
東京・根岸に正岡子規が早すぎる晩年を過ごした「子規庵」があります。
子規は慶応3(1867)年、現在の愛媛・松山に生まれました。16歳の時に上京して東京大学予備門に入学しましたが後に中退、記者として日清戦争に従軍した後に喀血し、闘病生活を送りながら俳誌『ホトトギス』等を舞台に俳句・短歌の革新運動に取り組みます。
やがて肺結核はカリエスに進行し「まるで阿鼻叫喚のような地獄」に陥るなか、子規は「薬も後もその他の療養法も小生には施し難き」とする一方、「ただ小生唯一の療養法は、うまい物を喰ふこと」と記しているのです(『墨汁一滴』、明治34年4月20 日付けの記事)。
その通り、子規は病人とは思えないほどの健啖家ぶりを発揮します(「ほんのさわり」欄参照)。… 続きを読む














