・食肉市場にある「お肉の情報館」を見学したこと。展示されていた食肉市場(と畜場)や、そこで働く人たちを誹謗、中傷するはがきや手紙を見て、現在も、これほど深刻な人権問題が残っていることに、正直、驚いたのです。

まずは、市場で働いてる人たちの現状を知りたくて手に取ったのが、次の3冊でした。

定年まで34年にわたって屠畜・解体作業に従事し、全芝浦屠場労組委員長も務めた栃木 裕による『屠畜のお仕事』(2021、解放出版社)は、小学校高学年以上を対象としたガイドブック。
 栃木は、不当な差別があるのは屠場の仕事がよく知られていないためであるとし、「屠畜の仕事は高い技術を必要とする、楽しくて面白さのある仕事」であるとします。また、必要な屠畜の仕事を「命をいただく」等に言いかえることは「差別を拡大・再生産させているとさえ考えている」との言葉にも矜持が感じられます。

山脇史子『芝浦屠場千夜一夜』(2013、青月社)は、1991~98年の間、芝浦の内臓処理現場に作業員として通った著者の体験ルポ。
 最初は1週間だけのつもりだったのが7年間も続いたのは、芝浦がたぐいまれな、抜け出せないほどの魅力があったためだったそうです。多くの人との交流を通じて、「大きな牛をナイフ1本で解体する姿は神話の中の光景を見ているよう」と表現し、屠場は「血は流れているけれど、なんだか静かで心落ち着く場所」だったとしています。
 また、差別的な表現をした著名な出版社等を組合が激しく糾弾する「出版確認会」の様子も描かれています。

鎌田 慧『ドキュメント 屠場』(1998、岩波新書)も、本棚の奥から取り出してきて再読。
 差別の問題を含めて、初めて屠場を正面から扱ったという点で歴史的とも言える著作です。山脇が芝浦に通っていた時期と同じ頃に出版されていることを知りました。
 著者は、腕一本で生き抜いてきた作業員たちの爽やかさに驚きつつ、「チームの仲間を支える労働者集団としての稀有ともいえるモラルは、職業差別の苦悩のなかで鍛えられてきたものものかも知れない」と記しています。

 さて、ここまでは順調(平穏)だったのですが、せっかくなので肉食についてもう少し勉強しようと以下の本を読み始めて、次第に心がざわざわとしてきました。

オランダの人類学者・文筆家であるロアンヌ・ファン・フォーシストによる『さよなら肉食-いま、ビーガンを選ぶ理由』(2023、亜紀書房)は、最初、タイトルだけ見た時は「流行り」の地球環境面からの肉食批判の本かと思ったのですが(その記述もありますが)、著者がビーガンになった理由は「動物が好きで彼らが殺されるのは嫌だったから」とのこと。
 「肉食主義はとてつもなく暴力的」「工業的畜産での動物の扱いは人類史上最大の犯罪に数えられる」等の刺激的な表現の数々。また、「屠畜は精神的にも肉体的にもつらい労働」との決めつけは、先の3冊の内容とは真逆です。
 また、ベジタリアンやビーガンの大部分はミレニアム世代等の消費者であるとして、近い将来の「クールな蛋白質革命」を予言しています。

民俗学・日本文化論の赤坂憲雄の『奴隷と家畜-物語を食べる』(2023.4、青土社)では、食べることについての様々な文学作品や映画が取り上げられています。
 宮沢賢治『ビヂテリアン大祭』が描いているのは、「よくよく喰べられる方になって考えてみると、とてもかあいさうでそんなことはできない」と肉食を忌避する菜食主義者と、それを批判する人々との間の公開討論会の様子。
 最後、批判派は「あっけなく」雪崩を打って菜食主義者に転向するのですが、取り上げられている議論は幅広く現代的です。

 同『フランドン農学校の豚』は、屠畜される運命にある豚を主人公とした童話で、おびえ、泣き叫ぶ豚の気持ちが綴られています。ところが屠畜された後は唐突に第三者(賢治?)の語りに変わり、「さあそれからあとのことならば、もう私は知らないのだ」「それからあとの景色は僕は大きらひだ」と記されて物語は閉じられます。
 絵本(nakaban・絵、2016、ミキハウス)の最後のページ、月夜の黒い空と白い雪原のコントラストが印象的です。

赤坂は、社会思想史を専門とする雑賀恵子の『エコ・ロゴス』(2008、人文書院)も紹介しています。
 「生命体としての私の生は、他の生命体(動物、植物)の死と引き換えにしか存在できない。食べることは物質のcompassion(受難を共にすること)」との記述について、赤坂は、「この言葉は賢治に届くかもしれない、といくらか愉しげに思う」と記しています。

私個人としては、工業的畜産には大きな問題はあるものの、放牧中心など環境調和(保全)型で、動物愛護にも配慮した畜産には大きな意義があると、これまで信じて疑ったことはありませんでした。
 ところがこの年末年始、人生初めて、肉食そのものについての疑問が生じてきたことを告白せざるを得ません。食べても、以前より美味しく感じられなくなったような気もします。
 私自身にとっても、2024年は(地震等に比べれば全くささやかなことながら)波乱のスタートになったようです。