【ブログ】チャレンジ「江戸東京野菜」(大竹道茂さん講演)

2024年3月10日(日)は快晴。隣町の東京・清瀬まではバスで10分ほどです。
 駅からけやき通りを北へ。通り沿いには畑も残っており、直売所もあります。民家にはハクモクレンの巨木も。

駅から徒歩10分ほどで、清瀬市郷土博物館に到着。
 常設展は入場無料ですが、清瀬の古代から近代までの歴史的資料が充実しています。縄文時代中期の野塩前原遺跡から発掘された土器、結核患者のための病院が集中立地した経緯なども。改修されたばかりらしく、明るくて分かりやすい展示です。

 民族展示室には、国の重要民俗文化財・清瀬のうちおりも。受付でコースターを求めさせて頂きました。素朴で優しい手触りです。

2階の講座室では、10時から「チャレンジ!江戸東京野菜」と題する講座が開催されました。実際に江戸東京野菜の栽培にチャレンジする6回の連続講座で、この日は座学(講演会)です。

主催者・みやあきさんからの開会挨拶。
 ご専門の福祉に関わる活動のほか、農作業で長野に通い、コミュニティレストランの運営もされているという方。
 「農業の楽しさを多くの人に知ってほしいと思い、今年は連続講座を実施することに。消費者が近くにいるのが都市農業の特徴。消費者を巻き込んでいきたい」等の内容でした。

左の画像はみやあきさんのFBより。

最初の講演は、清瀬市郷土博物館学芸員の中野光将さんによる「江戸時代の清瀬の農業と暮らし」について。
 清瀬市の立地(武蔵野台地の平坦地にあり標高差は40m程度)、農家に残されていた古文書による江戸時代の農業の姿(水田もあったそうです)等について、スライドを用いて興味深い説明がありました。
 ちなみに現在、病院が集中立地している地域は、江戸時代は入会地だったそうです。

続いて、大竹道茂さん(江戸東京・伝統野菜研究会)から『江戸東京野菜の魅力』と題するご講演がありました。
 なお、当日のご講演の様子は大竹さんご自身のブログでも詳しく紹介されています(なお、以下の文責はすべて中田にあります)。

大竹さんのご講演は、清瀬市における生産者の紹介から始まりました。地元でも江戸東京野菜が生産されていることを知ることで、参加者の皆さんにも江戸東京野菜が身近に感じられたことと思います。

「東京都は高山から亜熱帯(島しょ部)まで広く、多彩な農業が営まれている。大産地ではないが日本農業の縮図と言える」

 「江戸時代は人口が急増したため、生鮮野菜が不足した。五代将軍・綱吉は練馬に養生中、尾張(愛知県)から大根の種を取り寄せて栽培を始めた。これが江戸の気候・風土に合ったようで、後に練馬大根の産地となり、昭和20年代頃までは一面、干し大根という景観が広がっていた。
 現在は青首大根が一般的だが、粋な江戸っ子は白首を好んだ」

「江戸東京野菜とは、古くは江戸時代から命をつないできた野菜。貴重な遺伝資源でもあり、野菜本来の味がする。しかし揃いが悪く大量生産は難しいが、現在、見直されて栽培が増加している。かつては15品目しかなかった江戸東京野菜は、現在は52品目まで広がっている」

「東京べか菜(山東菜の若どり)の名称は、広重の浮世絵にも描かれている海苔を採る小舟(べか舟)が由来。NASAの国際宇宙ステーションでも栽培されていることを小学校での講演で話すと、小学生たちが自分たちでも作って食べてみたいという声が上がった」

ほかにも、のらぼう菜は天明・天保の大飢饉の際に人々を飢餓から救ったこと、瀧野川八幡神社(東京・北区)から相談を受けて塩ビ管を使って滝野川ごぼうを栽培・収穫したこと、固定種のわさびが三鷹で見つかったことなども紹介して下さいました。

右は大竹先生のブログ「江戸東京野菜通信」より。

すべて大竹さんご自身がかかわったエピソードであり、いずれも臨場感があって興味深いものばかりです。盛りだくさんの内容を、予定の約1時間という短い時間ぴったりにまとめられたところも、さすがです。
 江戸東京野菜に興味を持たれた参加者も多かったようで、講演後は、短い時間ながら熱心な質疑応答も行われました。

 私自身、大竹さんのお話を伺うのは4年ぶりでしたが、初めて聞く話題も多く、大竹さんの実践(と江戸東京野菜の普及)が、さらに広がっていることが実感できる内容でした。
 大竹先生、今回も貴重なお話を有難うございました。

さて、この後は東京・国立へ移動。パレスチナの現状についての報告会です。

(ご参考)
ウェブサイト「フード・マイレージ資料室」
 https://food-mileage.jp/
メルマガ「F.M.Letter-フード・マイレージ資料室通信」(月2回配信、登録無料)
 https://www.mag2.com/m/0001579997