【ブログ】「時の海-東北」美術館建設予定地をめぐる日帰りバスツアー

2026年2月21日(土)は「時の海-東北 宮島達男・長嶋りかこと美術館建設予定地をめぐる日帰りバスツアー」に参加させて頂きました。主催は「時の海 – 東北」プロジェクト実行委員会と(一財)福島富岡文化財団です。

 先日の赤坂でのイベントの際に紹介してもらっていたものです。昨年もいわき市まではオーガニック・コットンの関係で何度か伺っていましたが、それより北はしばらく行っていませんでした。東京電力・福島第一原発の事故から丸15年目を迎える浜通りの現状を自分の目で見たいと思い、参加することとしたのです。

 バスは8時30分、東京駅前の高層ビルの脚元を出発。
 つい、先日の別の渋谷でのイベントでのドリアン助川さんの朗読-「東京の礎は コンクリートや鉄ではなく 忘却である」-を思い出しました。

時の海 – 東北」とは、東日本大震災の犠牲者への鎮魂と震災の記憶の継承、これからの未来を共につくることを願うアートプロジェクト。宮島達夫さん(現代美術家)が中心となって、地元の人々とも協働し、生命の永遠性を象徴する3000個のLED数字カウンターからなる作品を作成し、それを恒久的に展示する美術館を建設しようとするもの。

 先日のイベントの際にプロジェクトを紹介して下さった嘉原 妙さん(アートマネージャー/アートディレクター)も同行して下さいます。

常磐道は渋滞もなく順調。車中で山本暁甫さん(NPO法人インビジブル)がツアーの概要等についてガイドして下さいました。富岡に移住されて5年目とのこと。
 「時の海 – 東北」のパンフレットのほか、富岡町の詳しい資料も配って下さっています。これによると2025年10月時点の住民票人口11,074人に対して町内居住者数は2,696人。内訳は帰還者38%、転入者62%とのこと。
 山本さんは沿道に設置されているモニタリングポスト、海岸に放置されたままの船の残骸など、現在も被災は継続しているという「負」の側面についても紹介して下さいました。

ならはスマートICを降りて国道六号線を北上。以前に来た時と、光景はかなり変わった印象です。除染廃棄物を詰めた夥しい数のフレコンバッグの姿も消えています(中間貯蔵施設に移送されただけですが)。
 やがて富岡町の中心部へ。駅周辺も、発災後のがれきの山、その後の更地だった状況から、現在は多数の建物が並んでいます。
 駅の南にあるとみおかワイナリーで昼食です。

この地でワインづくりがスタートしたのは、全町を対象に発出されていた避難指示が解除される前の2016年3月とのこと(現在も町域の12%は帰還困難区域のまま)。避難前の人口約1万6千人と同数のブドウを植樹しているそうで、まだまだ若い木も多く将来が楽しみです。

醸造所に直売所、レストランが併設されており、奇跡的に津波の被害から残った蔵は展示スペースとして活用されています。

2階の広々とした、明るいレストランでコースランチ。
 午後のワークショップのグループごとにテーブルについたところで、ツアーに同行して下さる宮島さん、中嶋りかこさん(グラフィックデザイナー)から挨拶を頂きました。
 食事を頂きながら自己紹介など。発災直後からトラックで避難物資を届けたという男性、都内で音楽イベントを主催している方、宮島さんのファンの女性など。

地元産食材も用いた菜の花など3種類の前菜、かぼちゃのポタージュスープ、メインは常磐もののメバルのポワレにバターライス。
 赤白のワインの飲み比べも。軽くて爽やかな風味です。

赤ワインの搾りかすを使ったビール(IPA)を直売所で求めさせて頂き、バスに戻ります。
 バスにはやや狭い山道を抜けたところ、海を望める美術館の建設予定地に到着しました。かつての廃棄物処理場の跡地で現在は更地になっており、見下ろすと断崖に打ち付ける白波が見えます。潮騒の音。海からの風。立地的には東京電力・福島第一原発と第二原発の間にあるそうです。

宮島さんがパネルを掲げつつプロジェクトの概要について説明してくださいました。
 宮島さんは1957年生まれ、世界30カ国 250か所以上でデジタル数字を用いた作品を発表されている現代美術家です。(以下、文責・中田)。

 「東日本大震災後、アーティストとして、人間として何ができるかと無力感にさいなまれ、何とか落とし前をつけたいという思いで3年間、被災地を歩き回った。泥かきのボランティアもやった。津波の大きな被害を受けながらも、海に恨み言をいう人は一人もいなかったのが印象的だった。
 海が見えるこの地に来た瞬間、美術館を建てる土地はここだ、と鳥肌が立った。各地でワークショップを行い、自分にとって大切な数字をセットしてもらっている。ワークショップ自体がアートを形作る。
 東京では震災も原発事故も忘れられつつある。ここに恒久的な美術館を建設し、あの日の記憶と一人ひとりの想いを世界に発信していきたい。昨年土地を取得、古墳をイメージしている概観などは建築家の田根 剛さんにお願いしている。プロジェクトに参加した人たちの声を伝えるメッセージルームも設置する予定」

その後、バスに戻ってフィールドワークに。
 双葉駅前まで北上。一帯の避難指示は解除されており、新しい駅舎と役場、復興公営住宅の団地が並んでいます。ドキュメンタリ映画『ロッコク・キッチン』にも登場していた達磨の壁画も。
 しかし南下するにしたがい、あちらこちらに帰還困難区域を示すバリケードが設置されているのが目に入ります。その内側は住宅も農地も荒れるに任せている様子で15年間の時の流れを思わずにいられません(しばしば耳にする「時が止まったまま」という言葉は間違いです)。時折り、サルの姿も。
 大熊町に入ると、車窓から大規模太陽光発電施設も望めました。

富岡町の夜の森地区で下車。この桜の名所も2023年から特定復興再生拠点区域として避難指示は解除され、以前来た時にあったバリケードは撤去されています。周囲の被災した建物も多くが片付けられていました。

 地元出身の秋元奈々美さんが、車中に引き続いてガイドして下さいました。
 発災時は中学1年で、コンビニで立ち読みしていた時に大きな揺れに襲われたとのこと。友達とは「また来週ね」という感じで別れた翌朝、全町に避難指示が出され、長い間会えなくなってしまったこと。3年後に一時帰宅した時には街並みがそのまま残っているのを見て嬉しかったこと。避難先の千葉県から2018年、新卒で役場に就職して帰還、現在は(自分も救われてきた)芸術に関わる活動をされていることなど。

 被災、避難、帰還という、リアルな、現在進行中の体験談には参加者の多くが胸を打たれました。震災や原発事故など忘却してしまったかのような首都圏の、できるだけ多くの人に聞いてもらいたい内容と感じました。

15時過ぎ、バスは桜並木からほど近い「トータルサポートセンターとみおか」に到着。
 まず、改めて宮島さんから「時の海 – 東北」について、過去のLEDを使った作品などの動画も見せて頂きながら説明がありました。「2つの原発の間という立地については、正直、最初は葛藤があった。しかし地元のフロンティアの若い人たちの話を聞くうちに、溶けていった」とのこと。

続いて、昼食の時のグループ毎に分かれて「タイム設定ワークショップ」。それぞれLEDの数字のカウントダウンのスピードについて、0.2~120秒までの好きな数字を設定します。
 さらにその数字を選んだ理由等についてシェア。誕生日や心臓の鼓動の数、311に因む数など。単なる数字ながら、それぞれが数字に込めた思いは様々です。私が設定した秒数は・・・(秘密)
 数字を設定したLEDは、名前とともに実際に美術館に展示して下さるそうです。

最後に宮島さんと長嶋さんによるトークセッション。
 長嶋さんは「時の海 – 東北」のロゴマークを初披露して下さいました。英語と日本語、様々なフォントで表現されているのは「色んな立場、異なる意見の間で対話が始まる」ことへの期待を表現しているとのこと。
 宮島さんは「書かれていないが水平線が見えるようだ」と感慨深そうでした。

17時過ぎにバスは富岡町を出発、一路東京に向かいます。帰りも渋滞はなく、予定より早く20時過ぎに東京駅前に到着。
 久しぶりの浜通りでした。光景は大きく変わっているようで、依然として帰還困難区域が残っているなど本質は変わっていないのかもしれません。
 東京では、莫大な国費を投入して「箱モノ」ばかり作っている「復興」のあり方を声高に非難する論調もありますが、果たしてどこまで現地の人たちの声に沿っているのか疑問も感じていました。また、個人的に参加する前は「時の海 – 東北」美術館も「箱モノ」の一つではないかという疑問もあったのですが、宮島さん始め携わっておられる方達の真摯なお話や姿勢に実際に接することによって、氷解しました。

 いずれにしても、原発事故と復興とは、単純に割り切れるような問題ではありません。分かったようなふりはできません。そのようなモヤモヤを実感できたことも、今回のささやかな旅の収穫でした。
 主催者、関係者の皆様、有難うございました。

(ご参考)
ウェブサイト「フード・マイレージ資料室」
https://food-mileage.jp/
メルマガ「F.M.Letter-フード・マイレージ資料室通信」
https://www.mag2.com/m/0001579997
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