2024年3月11日(月)。東日本大震災と東電福島第一原発の事故から13年目。
午後のラジオを聴いていると、フリージャーナリストの青木美希さんがゲストが出演。14時46分の黙とうを挟んで、最後に青木さんから夕方のイベント「日本はなぜ原発を止められないのか?-青木美希さんのお話と交流とうたごえ」の紹介がありました。電話してみると幸いまだ空きがあるとのこと、早速、申し込み。
青木さんのご著書や活動には以前から注目しており、拙メルマガでご著書『地図から消される街』を紹介させて頂いたこともあります。
会場は、東京・高田馬場駅東口から至近の歌声喫茶「ともしび」。ここも以前から、一度、訪ねてみたいと思っていました。
入ってみると、なかなか広いスペースです。
定刻の18時過ぎ、吉田正勝さん(ともしび音楽企画)の司会により開会。
吉田さんは福島・浪江町のご出身で、この日も浪江町等から避難されている方(吉田さんの同級生の方を含めて)が多数参加されており、色々とお菓子など配って下さいました。
かつて1万9千人が住んでいた浪江町は原発事故によりほぼ全町に避難指示が出され、一部解除された現在も帰還された方は1400人にとどまっているそうです。
青木美希さんがスライドを映写されつつ、話を始められました(以下、文責は全て中田にあります)。
「私は札幌市出身で、地元紙を経て朝日新聞社に入社。現在はフリーの立場で、学生時代からのライフワークである原発問題の取材を続けている。今日も皆さんから色々と話を聞かせてほしい」
「今年も311がめぐってきたが、毎年、原発報道が少なくなっている。原発事故は終わっていない。現に300km離れた山梨でもキノコの出荷制限が続いている。住宅補助が打ち切られると避難者にカウントされなくなるなど、実態と乖離している面もある」
「今回の能登半島地震でも、報道は実態を伝えていない。輪島市の避難所で段ボールハウスが設置されたとの写真入りの報道があったが、実際はごく少数で、ほとんどの人は雑魚寝という状態は変わっていない。
プライバシー保護を理由に避難所内部の撮影は原則として禁止されていることもあり、スフィア基準(被災者の人道支援活動のために定められた国際的基準)が守られていないことが伝えられていない」
「発災から2か月後の3月7日に、ようやく現地に入り志賀原発を取材できた。北陸電力の情報公開は不十分で、発表内容が記者会見のたびに変わることも。
外部電源の一部は今も使えていない。油漏れがあった変圧器の耐震基準は普通の建物と同じで、すっかり補修されて破損した箇所が確認できなくなっていた。敷地のすぐ近くに地割れが見えたが近くまでは行けず、地割れの箇所数を質問すると(2か月が経過した)現在も集計中とのこと。
モニタリングポストはエリアとして機能しなかった。豪雪地帯でもあり、事故が起こった際の避難は困難であることが明らかとなったが、再稼働の方針は変更されない」
「東電・福島第一原発の廃炉作業が遅れる一方で、避難指示の解除が住民との協議なく進められている。実際に帰還した方が住居の線量を計ってみると、非常に高い値だったという話もある。
ALPUS処理水は通常の排水とは異なる。破損した原子炉に接し、トリチウム以外の核種が含まれている「放射性廃棄物」。
東京の新宿御苑等などでは「除染土」の再利用に向けての実証事業を行おうとしている。実態は「汚染土」ではないかと環境省に質問すると、それでは「聞こえが悪い」との答だった」
「私たちは、大手マスコミも含む原発ムラに騙されてきた。そして現在、原発回帰が推し進められている。また、元に戻ろうとしている。有権者は寝ていてくれればいいというのが政権与党の本音。私たちには選挙に行って意思を表明することが求められている」
そして最後に、「人は身近な人の言うことは聞いてくれる。匿名でもいいのでSNSでも発信し続けてほしい」等と訴えられました。
休憩を挟み、第二部は会場の参加者を含めた交流会。
浪江町から静岡県に避難されている方は、かつては原発の近くで海釣りをしていたそうです。
歌人で出版社(いりの舎)を運営されている方からは、出版されている歌集や歴史書を紹介して下さいました。今回の被災で散逸してしまった古文書もあるそうです。
「ふるさとを知らずに生きた12年」という、中学生の俳句を紹介して下さった方もいらっしゃいました。
被災・避難後も自宅は絶対に解体しないと頑張っていたご主人が、うつ、認知症を発症されて亡くなられたという方もおられました。固定資産税の負担が大きく、泣く泣く解体されたそうです。
避難者の方たちの前で勇気が必要でしたが、私も手を挙げて、
「新宿御苑の話があったが、福島原発の最大の受益者であった東京こそが除染土の再生利用等を積極的に受け入れるべきという考え方もあるのでは」と伺ってみました。
すると避難者の方たちからは一斉に、「拡散していいと思っている人は一人もいない」「講演は子どもたちも遊ぶ場所。東京の人に同じ体験、思いをしてほしくない」等の声が上がりました。
第3部は、うたごえ。
一曲目は、浪江町立浪江小学校の校歌。歌詞を書いたプリントを配って下さいました。
朗々と「あおげは西の山青く、海風かよう空晴れて(中略)かがやく浪江小学校」との歌声が響きます。
ちなみに浪江小学校は震災遺構として残すようにとの署名が集められたそうですが、2021年に解体されたそうです。
青木さんも会場の人たちと一緒に「大地讃頌」「死んだ男の残したものは」「ふるさとの山影」「私の子供たちへ」等を熱唱されました。高校では合唱部に所属されていたそうです。
21時過ぎに終了。青木さんから求めさせて頂いたご新著『なぜ日本は原発を止められないか』は、後日、拝読。
特に「おわりに」からは原子力ムラの実態を垣間見ることができたようで、寒々とした気持ちになりました(何を信じればいいのでしょうか)。
西村慎太郎氏の「『大字誌浪江町権現堂』のススメ」も求めさせて頂きました。また、何人かの方と名刺交換もさせて頂きました。
13年目の「311」に開催されたイベントは、何より、原発事故は終わっていないことを実感させてくれるものでした。
(ご参考)
ウェブサイト「フード・マイレージ資料室」
https://food-mileage.jp/
メルマガ「F.M.Letter-フード・マイレージ資料室通信」(月2回、登録無料)
https://www.mag2.com/m/0001579997