2026年2月17日(火)19時から、第8回 食と農の未来フォーラムをオンライン開催しました。
タイトルは「「日本人ファースト」って?『武士の娘』から考える」。
ゲストの釘島浩子さんは三重県生まれ、大分県育ち。慶應義塾大学文学部の卒業論文をきっかけに杉本鉞子『武士の娘』の研究を始め、現在はフィナンシャルプランナーのかたわら、幕末以降の異文化交流、女性史、経済史についての研究を継続されている方です。

この日は20名弱の方がオンライン参加して下さいました(申し込んで下さった方には、後日、アーカイブを配信)。
冒頭、中田から「食と農の未来フォーラム」の趣旨とこれまでの開催経緯り説明。続いて、釘島さんからお話から頂く前の基礎知識として、アメリカにおける日系人移民の経緯と杉本鉞子(えつこ)の略歴を年表に整理して説明しました(説明資料の全体はこちら)。
鉞子がコロンビア大学の講師として活躍し執筆していたのは、排日運動が激しくなっていた頃で、後に日系人は強制収容までされてしまいます。このような時代に鉞子が英文で著した『武士の娘』はベストセラーとなり、戦後の日米関係の修復にも大きく貢献しました。

続いて参考に「食からみた日米関係」として、日米間の農林水産物貿易の推移(日本からみて大幅な輸入超過が続いている中でも近年は輸出が増加していること)、戦後、食料等が欠乏していた日本を救ったのは、民間のララ(LARA:アジア救済公認団体、日系人が設立した団体が母体)を始めとするアメリカからの援助食糧であったという歴史的な事実を説明しました。

釘島浩子さんから、準備して下さっていた「武士の娘とウィルソン一家」と題するスライドを映写しながらお話がありました。釘島さんご自身が収集した貴重な資料も含まれています(説明資料の全体はこちら)。
なお、以下の文責は中田にあります。
「こんばんは。叩かれる釘に島という珍しい苗字だが、祖母から先祖は武士だったと聞いている。最近、祖母と母を相次いで亡くしたが、もっと色んな話を聞いておけばよかったと思っている。
日本の女性史等に関心があり、慶應義塾大学の卒業論文のテーマを探している時に出会ったのが、杉本鉞子さんの『武士の娘』だった」

「最初に “A Daughter of the Samurai” が出版されたのは1925年。本になる前に連載されていた雑誌には2人の娘の写真も掲載されている。
連載が始まった1923年は日本では関東大震災があり、アメリカでは日本にお金や本を寄付をしようという運動が広がっていた」
「1934年に出版された“A BOOK OF GREAT AUTOBIOGRAPHY”(偉人たちの伝記)という本の表紙にも、ヘレンケラーやジョセフ・コンラッドらとともに、紋付の着物を着ている鉞子さんの写真が掲載されている。鉞子は当時のアメリカではそれなりの著名人だった」

「また、1930年から37年にかけて『武士の娘』は7か国語に翻訳され、世界的にもベストセラーになったが、この背景には1933年に日本が国際連盟から脱退したことがある。
『いったい日本人は何を考えているんだ』という関心から、ヒットラーの著作等とともに読まれた面もあった」

「『武士の娘』は、明治の初めの越後長岡出身のエツという女性の物語。大家族の一員として生活していたエツは13歳で親の決めた男性(アメリカ在住の貿易商)と婚約し、英語を学ぶために上京してミッションスクールに入学。その後、結婚のためにアメリカに渡り、2人の娘にも恵まれ、日々の生活の中で日本とアメリカの文化の違い等について語っている。
夫が亡くなり子育てのために帰国するも、アメリカで生まれた子どもたちは日本の文化になじめず、再び渡米を決意することになる。
残っている実際の鉞子さんの旅券をみると学生ビザで、渡航目的は宗教学の研修と書かれている」

鉞子さんのアメリカでの生活を親身に世話してくれたのが、教科書出版会社のウィルソン氏の一家だった。
その姪がフローレンスというすごい人で、鉞子さんとは最初、結婚式の介添え人として出会った。自らも鉞子さんの母親に招かれて訪日した経験もあり、その後は鉞子さん母娘と一緒に仲良く生活を送った。鉞子さんはフローレンスから、アメリカ文化、アメリカ人の立ち居振る舞い、考え方など多くを学んだ。また、フローレンスは鉞子さんの娘たちを、アメリカ人としても恥ずかしくない女性として育て上げた」
「私は、『武士の娘』に描かれている素晴らしい女性像は、鉞子さんとフローレンスの考え方がミックスしてできたものと考えている。しかしフローレンスの名前は、『武士の娘』のなかには一切登場しない」
「『武士の娘』を含め鉞子さんがアメリカで発表した著作は、排日移民法が制定されるなどアメリカで生活する日本人に多くの差別偏見が向けられていた時代に、日本人への誤解を解くために日本文化を紹介かることを目的とした物語。厳密な意味での自伝ではない」
「鉞子さんは戊辰戦争に敗けて焼け野原になった長岡に生まれ、自身も幼いころから縮れ毛というコンプレックスを持っていた。
その鉞子さんが、世界史的にもきな臭い時代に渡米し、男女を問わずアメリカ人にも日本人にもいい人はたくさんいる、両国にはいい文化があるという、穏やかで平和な物語を書いた。鉞子さんはまさに世界市民(World Citizenship)だったと思う」
「なお、鉞子さんの娘たちは日本で結婚(次女は福沢諭吉の孫と結婚)し、それぞれ戦後の日米文化交流に貢献した」

後半は、参加者の皆さんとの質疑応答・意見交換です。
東京・世田谷区在住の女性からは
「この本を読んで本当に楽しかっただけではなく、すごく懐かしい感じがした。鉞子さんの考え方や体験したことに非常に共感できた。今、日本人としての『恥の文化』のようなものが忘れられかけているが、それらの大切さをこの本で再確認させてもらった」との感想。
京都で環境関係の活動をされている男性からは
「この本や作者のことは全く知らなかった。いま、日本人が優れているように主張する人もいるが、このような風潮はすごく怖いと感じている。介護も農業も製造業も、外国の人達の世話にならないとやっていけない社会になってきている。もっともっとオープンにし、理解を深めていくことが非常に大事ということを改めて思った」との意見。
「今回の衆議院選挙でも外国人排斥等の主張があった。今日の話は難しかったが、話を聞きながら、戦前という雰囲気に戻りつつあるような危機感を抱いた」と述べて下さった男性も。
これらに対して釘島さんからは、
「当たり前のことだけど、花が咲いてるのを見て綺麗だな、美味しいものを食べたらああ美味しいなって思うのは、みんな一緒のはず。騒音に振り回されずに、人々がきちんと考えることが大事だということが、この物語のあちらこちらにちりばめられている。これが私がこの本を好きなところ」等の回答。

他にも「女性の地位が確立していない中で女手一つで子育てをするのは大変だったと思う、それぞれの国の人たちが率直に意見交換できる国際的な場があれば共通理解につながるのでは」等の感想を述べられた女性。
「武士の時代が終わるとはこういう感じだったことが分かった。また、異国へ嫁ぐことが決まった時の祖母からの『どこに住もうと、女も男も、武士の生涯は同じ』とのはなむけの言葉が印象的だった」と感想を述べて下さった女性も。
定刻の21時を過ぎて、最後に釘島さんから、
「今、私達日本人は、お辞儀一つとっても日本の文化を大切にしなくなっているのではないか。『武士の娘』にも『日本人の技術も礼儀作法も、すべて理想と誇りの裏付けがあるのでは』等と書かれている。ここは私が最も好きな箇所」との発言がありました。
その後、釘島さん始め何名かの方に残っていただき恒例の延長戦(録画なし)。
それにしても、杉本鉞子や『武士の娘』が知られていないことを痛感しました(長岡藩を舞台にした小説も書いている司馬遼太郎も、知らなかったそうです)。
このような時代だからこそ、改めて多くの方に読んで頂きたい物語です。
釘島浩子さん、参加して下さった皆様、有難うございました。
当日参加できなかった方も含めて、申し込んで下さっていた方にはアーカイブを配信させて頂いています。ぜひ質問や感想などお寄せいただければ幸いです。
なお、次回の「食と農の未来フォーラム」は3月中の開催を目途に準備中です。決まり次第案内させて頂きますので、引き続きよろしくお願いします。
(ご参考)
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