【ほんのさわり】浅見彰宏『ぼくが百姓になった理由』


(↑画像をクリックすると本のサイトに飛びます。)

-浅見彰宏『ぼくが百姓になった理由(わけ)-山村でめざす自給知足』
(2012/11、コモンズ)-

著者は1969年千葉県の生まれ。
バブル景気まっただ中、上智大学文学部を卒業して大手鉄鋼メーカーに就職。アジアへの輸出業務等に携わるなか、次第に行き過ぎた市場経済と、そのために生まれた貧困や格差、環境問題など社会の矛盾を感じるようになったそうです。
さらに1993年の冷夏による大凶作を目の当たりにし、日本農業の脆弱さと、自分も含めた日本人の農業や食べものに対する意識の低さに衝撃を受け、消費するばかりの自分のライフスタイルをリセットするために農業を志すようになったとのこと。
そして偶然、書店で手にした金子美登さん(埼玉・小川町)の本に感銘し、直接電話して研修生として受け入れてもらったのが26歳の時。

1年間、金子さんの下で農業技術のみならず生き様まで学びながら、浅見さんは、雪国への憧れもあり、あえて過疎化が進んだ条件不利な山間地の就農先を探します。そして1996年、福島・会津地方の喜多方市山都町早稲谷地区(やまとまち・わせだにちく)に移住されたのです。
80%以上が山林で、飯豊山の登山口に当たる豪雪地帯です。

住居や農地(耕作放棄地)を借り、造り酒屋等でアルバイトをしながら「ひぐらし農園」 をスタートさせた浅見さん(この辺りの苦心談や人との縁なども読み応えがあります)は、もともと移住した地域に何らかの貢献をしたいとの思いがあったことから、様々な活動に取り組み始められました。

その一つが堰さらいボランティアの募集です。
地域にある本木上堰(もときうわぜき)は、江戸時代中期に12年の難工事の末に完成した延長6km ほどの山腹水路ですが、離農と高齢化のため共同作業による水路の維持・管理が次第に困難になりつつありました。もともと受益面積(水田)は10haほどに過ぎず、「費用対効果」「経済合理性」は高くはない水路です。
そこで浅見さんは、最も重労働である春先の堰さらいについてボランテイアを募集することとしたのてす。都会からのボランティアは毎年増加し、地元の方達の意識の変化を含め、様々な交流による成果が現れています。
他にも試行錯誤を重ねながら、地域通貨、手作り醤油トラスト、直売イベント(百姓市)、新規就農者グループの組織化等にも取り組んでこられました。

浅見さんにとって有機農業とは、単なる農法を指しているのではなく、「行き過ぎた市場経済によって失われた人間と自然との関係、人間と人間との関係を、農業を通じて取り戻す運動」とのこと。
本書が上枠されてから5年の間、東日本大震災と原発事故という試練も経て、浅見さんは現在、NPO法人福島県有機農業ネットワークの理事長を務めるなど、地域のリーダーとしてますます活躍されています。

本書は、次のような浅見さん(ひぐらし農園)の信条で締めくくられています。
「ひぐらし農園の目指す農業は『未来を拓く農業』でありたい。そのためには、社会性があり、永続的であり、科学的であり、誠実であること。そして、排他的であってはならない」

[参考]
ひぐらし農園
http://white.ap.teacup.com/higurasi/
本木・早稲谷 堰と里山を守る会
https://www.facebook.com/sekitosatoyama/
拙ブログ(2017年6月3日に訪問した時の様子)
http://food-mileage.jp/2015/07/23/blog_cs/
ウェブサイト「フード・マイレージ資料室-ほんのさわり」
http://food-mileage.jp/category/br/

F.M.Letter No.120, 2017.6/9】掲載